第10話

「え──……!」

 菜々美のマンションにやって来たかよは、菜々美から話を聞いて驚きの声を上げる。

「ほんとに?」

 目をキラキラさせるかよは、こんなに面白いネタはないのだろう。ニコニコと笑っては「ふ~ん……そっかぁ」と呟いていた。

「まだよく分からないんだけどね……」

 かよにそう言う菜々美は、自然と笑みを浮かべていた。

 菜々美にとっての初恋の人。その人と付き合うことになるとは思ってもいなかった。菜々美は初恋は実らないと思って生きてきたから、こんなことになるとは思わなくなんだかフワフワした状態だった。


長年ながねんの想いが報われたね」

 かよはそう言うが、今もあの頃のように好きなのかは分からない。確かに忘れられない人ではある。だけど、あの頃のような想いなのかは分からない。風化してしまった想いが、菜々美の中にあると思ってる。

「何よ。自分で決めたことでしょ」

「そうなんだけど……」

 なんであんなことを言ったのかも分からないでいる菜々美は、これからどう振る舞えばいいのか分からないでいた。




     ◇◇◇◇◇




 一日中、マンションに閉じ籠ってることが多い菜々美にとって翔やかよは、唯一関わりを持つ存在だった。ずっとマンションの一室で仕事をするから、誰とも関わらないで1日が終わることもあった。

 今日はそんな日なのか、かよもマンションには寄らない。翔からも何の音沙汰もない。というより、翔に限ってはあの日から何も連絡がないのだ。


(どうしたんだろう……)

 こんな状態が続くなら、付き合うなんてことを言わなきゃ良かったと感じている。



 シャワーを浴びてリビングに戻って、冷蔵庫から缶ビールを取り出した菜々美は、グイと喉に流し込んでいた。

 こんな姿は誰にも見せられないなと自分で苦笑いする。

 リビングのソファーに座ってると、ピンポーンとインターフォンが鳴った。

「こんな時間に誰……?」

 モニターを見て確認すると、翔がそこに立っていた。

「え……?」

 時刻は夜の12時近く。こんな時間に連絡もなく来るなんて……と、慌ててドアを開ける。

「どうしたの……?」

 どうやら今日は呑んでないらしい。だけど何か伝えなきゃいけないことでもあったのか、顔を真っ赤にしていた。

「た……、高梨!」

「はい……」

 翔の腕は、菜々美を包み込んでいた。

「中山……くん?」

 玄関先で抱きしめられた菜々美は、今の姿を思い出していた。シャワーを浴びた後だったから、メイクも落とし部屋着の状態。とても誰かに見せられる格好ではない。

「ちょ……っ、ちょっと待って……っ!」

 恥ずかしくなり翔から離れると、寝室に隠れてしまった。

「高梨」

 その後を追って寝室の前に行くと、声をかける翔。だけど、それに答えられずに寝室のドアを閉めていた。


「高梨……。おれ……」

 呼び掛ける声を聞くだけで何だか恥ずかしくなる。

「ここ開けて」

 こんな格好を見られたくない菜々美は、頑なに拒む。




「菜々美!」




 ドキン……と、胸が高鳴った。名前で呼ばれたことがこんなにも嬉しく思うのかと。

「開けて。菜々美」

 観念したかのように寝室のドアを半分開けた。

「なんで逃げるの」

「そっちこそ、こんな時間になんで来るの。なんでいきなり抱きしめるのよ」

 こんな時間に来たこともそうだけど、いきなり抱きしめられたことが疑問でしかない。

「あ……」

 どこから言ったらいいのか迷った翔は、菜々美に笑った。

「なんか……気恥ずかしくて、なかなか連絡出来なくてごめん」

「え」

「仕事が忙しかったのもあるけど、お前がおれの彼女になったんだって思ったら……、恥ずかしくなって……、でも会いたくなって来たら抱きしめたくなって……」

 そう言われてしまって、何も答えられない菜々美は寝室のドアを開けた。

「菜々美……」

 もう一度抱きしめてきた翔に、どうしたらいいのか分からない。

 スーツ姿の翔は仕事帰りなのだろう。こんな遅くまで働いて身体は大丈夫なのかと心配になる。


「仕事、大変なの……?」

 抱きつかれたまま菜々美はそう聞く。そんな菜々美に、抱きついたまま「まぁ……な」と答えた翔。

「エンジニアだっけ?」

「ん……」

 疲れているのか、気のない返事をする。

「中山……くん?」

「ん」

「大丈夫……?」

「眠い」

 本当に眠そうにしている翔。

 翔は菜々美に体重を預けるように半分眠っていく。

「ちょ……っと!寝ないでっ!」

 菜々美は慌てて翔をベッドに連れていく。スーツだって皺になっちゃう……と、脱ぐように言う。

「菜々美」

 名前で呼ばれる度にドキッとする。

「一緒に寝よ」

「な、な、なんで……っ」

「なんもしねぇよ。する気力が今ない。ただ一緒に……いて……」

 スーツを脱いだ翔は、下に着ていたTシャツと下着だけになり、そのままベッドに倒れ込んだ。

 余程疲れているのかすぐに寝息をたてる。

「全く……」

 呆れ顔の菜々美は、翔に布団をかけると自分はリビングのソファーで寝ようと部屋を出ようとする。だけど、翔の腕に掴まれてベッドに滑り込む。

「起きてるの……?」

 声をかけるが返事はない。

「もう……」

 翔の腕の力は強い。寝ていても力強く抜け出せない。仕方なく菜々美もベッドで眠ることにした。

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