アバズレ寿司
ほしがわらさん
第1話 一番
アバズレ(「阿婆擦」と当てる)
…わるく人ずれしてあつかましい者。すれっからし。現在は多く女にいう。
対人恐怖症
…人に会うことや人の中に出ることに不安を感じる。また、その症状。赤面恐怖・視線恐怖・正視恐怖・体臭恐怖・醜形恐怖・吃音恐怖などの亜型がある。
(広辞苑より)
***
その年、もし世界の女どもを、自己申告制でアバズレとそうでないのとに分けたとしたら、むぎ子は間違いなくアバズレの方へ、丸をつけたことだろう。
南むぎ子は21歳になったばかりであった。都内の三流大学の三年生で、見た目のほどは中の中と言ったところで、背は低く、化粧っ気がなかった。実家住まいで、家の近所にある商店街の小さな寿司店で、週5でアルバイトをしていた。
うだるように暑い夏の夜、午前2時ごろに、むぎ子のスマートフォンが、枕元で震えて光った。むぎ子はパッと目を覚ます。真夜中のメッセージは、昼間のそれよりも、重大な意味を持っている。やけっぱちなデートの誘いや、酒の力によってつい迸ってしまう本音、はち切れんばかりの愛の告白…そういうドラマチックなものたちを、朝まで待てるわけがない。
しかし今回はそのどれでもなかった。むぎ子はアジのように小さな目を見開いて、暗闇にぼうっと浮かび上がるそのメッセージを、息をひそめて黙読した。
「初めまして、こんばんは。夜中に突然のメール、すみません。私は野田君の彼女です。実は、野田君はもうしばらく前から、あなたのことが、好きみたいなんです。だから、私はおとなしく身を引こうと思います。野田君はとっても優しい人です。だからどうか、大切にしてあげてください。お返事はいりません。それでは、さようなら。」
一回目、むぎ子はそれを真顔で読む。二回目も同じように真顔で読み直す。一文字一文字追うごとに、むぎ子の中に、勝利の喜びが募ってゆく。20回程読んでから、むぎ子は自分の表情筋がだらしなく緩みきっているのに気づく。慌てて顔を引き締めて、それをさも迷惑だ、という顔をして枕元へ放り出す。
むぎ子はタオルケットをひっかぶって、目を瞑る。タオルケットを口元まで持ってきて、少し、少しの間だけニヤニヤする。
やっぱりそうなったか。野田先輩は私のことが好きになっちゃったんだ。一度、フェイスブックで彼女の写真を盗み見したことがある。こじんまりとして、そこそこ、可愛らしい女だった。よく見ると、そんなに可愛くなかったけど。だけどそっか、先輩、あの彼女よりも私のことを…いつからだろう?焦ってんだろうなあ、今頃。明日どんな顔で会えばいいんだろうって。こっちはあえて、何も気にしていない風を装ってやろう…そんなことを考えながら、むぎ子は気持ちよい眠りにつく。
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