第26話

……──受け止めてあげるよ。おれが全て……──





 そう言われた日から、翔の菜々美への愛情表現が強くなっていった。仕事が終わると真っ直ぐに菜々美のマンションへと顔を出す。1日も欠かさずに。

 菜々美に会うと「ただいま」と抱き付く。毎日キスをするし、菜々美の身体を気遣うことも欠かさない。

 菜々美が仕事で行き詰まっていると、気分転換に外に連れ出す。

 必要以上に菜々美を触るし、菜々美を笑顔にしようと必死だった。



「ただいま」

 今日もまたそう言って菜々美のマンションへとやってきた。

 玄関を開けたまま、動けない菜々美はどう反応していいのか分からない。

 こういう場合は「おかえり」と言うべきか否か……と悩む。

 そんな菜々美のことは知ってか知らずか……。翔は菜々美がそこにいるだけで嬉しい気持ちが溢れている。

「もう……、またうちに来る」

 少し呆れて翔を中へ入れる。

 玄関のドアが閉まるのと同時に菜々美を腕の中に入れる。

「今日、変わったことなかった?」

 耳元でそう言う翔に、この一連の行動は翔自身のルーティンになりつつあった。

「何もない。いつもと変わらないよ」

 背中に手を回してそのぬくもりのあたたかさを感じる。

「ハラ減ったなぁ」

 暫くして翔はそう言って菜々美から離れる。

「飯、どうする?」

 菜々美を見下ろす。

「お腹すいてない」

「またそんなこと言って」

 と、部屋の中に入っていく。仕事部屋を覗いた翔は菜々美に振り返る。

「また行き詰まってる?」

「ん……」

「今書いてるのはなんだっけ?」

「今度のはね、秘密の恋をテーマに書いてるの」

 秘密の恋をテーマにしたものを書いてるが、それがまた行き詰まっていた。

「そっか」

 リビングへ入って行くと、そこもまた色々と散乱していた。

 ここ最近、かよがマンションに来ていないからだった。


「宮原、来てないの?」

 菜々美の手伝いにやってくるかよが、部屋の掃除をしていることを翔も知っていた。

「今、かよも大変なのよ」

 だからといって菜々美は、片付けまで気が回らない。

 元々苦手なのもあるが、小説を書き始めるとそこまでいかないのだ。

「もしかして朝から飯、食ってない?」

 言われてはっとする。朝起きて珈琲を飲んで仕事して……、気付けばこんな時間。

「……食べてないかも」

 そう言った菜々美にため息を吐く。

「食べてないのに、ハラ減ってねぇとかどんな身体してんだ、お前は」

「だって……」

「どっか食べに行くか?」

 翔に言われたが、出かける気力は菜々美にはなかった。

 それに気付いた翔は菜々美をソファーに座らせた。


「朝から食ってないから頭が働かないんじゃないのか」

 そしてスマホを取り出してデリバリーのアプリを開いた。

「何食べたい?」

 見せられたスマホ画面を覗く。それでも菜々美は何が食べたいとかの欲求がなかった。

「分からない……」

「全く……。ほんと昔っからだな、そういうの」

 子供の頃はそんなことはなかった。

 思い返しても子供の頃、好きだったものは今も好きなのかは分からない。そのくらい食に興味を示さなくなっていたのだ。

「適当に頼むよ」

「うん」

 片手でスマホを操作している翔の手を、じっと見つめる菜々美。それに気付いているが、何も言わない翔。


 コトンと、スマホをローテーブルに置いた。

「翔……」

 翔の肩に凭れてる菜々美は少し疲れているように見えた。

「大丈夫?」

「ん……」

 翔の手が菜々美の頭に触れる。

「少し、眠ってていいよ」

「え」

「疲れてんだよ、お前」

「そう……見える?」

 その問いに頷く翔は、菜々美の肩を抱いた。

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