抜き差しならぬ仲ですが一戦交えてみませんか(カクヨム版)

花麒白

第1話 除幕

──美丈夫に完膚なきまでに屈服させられ、尊厳という宝石を恥辱のつちくれにすり替えられ、めちゃくちゃにされるようにして処女を散らされたい。


 それこそが、今年で二十四になる処女歴が年齢と等しい女性騎士クラリスの歪んだ欲望だった。


 このエレンドール王国に騎士として仕え始めてから九年。王国一の剣技を誇るとも腕利きの彼女は、隣国フィオラディアとの戦で祖国に甚大なる貢献をした。敵将を幾人も討ち取り、戦女神もかくや、という奮戦を見せたのだった。


 ところで、国王から賜った生涯困らないほどの額である褒賞金。クラリスはそれをいまいち持て余していた。とある事情から真っ先に考えたのは孤児院への寄付。恵まれない子どもたちが一冊でも多く本を手に取ってほしいと、優に書斎が作れるであろう額は匿名で送金している。


 もちろん彼女に俗なところはあったから、ずっと憧れていた身を彩る煌びやかな宝飾品も、広々とした立派な屋敷も購入した。そうして一通り欲しいものは手に入れた。それでもまだまだ潤沢に残っている。散々使い途に悩んだ挙句、ようやく名案を閃いた。


 行き交う人々も賑やかで活気のある王都エルムシェンの中央通りから何本か外れた、人を寄せ付けない不気味で物騒な雰囲気の漂う薄暗い裏通り。ごみの吹き溜まりで、清潔とはほど遠い。えた臭いすら立ち込めるその一角には奴隷商の館があった。人の身を売り買いするという非人道的な行為がなされる場所。なんとクラリスはそんなところを訪れていた。──むろん、奴隷を買うため。孤児院に匿名寄付するという私心のない行動とは真逆。


 エレンドール王国には奴隷が存在した。借金を返済できなくなった者が借金のかたに身売りされるのがほとんどの場合だったが、特殊な例もある。──この国は戦争で捕虜にした兵士を奴隷にするのだ。たびたび他国からも自国の民からさえも批判される、エレンドール王国の暗部の一端だった。それもしかし、クラリスたった一人だけの努力で非情な現状を打破できることでもない。ならばせめて、一人だけでも不幸な境遇になる奴隷を減らすのが道理というものではなかろうか。クラリス自体も戦に出て、捕虜を増やすことに加担しているのだから……。


 クラリスが探していたのは男の性奴隷。処女を喪失するという目的を達成する一点に尽きるなら、一夜のたわむれとして男娼を買ってもよかったのだが、孤独感に苛まれていた彼女は、なおそれでは足りないと、同居人になってくれる存在を求めていた。


「……お客様、どのような奴隷をお求めで?」


 脂ぎった顔の不健康そうな風貌の奴隷商がクラリスに腰を低くしている。客であるクラリスを見定めるような目つきと、にやつき下卑た笑みは、どうもいけすかない。野暮ったい服はどれも上等品ばかりで、ほとんどない首には趣味がいいとは御世辞にも褒められない金のぎらついた首飾りが幾重にも掛けられており、擦り合わせられている脂肪で丸まった手には、大ぶりの指輪を幾つも着けている。さぞかし、商売は繁盛しているだろうことをうかがわせた。


「性奴隷を。値段に糸目は付けません。一番、見目麗しい男性で」


 奴隷商の無遠慮な視線に晒されながらも落ち着き払ってれいろうとした声で答えたクラリス。ややあって、館の奥にある奴隷小屋から、奴隷商が繋いだいかにも頑丈そうな太い鎖を引っ張り連れ出してきた『商品』は、一目見た限りはクラリスが所望した通りのものらしい。


「どうしてこの人は奴隷に?」


 商品をじっくりと観察しながらも、クラリスはその売り手である奴隷商を鋭い響きをもってただす。


「先のフィオラディアとの戦でエレンドールの陣のただなかに迷い込んだらしく、瀕死の重傷を負って倒れていたところを捕縛されたそうですよ。その安くもない治療代を返済させるため奴隷に。それで背中に大きな傷跡がございます。歳は二十五。労働力として考えるなら力は申し分ございません。ですが、そう若くもなければ元兵士ですから、主人に反抗して暴れることを見越し、しっかりと奴隷としての身分をわきまえるよう教育はしておりますので。そして何よりもこの通り、見てくれだけはよろしいですなあ。いやはや他の奴隷と比べましても、この男が一番見られる顔をしておりまして。ですから、お値段は傷物であることを踏まえましても、最上級の価格にございます……」


 何が悦に入ったのか、ひどく機嫌がよさそうに手を握り合わせた奴隷商は舌によほど質の悪い油でも塗っているのか、クラリスが訊いてもいないことまでいっそ感心するくらいには息継ぐ間もなくやたらと流暢に喋り立ててみせる。


「ご丁寧に説明ありがとうございます」


 クラリスは身じろぎもせず言葉だけの感謝を述べた。


 質素というより切れのように粗末な服をまとってはいるが、すらりと伸びる長身がなかんずく目を引いた。少し顔がやつれてはいても、鼻筋は気持ちのいいほどにすっと通っており、儚さすら感じさせる薄い唇は形がいい。さらさらとした砂色の髪と澄んだ水色の瞳が爽やかな印象を与える。


 その細面と、引き締まった精悍な身体つきは、『剛』というより、しなやかな『柔』を思わせた。確かに、鎖に繋がれてさえいなければ奴隷商など片手でやすやすとひねり潰せそうである。奴隷は気怠げにうつむかせていた顔をふいに上げ、クラリスをちらと見やったが、すぐ興味を失ったのか、一度は交えた視線も逸らしてしまった。


(美人……! 体格もゴツすぎず、好みだわ)


 クラリスは神の手によって創造されたような青年の美麗さについ見惚れ、感動を覚えていた。今まで同僚だった周りの騎士たちの無骨な輪郭をした冴えない顔ばかりを見てきたので、繊細で整った顔立ちの男にそれはもう飢えている。


「それと、『夜の方』をご期待なさっているなら、この男は不能ではございません。そこはご安心ください」


 青年を見つめることへ集中していたクラリスに歩み寄ってきた奴隷商がさらに念を押すよう耳打ちした。仕事上の立ち回りとはいえ奴隷商のその不躾な言い草に、クラリスはつい眉間に軽く皺を寄せていた。しかしまあ、クラリスも性奴隷を文字通りの目的で買いに来たのだ。同じ穴のむじなであることには間違いない。それに、奴隷商は自身についての美的感覚に関しては底なしに酷いようだが、他者を見定める審美眼だけは確かであることもまた事実らしい。


「わかりました。この人にします」


 クラリスは緑がかった青の瞳に得心の光を浮かべた。はいのうから金貨のずっしりと詰まった革袋を取り出し、奴隷商の男に渡す。


「毎度あり!」


 その金貨の枚数をしっかりと数えきった奴隷商は、顔を喜色満面にさせた。

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