ジャカルタが奇病〝狂狼病〟で死の都と化した中、名探偵日色秀太郎に殺人事件解決の依頼があるの巻

第二部


   15、狂狼病


 陽気で賑やかだった南国の喧騒がいまはひっそりと死んだように息を殺していた。通りには人っ子一人いない。戒厳令が敷かれているわけではないが、誰もが不要な外出や集会を控えているのだ。

 夕刻ともなると、無数の蝙蝠が家々や商店街の軒先に風鐸のように吊り下がり、鼠たちが我が物顔で路上を駆け回りだす。その陰鬱な雰囲気はとてもジャカルタとは思えない。黒死病ペストが蔓延した中世ヨーロッパの街のようだった。

 そんな中、甲高い金切り声が夜の静寂を乱した。蝙蝠たちは驚いて一斉に空へ飛び立ち、鼠たちは怯えて溝の中に逃げ隠れた。

 一軒の家から若い男が飛び出してきた。頭に頭痛鉢巻を巻き、手には斧を持っている。その目は血走り、引き攣った唇は耳まで裂けているかのように見える。

 男は奇声をあげながら、隣家のドアを蹴破り、中に押し入った。

 ギャアという悲鳴がして、家の中から女子供が「アモック! アモック!」と叫びながら逃げ出した。それを追いかけて男も出てきた。その手に持つ斧は血で赤く染まっている。男は子供をかばう女をつかまえ、その頭を何度も何度も斧で斬りつけた……。

 それがいま、ジャカルタ市内を恐怖のどん底に陥れている〝狂狼病〟だった。

 当初、それは〝アモック〟だと考えられた。インドネシア人は基本的におとなしく平和的なのだが、突然、何のきっかけも前触れもなく凶暴性の発作を起こし、斧や鉈、ピストルなどで目の前にいる人々を無差別に殺しまくることがある。インドネシア人はそれを、Hantu Belian(邪悪な虎の精霊)に取り憑かれたことによる凶行だと考えた。それがアモックである。ちなみに、アモック(amok)の語源はマレー語のamuk(狂乱して突進する)である。(*21)

 医学的には、アモックは文化依存症候群として説明されている。世界の特定の地域で育った人々に限定される、歴史的および社会的要因から起こった症状という意味だ。

 しかし、それが何件も頻発した。場所もジャカルタだけではない。スラバヤでもバンドンでもボゴールでも感染が報告された。中でも悲惨だったのはスラバヤ〜マラン間急行列車で発生した事件で、走行中で脱出不可能だったため多くの乗客が犠牲になった。

 そうなると考えられるのは伝染病の可能性だ。症状としては狂犬病に似ている。しかし、狂犬病は動物から人への感染はあっても、人から人への直接的な感染や空気感染はないといわれている。狂犬病の新種だろうか? そういう理由からこの病気はいつしか〝狂狼病〟と呼ばれるようになった。

 先の大戦で全世界を風靡し多くの死亡者を出したスペイン風邪が思い出された。その時の教訓から、飛沫感染の防止(対談の際は三、四尺の距離を保ち、ハンケチ、手拭、紙片で口や鼻を覆うこと)、マスクの使用(電車、汽車、劇場、活動写真館、集会など群衆の中に入る時は着用すること)、含嗽うがい(食塩水、重曹水、硼酸水ほうさんすい、微温湯などを使用し一日数回、とくに外出の後、食事の前後および就寝前に行うこと)をアシア・ラヤやニュース映画を通じてジャワ島全土に広く知らしめた。

 同時に、感染の拡大も防がねばならなかった。とくに日本への上陸を警戒して、帰国予定だった宣伝班員たちは全員がジャワ島に留め置かれることになった。


 そして、年が明けた昭和十八年(一九四三年)――

 日色秀太郎はがらんとしたジャカルタの繁華街をサドウ(sado、一人乗りの馬車)を御して宣伝班本部に向かっていた。口から下を手布で覆い隠していて、ロイド眼鏡を外し、カウボーイハットをかぶれば、まるで西部劇の列車強盗のようだった。

 宣伝班本部に着いて、二階にあがると宣伝班長の町田中佐が待っていた。

「やあ、日色さん、わざわざお呼び立てして申し訳ない」マスクのせいで町田中佐の声はくぐもっていた。「実は、あるところから、日色さんにどうしても協力してほしいという要請があってね――」

「どこですか?」

「ボゴール植物園です」

 春に阿部知二、北原武夫と見学したところだ。スマトラ島から標本として送られてきたオラン・ペンデクの子供が生き返って逃げ出した、という信じがたい話も聞いた。

「本の翻訳ですか? それとも通訳?」

「いや、そういう仕事じゃない。そういう仕事なら他の者でもできる。日色さんにしかできないきわめて特殊な仕事だ」

「と、いいますと?」

「宣伝班員というより、幾多の難事件を解決された私立探偵・日色秀太郎さんへの捜査依頼だ。ボゴール植物園で殺人事件が起きたそうでその解決をお願いしたい、と」


 ボゴール植物園には阿部知二も同行することになった。

「日色さんがホームズならワトソンが必要でしょう」

 と自ら志願したのである。

 急ぎの用だというので、モダンな四人乗りシンガー・ロードスターを飛ばしに飛ばして、その日のうちにボゴールに到着した。植物園では初老の日本人園長が二人を迎えた。卵型の顔で落ち着いた物腰。春に訪問した時はオランダ人園長だったから、就任したのは最近のようだ。

中井猛之進なかいたけのしんと申します」(*22)

 と相手が自己紹介したのに、日色は驚きを隠せなかった。

 というのも、中井猛之進は日本を代表する植物学者で、とくに東亜植物の分類で知られている。東京大学理学部教授、同附属植物園(小石川植物園)園長を歴任した大御所と、まさかジャワで会えるとは日色も思ってもみなかった。しかし、ボゴール植物園(旧名・ボイテンゾルグ植物園)が世界に冠たる植物園であることを考えたら、その園長に相応しいのは中井博士をおいて他にないだろう。

 挨拶も早々に日色はさっそく用件を切り出した。「町田中佐から殺人事件と伺いましたが」

「そうなんです」と中井博士は眉を曇らせて答えた。

「事件はいつ起きましたか?」

「昨夜です。死体発見時刻は午後十一時半」ジャワと日本は二時間の時差があるのだが、占領後、日本標準時が採用されているので、実際は夜の九時半になる。

「場所は?」

「獣医学研究所です」

「被害者は?」

「ダルマ・サントーソという者です。インドネシア人で医師です」

 その名前を聞いて、日色は沈痛な面持ちで唇を噛んだ。

「どうなさいました?」と中井博士が訊いた。

「彼とは会ったことがあります。この春、こちらを訪れた時」

「おお、そうでしたか」

「死因は何ですか?」

「毒物です。臭気から、おそらく青酸加里と思われます」

「青酸加里――となると自殺の可能性もありますね」

「ええ。憲兵隊は自殺だろうと言っています」

「しかし、あなたはそうは思われない?」

「はあ」と中井博士は自信なさげに頷いた。「はっきり、どこがこう、あそこがこうと言うことはできんのですが、何かひっかかるのです。とにかく、私が話すより実際に現場を見てもらったほうがいいでしょう。ご案内します」



                           (つづく)




(*21)小栗虫太郎は『人外魔境』の「遊魂境」で、アモックを「狂狼症」と漢字表記している。

(*22)『虚無への供物』の中井英夫の父でもある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る