第9話

「……た……かな……し……」

 色っぽい声で菜々美を呼ぶ翔に、抵抗が出来なかった。

 酔っぱらっていてもこんなに人を惹き付けるのかと、目が離せなくなるのかと、ドキンドキンと鼓動が早くなるのを菜々美は感じていた。


(だけど……こんなのは……)

 こんなことをして欲しいわけじゃない。まだ自分の気持ちも分からないのに、ましてや酔っぱらいを相手にしたくない。

「中山くん!」

 大声を出したが、当の本人はそのまま眠っていってしまった。

「は?」

 思わずそんな声が出る。

「なんなのよ!二度目よ、二度目!」

 なんかムカついた菜々美は、思いっきり翔を突き飛ばした。

 酔っぱらって力の抜けた男性を突き飛ばすなんて、なかなか出来ない。それでもこれでもかっていうくらいの力を込めて突き飛ばした。

 翔から離れた菜々美は、寝室の床に翔を寝かせたままにして、自分はベッドから掛け布団と枕を持って仕事部屋に入った。

 仕事部屋に入るとドアの鍵をかけ、床に掛け布団にくるまって眠った。




     ◇◇◇◇◇




 いつもよりも少し早く目覚めた菜々美は、身体の疲労感に襲われていた。

 酔っぱらいの相手をするのは大変。翔を迎えに行ってここに連れてきて、その酔っぱらいに襲われかけた。なんとか離れたと思ったら仕事部屋の床で眠らなきゃいけない。

「そりゃ疲労感あるわ……」

 仕事部屋を出て寝室に入ると、寝室の床で眠ってる翔かいた。その翔の横を通りクローゼットを開けて洋服を出した。そのままバスルームへ行くと着替えをし、顔を洗った。寝室から持ってきたメイク道具を使ってメイクをする。

 どんな時でもメイクは必ずする。それがルーティン。


 キッチンに行くとお湯を沸かしてインスタントの珈琲を入れる。いつものようにテレビをつけて、情報番組を見る。

「高梨……」

 後ろから声をかけられて振り返ると、バツの悪そうな顔をして翔が立っていた。

「もう、お酒呑むやめなよ!」

「またおれ……」

「同僚と飲んで私に電話かけたのは覚えてる?」

「覚えて……ない」

 項垂れてる翔に苦笑する。

「ほんとにもう呑むのやめた方がいいよ」

「だよな……」

 申し訳ないという顔をして菜々美を見る。

「おれ、またお前に迷惑かけたよな」

「そうね」

「ほんと、ごめん」

 頭を下げてくる翔に仕方ないなぁという顔をする。

「珈琲、飲む?」

 椅子から立ち上がると、キッチンへと向かう。再びお湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れる。

「座りなよ」

 ダイニングテーブルにカップを置く。その動作を翔は黙って見ていた。

「ほんと、情けねぇ……」

「いいから」

 そう言うと、翔はダイニングテーブルに近寄り座る。

「本当に悪ぃ……」

「弱いのに飲むから」

「分かってんだけど……」

「とりあえず、外で呑むのはやめた方がいいわね。呑みたいならうちに来なよ」

 そう言ってから、はっとした。昨夜、翔にされたことを思い出してしまった。うちで呑んでまた同じことをされたらと思うと、言うべきことじゃなかった。

 だけど、当の本人は昨夜のことなど覚えてもない。


「高梨。昨夜、またおれ何かしただろ」

 そう聞いてくる翔にコクンと頷く。

「はぁ……。マジでごめん」

 再び項垂れた翔は「おれ、なにした?」と聞いてきた。なので菜々美はまた説明することになった。


「マジ……?」

 目を見開いて、自分のしたことに驚いた翔は、土下座でもする勢いで謝ってきた。

「ごめん!本当にごめん!」

「そんなに謝らないでよ」

(謝られたらどうしたらいいのか分からない)

 菜々美は翔から目線を外すしか出来なかった。



 暫く沈黙が続いて、菜々美は翔の方を向いた。翔は項垂れたままで、その姿が何となく可愛さを帯びていた。そんな姿を見せられて、菜々美は思わず翔の髪の毛に触れた。

 ふわふわの柔らかい髪の毛に触れた途端に、菜々美の奥にある思いが目覚めかけていた。それに菜々美本人は気付いてはいなかった。

「中山くん……」

 翔の名前を呼んだ菜々美は、翔に笑いかけていた。






「付き合っても……いいよ………」

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