Act.3 野次馬ども

時に人間は優勢に群がり、劣勢を浮き彫りにする善悪も往々にして私利私欲に曲がる物差しで私達の日常を歪に、不公平なまでに測り取ってしまうつまり、私達は自分が可愛い生き物なのかもしれないそして、その罪もまた私利私欲で塗り固めた『神』に許してもらおうというのだろうか


頰を撫ぜるそよ風がほんの少しだけ冷たくて私は朝靄の中でふと我に返る。通学電車の喧騒から抜け出して上の空で歩く通学路はまだ陽光が山際から離れきらず、ほんのりと薄暗い。まだ見慣れぬ道程に、同じ制服だけが一所に向き流れてゆくのが奇妙であった。


「そうか、今日からは授業も始まるのか…」


入学式の翌日とはいえ、教育課程としては一日たりと余裕が無いのだろう。つい数年前までは余裕を持たせろだとか言っていた癖に、急に足並みを早めろだとか、新たな課程で学べだとか好き勝手な事を言ってくれるものだ…。


惰性とはいえ、進学校に進んだ責は自分にある、この責任は私自身が負うべきだとは自覚してるつもりだ。中途半端に都会じみた町並みを曲がり真新しい白が不気味な校舎が見えると、少し足を止める。


「っし、行きますかね…」


始業の鐘が鳴る校門を駆け抜けて、自分の教室に辿り着くと、担任の福谷が薄ら笑いで名簿を小脇に廊下から入ってきた。談笑の相手は隣のクラスの担任のようだ、隣の担任を目で追っていると後ろの扉からちょうど入ってきた篠宮と目があった。


「あっ…」「(微笑む)」


やはり、この女だけはどうしても受け付けない。茜は身震いを抑えながら、前に向き直ると間もなく福谷の号令にて皆がおずおずと立ち上がり挨拶をした。これが日常になる頃にはあの薄ら笑いも、あの女にも何も思わず居られる事を願うばかりだ。


初回の授業は軽い説明やレクリエーションなどで重たくは無いが逆に気怠さを助長するような中身の無さが私の欠伸を誘う。午前の最後の授業を終える鐘の音がなると、一瞬の静寂の後、上階の廊下が轟々と音を立て始めた。


「柴崎さん、お弁当の人?」「え?」「アレ、購買ダッシュの音だよ」「あぁ、なるほど…」


時東さんは、机の上にこれでもかと言うほど小さな弁当箱と、これまた小さなタッパーにいちごが入っていた。


「これだけ?」「え?うん、そんなに食べないんだ、ワタシ」「へ、へぇ…」


時東の昼食談義は、そこら辺に伝播してそこらの机を向き合わせての昼食会へと早変わりした。時東の手招きで隣の席に半ば強制的に連れられると、私は古風なわっぱを出し包みの布巾を膝へと広げた。十人十色な弁当に盛り上がる一同とどこか小っ恥ずかしい私との温度差に喉の詰まる昼となった。


昼の予鈴がなり慌ただしく机を正す、程なくして次の授業の担当教師がやって来た。午後は2時限ほど普通の授業があった後、体育館へと移動する事となった。


この学校には体育館が2つある。入学式で集められた古びてジメジメした旧体育館と、今向かっている真新しくて妙に華美に作られた体育館だ。この体育館の中に入って分かるがここに花形の部活を集め重用する事を暗に示している。


「すごいピカピカだ…床も壁も鏡みたいじゃん…」「…柴崎さん…でしたよね」


煌びやかな床面を舐めるように見ていると背後から声をかけられて、思わず前のめりによろけた。慌てて立ち上がり振り返ると、そこには先日の財部が困り顔で苦笑いを浮かべていた。


「今日はちゃんと…(眼鏡を上げる仕草)」「あぁ、そうなんですよ。今日はバッチリ…」


少し自慢げに胸を張った財部をみて、少し私も笑みが漏れた。気が付くと奥の方には列ができ始めていた。財部は少し遠慮気味に手を振ったかと思うと小走りで二つ隣のクラスの列へと加わった。私も急ぎ自分の組へと加わった後、次第に列が整えられるとそこへ腰かけたのだった。


「…(咳払い)…みなさん、こんにちわ~」


静寂が女性の一声によって生み出されると、視線は一点に集められる。そこには、久手川の姿があった。途端、黄色い歓声が上がり、それは地面も少し揺らぐ程の盛り上がりへと変わっていった。


「え~、今日はお時間を頂きありがとうございます。本校の部活動を…」


黄色い声援が鳴りやまぬ中、部長は進行を続けてゆく。部活紹介は、少しマイナーな部活に始まり、ハンドボール、アーチェリーなど近代的な部活まであるらしいことが分かった。中盤に野球、サッカー、テニスと続き、やっと文化部の番になった。


「それでは、次は美術部さんで〜す。」


部長がそう言って手を向けると、会場に作品が運ばれる。何でも最近金賞を取った作品らしい、チラホラと感嘆の声が聞こえるが、先程までの盛り上がりはどこかへと消えたように静かになっていた。その後も、文化部への興味関心に比例するように、歓声は収まりをみせた。


「では、最後に…」


私は、遂に来たと言わんばかりに唾をのんだ。部長の導入はこれまでのどの部活よりも静寂を呼んだ。演劇部という部活の興味関心はココまで低いのかと思わされる程の静寂に部長、久手川さくらは目を疑うほど冷静だった。


マイクを切り、大衆の前に歩み出てる久手川はその一挙手一投足の度に目つきや体躯が常人離れしたものになった。人々の中心までやって来た久手川は、突如として訥々と口を開く。


それは、『サロメ』の一幕だった。神の遣いの預言者と娘が邂逅を遂げたシーン。狂ったように言い寄るサロメの愛の言葉と、それを打ち捨てるように言葉を返すヨカナーンの声、恐らくこの男の声は新城先輩だったと思う。


「うわぁ…」


私の漏れ出た嘆きの声は、多分近くにいた全員に聞こえただろう。それ程までに、私は、いやこの場の誰しもが呑み込まれていた。最後の独白を終えると、スッと顔色が元に戻った久手川の姿に誰からともなく拍手が湧き上がった。当初の興味と結果が大きく違う形で終わった演劇部の紹介で以て、この時間は終わりを迎え形式的な挨拶をして一同は解放された。


「やっぱりだ、私はこれを待ってたんだ…」


柴崎茜の脳裏で反芻するように久手川の演技が繰り返しで過っている。そして、何かに衝き動かされるように体育館から去っていった。部活決定までの期限は1週間、彼女の心はこのとき、確実に一つの答えを導いていた。


・・・久手川さくら引退まで65日


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