茜射し 色づく街に 淡く降る 雪のはだれに アゲハ舞い飛ぶ

色街アゲハ

前口上

 これは、私こと色街アゲハが淡雪様の詠んだ和歌を元にお話しを作る、乃至、蘊蓄を垂れると云う、半ばコラボめいた試みです。


 切っ掛けは、淡雪様の立てた自主企画、「私の短歌で物語を綴って下さい。」に私が参加させて頂いた事でした。

 そこで、同作者様より、自主企画内のみならず、今まで書いた短歌から自由に拾い上げて、物語を書いてみては如何? とお誘いを頂け、自分がそれは面白そうだ、と乗っかったと云う訳です。


 実は、お誘いの言葉があった時には、若干の不安がありました。「自主企画では、偶々上手く行ったけれども、早々物語何て書けるものだろうか?」と。

 そう思いつつも、試しに作者様の膨大な数の(その数何と凡そ二千!)短歌に触れ、「これならいける、」と手応えを感じた事でした。


 話は逸れますが、自分、以前より常々疑問に思っていた事が有りました。それは、短歌、乃至その派生である俳句が、何故今この時代に至っても人々の間で愛され、作られ続けているのか、と云う事です。


 一体、和歌という物は、遡れば古事記にもある様に、神代と言われる時から連綿とその命脈を保ち続けている訳で、それは万葉集と云う形で一旦結実し、其処から古今集で短歌と云う形式を確立し、新古今でその絶頂を迎え、言い方は悪いですが、その時点で一旦その使命を終えた、という印象を抱いていただけに、何故、と云う疑問が頭を擡げて来るのも、皆さんご理解いただけるものかと思います。


 自分がカクヨムに参加した際に、改めて知ったのですが、この令和の時代になっても和歌に魅せられ、創作に勤しむ方々の何と多い事。きっとこれには何かしら彼等の心を捉えて離さないだけの〝何か″が有るのだろう、と、何となくではありますが、考えていたところ、ふと思い出したのが、かの百人一首の中の良暹法師による一首、


「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」でした。


 この歌の意味する所は、一般に流布するものとして、読んで字の如く、「寂しさに耐えかねて、宿を出て外の景色を眺めれば、何処も同じ(この自分の心を慰める物など何もない、寂しさの募るばかりの)秋の夕暮れの景色が広がっているばかりであった。」となるでしょう。


 しかしながら、或る時、ふとこの歌はまた違った意味に捉える事も可能なのではないか、と思い付いたのでした。つまり、

「この身に宿る寂しさと云う感情が、言い知れぬ不安となって自分を苛み、このまま自分を押し潰す事になる前に、と宿を飛び出したのだが、何とした事か、外では真紅に燃え立つ夕暮れが劫火となって世界を焼き尽くそうとしている様が広がっていた。その炎は自分の中に僅かに残る〝あわれ″の心まで焼き尽くそうとその舌を伸ばしてくる。最早何処にも逃げ場など無い。このまま自分はこの夕暮れの世界に焼き尽くされて、跡形も無く消え去って仕舞うのだ。」

 と云う風にも読める訳です。意味としては大差ないかも知れませんが、受ける印象は大分変わって来るでしょう? 


 更に、これを書いている時点で思い付いたのですが、何もこの歌は悲観的な面だけではない、心を慰める安らぎに満ちた面もある様に思えるのです。つまり、「いづこも同じ秋の夕暮れ」と対峙した際に、其処に寂しさを感じると同時に、「嗚呼、寂しさを覚えているのは自分だけではない、この視界一杯に広がる見渡すばかりの秋の夕暮れの世界も又、自分と同じ様に寂しさからこんなにも憂いに満ちた穏やかな光に包まれている。それは何と心慰められる光景だろう。この世界にある全ての物に投げ掛けられる穏やかで柔らかく温かな夕暮れの灯。その元にある全てを労い、安らかな眠りの世界へと誘って行くのだ」と。

 言ってみれば、歌を詠み終えた後の余韻ですね。夕暮れの世界に感じるのは何も寂しさだけではなく、帰って其処に限り無い慰めを感じる事だってある、という事でしょうか。歌を詠み終えた後も世界は続いて行く。其処にどのような感情を抱くのかと云うのも又、読み手(作者と鑑賞者両方の意味で)に委ねられていると云う訳です。


 事程左様にこの歌一つ取ってしても、其処に幾通りの解釈が生まれる。そして、其処にこそ和歌が今尚人々の心を惹き付けて止まない秘密が在るのではないか、とそんな風に考えています。


 作者の思惑を超えて、いえ、それを充分に内包しつつもそれだけに止まらず、新たな命を吹き込まれでもしたかの様に読んだ人それぞれ独自の印象が生まれて行く。

 人の手に依って生み出された物でありながら、先の短歌にもある〝夕暮れ″の様に、ただそこに在る物、❝現象❞にまで昇華された物になり得ると云う。


 文字数にして僅か31字。極めて限定された表現方式であるが故に、却って想像の領域を広げる事になると云う。更に短いが故に鑑賞するにも時間が掛からず、みんなで集まって、「私はこんな風に感じた」だの、「いやいや、ワタクシめはこう感じましたぞ(眼鏡クイッ)」だのと云ったコミュニケーションツールとしても容易に作用する特性をも持ち合わせ、繰り返しますが、時に作者の当初思っていた想定から外れ、新たな可能性を模索する事に繋がる、最早作品と云った枠組みを超えた現象となり得る特異性を孕んでいる様に思えるのです。


 更に話は飛びますが、こうした特性を鑑みるに、何故俳句が生まれたのかと云う疑問もこれで説明が付く様に思えます。先にも述べた様に、新古今和歌集に於いて短歌の表現は究極とも言える領域にまで到達しました。その為か、一部の人々を除いて容易に近付き得ない物となってしまい、その時点でそれ以上の展開が困難になってしまった事が挙げられる様に思います(それ故、選者の一人である藤原定家がその後武家社会に接近したのも、硬直化した和歌の世界を一旦解体して、新たな可能性の芽生えるのを期待しての事と推察する事も出来る訳です)。

 更に、これは短歌を作る際に陥りがちな事なのですが、上の句で情景を描写し、下の句では作者による感情の吐露、若しくは単なる感想を述べるだけとなってしまいがちです。其処に詩の表現としての限界、息苦しさを感じてしまう場合が多々見られる事となってしまう。

 

 それなら、いっその事、余計な下の句を取っ払って、上の句だけの形式にしてみたら? と云う発想があったのでは? と考える訳です。

 字数を更に絞る事に依って、行き場を無くした現象としての自由度を取り戻す、という試み、素人の発想ですがこれが俳句の成立する要因の一つだったのではないか、と愚考する次第です。


 言葉と云うのは、人にとって他者、或いは世界と繋がりを持つ物であり、場合によっては世界その物である様に思えます。その上で作者の視点、心情を表現する一方で、広く世界に開かれた窓としての側面も持つ短歌と云う物が、如何に日本人の無意識下で抱く世界観もしくは宗教観に適う物であるか、それが為に今の時代に至っても尚短歌が親しまれ続けている要因なのでしょう。


 そして、短歌を元に物語を紡ぐ、と云う行為は、延いてはその鑑賞と云う意味に於いて、当初感じた驚きにも拘らず、然程おかしくも無い物なのでしょう。先ず、その発想に至った、そしてその機会を与えて下さった淡雪様に感謝を。そしてこれから紡ぐ事になる物語を通じて、読者の皆様がより短歌に親しむ機会を提供できるよう願います。


 長くなりましたが、これにて前口上を締めくくりたく思います。


 それでは、皆々様方、暫しの間お付き合いの程宜しくお願い致します。

 

 


 


 

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