エピソード8: 苦悩と迷い (1/4)



フィオナはショーンとの再会後、ますます自分が進めているプロジェクトに対する疑念を抱くようになっていた。パブでの再会は彼女にとって大きな転換点だったが、ショーンとの会話以上に、彼女の心に重くのしかかるものがあった。それは、彼の言葉だけでなく、彼女が無自覚に進めてきたプロジェクトが引き起こしている影響そのものだった。


数日後、フィオナはプロジェクトの現場視察に向かうことになった。彼女は、これまであまり地元の現場に足を運んでこなかったことを後悔していた。金融街での成功と数字の裏で見えなくなっていたものに、今こそ向き合う時が来たのかもしれない。


現場に到着すると、フィオナはそこに広がる景色を見て驚いた。古びた工場の建物がいくつかあり、その周りには労働者たちが散り散りに作業をしていた。彼らの表情には疲れが見て取れ、無言のまま仕事に取り組む様子は、どこか無気力にも見えた。


「ここが、私たちが進めているプロジェクトの現実なのか……」フィオナは胸に手を当てて呟いた。


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工場内を視察していたフィオナは、管理責任者のリチャードという男性に出迎えられた。彼は地元の労働者たちのリーダー的存在であり、工場の現状を把握している人物だった。彼の顔には深い皺が刻まれ、長年の労働による疲労が感じられたが、その眼差しは鋭く、彼が地元に対して深い思いを抱いていることが伝わってきた。


「リチャードさん、今日はお時間をいただきありがとうございます。ここでのプロジェクトの進行状況を確認させていただきたいと思います」フィオナが丁寧に挨拶した。


リチャードは軽く頷きながらも、どこか厳しい表情を浮かべていた。「どうぞ、中を見ていただいて結構です。ただ、覚悟はしておいてください。この工場が直面している現実は、あなたが金融街で聞くような綺麗な話ばかりではない」


フィオナはその言葉に一瞬、心が揺れた。彼が言う「覚悟」という言葉が、彼女の心に鋭く刺さった。


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工場内に入ると、そこには劣悪な環境で働く労働者たちの姿があった。古い機械は軋みを上げ、空気は埃っぽく、作業場はあまりにも狭かった。フィオナが期待していた「地域活性化」という言葉とは程遠い現実が、目の前に広がっていた。


リチャードが隣で説明を始めた。「ここで働いている人たちは、ほとんどが地元出身の人間だ。彼らは昔からこの工場で働き続けているが、外資による買収の後、賃金は下がり、労働環境も悪化した。新しい設備投資がされるどころか、古い機械のままで、修理もろくに行われない。これが現実なんだ、フィオナさん」


フィオナはその言葉を聞きながら、頭の中でショーンの顔を思い出していた。彼が言っていた「外資に飲み込まれる」という言葉が、今目の前で現実となっていた。フィオナは一言も発せず、ただ工場の状況を見つめ続けていた。


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視察が終わった後、フィオナはリチャードと小さなオフィスで話をする機会を得た。彼は少し疲れた表情で椅子に腰掛け、フィオナに向かって静かに話し始めた。


「あなたは、成功者だ。金融街での実績も立派だし、地元のために貢献しようとするその意志も尊敬に値する。だが、あなたが実際に見ているのは、地元の現実とは違うものだ。私たちは、この工場を守りたい。ここで働く人々の生活を守りたい。だが、それがどれほど厳しいことか、あなたには分かっているのか?」


フィオナはその問いに対して、言葉を失っていた。彼女は自分のプロジェクトが地元のためになると信じていたが、その過程で多くの人々に犠牲を強いていたという現実に、改めて気づかされていた。


「私が進めていることは、間違っているのかもしれない……」フィオナは心の中でそう感じた。しかし、それを認めることは、自分のこれまでのキャリア全体を否定することになる。それでも、目の前にいるリチャードや、工場で働く人々の姿を無視することはできなかった。


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工場を後にする頃、フィオナは一人の若い労働者とすれ違った。彼は20代半ばくらいの青年で、顔には深い疲れがにじみ出ていたが、目には強い意思が宿っていた。フィオナが足を止めた瞬間、彼は彼女に声をかけた。


「フィオナさん、少しお話ししてもいいですか?」彼の言葉にフィオナは頷き、二人は工場の外に出て話をすることになった。


「僕はここでずっと働いています。父も祖父も、この工場で生きてきました。だから、ここが僕たちの人生そのものなんです。けれど、最近は不安ばかりが募っています。新しい投資が入ると聞いて、少しは希望を持ちました。でも、現実はそう簡単ではないみたいです。賃金は下がり、仕事も厳しくなっていくばかりです。正直、僕はこのまま続けていけるかどうか分かりません」


フィオナはその言葉に耳を傾けながら、自分の心に重いものがのしかかるのを感じた。この青年が語る不安や恐れは、彼女が金融の世界で感じたものとは異なる次元のものだった。


「あなたは、僕たちのことをどう思っているんですか?外から来て、私たちの人生にどんな影響を与えるつもりなんですか?」青年の問いかけに、フィオナは返答できなかった。


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フィオナは視察を終えた後、ショーンと再び話し合う必要性を感じていた。彼女はこのまま進むべきか、それとも道を変えるべきか。自分が追い求めてきた「再生」は、本当に地元の人々にとっての再生なのか、それとも破壊を引き起こしているだけなのか。


労働者の言葉が、彼女の心の中に深く刻まれた。「僕たちの人生に、どんな影響を与えるつもりなんですか?」


その問いは、フィオナが自分自身に向き合うための最も重要な鍵となった。


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