第43話「未明」

 *


 私は毎朝、4時に起床する。


 早過ぎると思う方もいらっしゃるかもしれないが、何ということはない――寝る時間が早いのである。遅くとも21時までには全ての準備を終えて就寝している。そうでなくとも、もうこのリズムが習慣化してしまっているので、たとえ何かがあって就寝時間が遅れたとしても、私は結局4時に目覚めるだろう。


 起きて、伸びをして、布団を片付けて、コーヒーをれ、そしてパソコンを立ち上げて小説を書くところから、私の一日は始まる。


 マンションに一人暮らしである。


 彼氏――交際相手の類はいない。


 故に、比較的自由に生きている。


 それから、朝食を取って顔を整え、職場に向かうために玄関を出る、という工程があるが、それ以外の時間は、大体小説を書いているということになる。


 小説を書く、という趣味を持っていて良かったと思うところに、いつ書いていても近所迷惑にならない、という点が挙げられる。


 元々キーボードの打鍵音はあまり響かせたくない類の人間なのではあるが――それだって、まさか壁を貫通して、隣室の方に届くということはあるまい。


 書きたいときにいつでも書ける。


 それはとてつもなく利点であると、私は思う。


 12月の朝日は、未だ顔を見せる気配はない。


 外は、確認するまでもなく暗く、寒いのだろう。


 寒いのは良いが、暗いのは苦手である。


 などと思って、執筆中の小説の収拾をどうつけようか悩みながら打鍵しているところに、左下に表示されている文字数が目に入った。


 この私小説めいた記録も、もうこの話で、5万字という大台に乗るらしい。


 5万、か。


 我ながら良く続いたなあ、と――やはりありきたりな感想しか残すことができないのが悔やまれるが、朝の寝ぼけた私なんてこんなものである。きっと私は、3万でも4万でも、同じようなことを思ったし、何ならこの私小説的記録に残したことだろう。


 ふと。


 この物語は、いつまで続くのだろうか――と想像してみる。


 以前にも語ったように、「小説は読者の手に届いてこそ、読者が読んでこそ小説たり得る」というのが私の主義ではあるが、それと同列くらいのレベルで、私は「物語は、終わってこそ物語である」という考え方を持っている。


 永遠はない。


 いつかは、終わる。


 それが私の人生の終わりだ――などと言うことができれば格好良いのだろうが、残念ながらそうはいかない。なぜなら人生が終わるということは、その直前の時点でということだからである。よぼよぼになって老衰するまで生き続けるか、病魔に侵されるか、あるいは地球が滅亡するか――どうなるかは分からないけれど、少なくとも、今こうしてしているように、人生の終わりに小説を執筆できるほどの環境にいる可能性は、限りなく低いだろう。


 でも今は。


 書きたいと思うし、書けると思う。


 だから、しばらくは書き続けたい。


 まだ、太陽の昇る気配は見えないけれど。


 いつかは私の「道」が浮かぶくらい明るくなると良いな、なんて。


 らしくもなく、前向きなことを書いて、今日はしまいにしよう。




(続)

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