THEATRE in Classroom
HIGE帽
Act1 怠惰の園
桜の園を知っていますか
ロシアの劇作家、アントン・チェーホフの晩年の戯曲
貴族階級にあったある一家の没落とその人々の苦悩を描いた喜劇
それは、悲劇的だけれど、新時代を目前に迎えた人々の
暗くも前向きな旅立ちを描きたかったのかもしれない
四月 某所。桜は今年の異常な気候のせいでまだ蕾なのかももう葉なのかも判らず仕舞いなまま、私は入学式を迎えた。大して頭もよくなかった私はこの地域で唯一の進学校とやらを受験し、その結果受かった為この湿っぽい体育館に座っているわけだが、結局のところ周りの皆がするから高校進学し、妥協を理由に責め立てられない進学先を決めた。こうして、私の押し流されるような人生はこの先もずっと続くと信じてやまなかった。
「えーっと、柴崎茜さん」
「はい」
「じゃあ、あなたの席はあそこね」
担任の先生に促されるまま、私は指定された席に座った。廊下側から二列目の中盤辺り、黒板からもそう離れず、かといって先生の監視を程よく躱せるなかなか良いポジションだ。
「はじめまして、しば"さ”きさん?」
「あ、うん。『さ』のほうだよ」
「りょうかい。私、時東ほのか。よろしくね」
「時東…時東さんね」
不意に左隣から声がかかって上ずった声を誤魔化しながら、これから同級生になる彼女の話に相槌をうっていく。彼女は所謂"暗め”な人なんだと話していて分かった。このクラスに居るまとめ役の人や煌びやかな人の影で彼女はそっとクラスメイトとしての生活を楽しむ心づもりでいるようだ。
徐々にこれから始まる学園生活の"仲間”が席についていく。その度に方々で他愛もない会話が巻き起こり、それは人が増すにつれて盛り上がりを見せていった。その声が頂点に達した頃、担任が教壇の上で声を出した。
「それでは、皆さん集まりましたので・・・」
その声で一瞬のうちに静まり返った教室。担任の先生は「フクタニ」と名乗っていた。下の名前は、記憶にない。それから事務的な事を話したり、明日からの生活について話していた気がするが、私にとってはそんな事は些末な事でしかなかった。教壇から少し離れた廊下側、名簿を胸に抱えた年若い女教師が私の目に留まった。彼女はどこか陰鬱な雰囲気を醸し出しながらも担任に相槌をうちながら生徒たちにも笑顔を振り撒いていた。私はその彼女の姿に妙な違和感を感じて、目が離せないでいたのだ。
「あ、それから・・・」
担任がそう括ると、彼女の方に手を指した。
彼女はつかつかと教壇へと上がると、お辞儀をし、それから話し始めた。
「先日、赴任してきました。篠宮です。篠宮依澄。」
シノミヤイスミ。彼女の名前だけは私の脳に強烈に刻み込まれた。
何せ私を見ながら言ったからだ。教壇から明らかに正面でない私の目をジッと見ながら、にこやかな顔で自己紹介をしていた彼女はそれから、自身の担当教科が現代文である事、そしてこのクラスの副担任になるという事。いつもなら横滑りしていく情報の全てがなぜか芯に響くように頭に入ってきた。
「綺麗な先生だね」
「え?あぁ、そうだね・・・」
隣人Tが話しかけた事で、やっと自身の意識が彼女から外れたのを感じ歯切れ悪く返事を返す。彼女の魔性とでもいえる様な視線や言葉繰りに私は今吸い込まれてしまいそうなほどに惹かれていた。
彼女の挨拶が終わり、担任が再び教壇に上ると今日は解散だと告げた。入学式なんてそんなものだろうと思っていたが、今日ばかりは教室から逃げる様に走り去ってしまった。とはいっても初日の校舎の中をスムーズに帰路までたどり着けるはずもなく、私は中庭に沿った渡り廊下に出てきてしまった。
「これは、迷った…か。」
「大丈夫ですか?」
どこか甘い香りのしそうな声音が私の背後から聞こえたかと思うと、分厚いレンズに古めかしいお下げの少女が視界に入ってきた。背丈は私より少しばかり小さかったが襟元のバッチを見るにどうやら最上級生のようだった。
彼女は無垢で口角が裂けんばかりの笑みで私を見ていた。
「ちょっと、迷っちゃって…たみたいです」
「フフ、新入生なら仕方ないよね。ここは中庭だよ。校門はあっち…なんだけど…」
「けど…?」
含みのある語尾に惹き寄せられた自分に、彼女が顔をズイッと近づけると、今度は悪戯な笑みを見せた。
「少し時間ある?」
「え………」
彼女は私の返事を聞くより先に腕をガッシリと掴むと走りだした。
彼女は図体に似合わぬ力でズイズイと私を引っ張って進むと、上級生の校舎の中を突っ切って更に奥へと私を誘ってゆく。すれ違う先輩たちが「またか」といわんばかりの視線を彼女に向けているが、それはどこかほのぼのとした日常の風景のような様相で、決して否定的な目ではなかった。
「さくらちゃん、相変わらずだね~」
「久手川、廊下は走るんじゃないぞ」
「アハハハ、新入生ちゃん捕まっちゃったかぁ」
そんな言葉を背に受けながら、彼女は年季の入った部活棟の用具置き場らしいところの前でピタリと止まった。踵を返して改めて私の目を覗き込むと、手をひらつかせながら用具置き場の扉を指した。
「じゃーん!!」
「…演劇部…ですか?」
「そう!演劇部!」
用具室という札の上からなぐり書きで「演劇部」と書かれた紙が貼り付けてある。
私と彼女の間に暫しの静寂が流れた。
私がギョッとした顔で目をパチクリとしていると、彼女は改まって自己紹介を始めた。彼女は久手川さくら、演劇部の部長であり、たった今私を勧誘しようと奮闘中だそう。彼女曰く、3年生の彼女らが引退後部活の体をなせる人数を下回る可能性があるため1人でも多くの新入部員が要るんだという。それであんなにも強引な行動にでたんだと知った。
「なるほど…それで私をここへ」
「そうなの、ちょっと無理矢理だったかな。ごめんね」
「いえいえ、そちらも死活問題だったようですし…」
「…アハハ、そうなんだよね…」
部長が苦笑いを浮かべていると、部室の扉が勢いよく開け放たれ、中から体操着の女性が出てきた。
「あら、部長さん」
「みおんちゃ〜ん、みてみて新入生!」
少し恰幅の良い女性は二年生の園崎美苑というらしい。
彼女も新入部員候補である私に目を輝かせると、突然手を取って激しく握手をする。演劇部というのはこうも強引で豪快なツワモノが揃うものなのだろうか。
「入部申請はもう少し先だけど、良かったら考えてみて」
「まあまあ、部活紹介も済んでないんだから、それから考えて貰いましょうよ、部長…」
「そ、そうだね…でも、場外戦で負けられないでしょ?」
やはりポピュラーなものや人気な部活は、勧誘せずとも人が集まる反面、実績に乏しい部活は水面下で早期から勧誘を行っている様子だった。とはいえ、こんなところにまで連れてこられて、断りづらい状況の中では勧誘というよりは強迫的だと言えそうだったが…
しかしながら、私は「演劇」というものを知らないわりに妙に強い興味が湧き出して来ているのを感じていた。
加えて、私はこの『久手川さくら』に底知れない深みを見出してしまっていた。
…私、入ります。
堰を切って出た言葉に部長と先輩は目を丸くしていた。
再び流れる静寂の中で、部長の顔が徐々に綻んでいるのが分かった。みるみる下がっていた口角がまた裂けんばかりにつり上がった。
「ようこそ!演劇部へ…!!」
これは、私が演劇という深淵に足を踏み入れる話。
そして、弱小演劇部がある進学校の演劇同好会の物語。
・・・久手川さくら 引退まで67日
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