一代の擱筆
小狸
第1話「完遂」
*
執筆用に、新しい機械を購入した。
キングジム社のポメラ、DM250である。
私は日々の執筆を、ノートパソコンか、ポメラの旧型機(DM100)によって行っていた。前のポメラは、私が学生時代から使っていたモデルである。電池系統にガタが来て、挙げ句の果てに起動後すぐに画面が暗転するようになってしまった。
厳しい言い方をすると、使い物にならなくなったのである。
何事にも終わりがある。
それは、物も勿論該当する。
使われ、消費され、打鍵され。
物はいつか、終わる。
使えなくなる。
いくらそれが、学生時代からずっと愛用し、小説の執筆を支えてくれた、役割を全うしてくれた、思いのこもった物であったとしても、である。この世に存在する物である以上、いつかは終わりが来るのだ。
人が、そうであるように。
旧型機にとっては、それが、今だったというだけの話である。
新型機の調子はとても良い、というか、この文章の執筆も、新型機で行っている。タイピングの心地も、画面も、その他の機能も最適化されており、技術の革新が窺える。使い心地は、今まで使ってきた執筆用器具の遙か上を行くものだ。
思わず筆が乗ってしまい、数段落で終えようとした自分語りも、五百文字に達してしまうほどである。
ふと、机の隅に置いた旧型機を見た。
社会人になってから丁寧に使っていたつもりだったけれど、経年劣化によっていくつかのキーが薄れている。外見にも小さな傷がいくつもついている。学生時代はかなり乱雑な性格だったから、その粗野さが表れている。電源ボタンも押しすぎで若干へこんでいるし、画面も所々点々と暗くなっている箇所もある。
恐らく今後、旧型機を使って執筆をすることは、もうないだろう。
金輪際ないと断言できる。
機械に人格があれば厳しい発言となろうが、それが現実である。
諸行無常の世である。
思いは命に勝てない。
気持ちは心地に勝らない。
そういうものである。
それでも。
私はしばらく、この旧型機を捨てることはできない。
それだけは。
「そういうもの」という言葉で片付けることのできない――厳しいだけではない、現実である。
(続)
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