第50話 転機
ヤーデルード公爵家の訪問以降も、いくつかの貴族家からの使者や商会が訪問していた。
どうやって魔法陣を作ったのか聞き出そうとするもの、公爵家と同じように専属利用権を売ってくれというものなど、あまり嬉しくない話がほとんどだ。
唯一頷いても良いと思った話は、王国西部で隣国と接しているイノチェンティ辺境伯家からの打診くらいだ。
イノチェンティ辺境伯領は、広い王国南西部の国境をほぼ1領で管轄している、王国西方の要だ。
乾燥した岩砂漠が中心の地域ではあるが、土の魔石を産出する魔石鉱山を抱えており、中々のお金持ちだ。
話を聞いた勇は、中東の産油国みたいだなと思っていた。
しかし大きな木が育たないため、料理や暖房に使う薪に、莫大な費用が必要となっていた。
岩砂漠と言えど夜は冷え込むため暖炉は必要だし、火を使わなければ料理も出来ない。
領主の城や大商人などは魔法竈を導入してはいるが、その魔石の消費量に辟易していた。
そこへ、ランニングコストが薪の竈とそれほど変わらないという魔法具が出来たらしい、との情報をキャッチした。
しかも調べてみたら、薪の価格は木の豊富な王国中央部の価格が基準だと言うではないか。
それは、かなり薪の値段の高い辺境伯家からしたら非常に魅力的で、すぐに訪問することを決めたのだった。
辺境伯家から使者として訪れたのは、二女のユリア・イノチェンティだ。
ユリアは、アンネマリーの魔法学園の同級生で親しくしていたため、使者に選ばれたのだろう。
旧交を温めたユリアが持って来た話は、辺境伯家への可及的速やかな導入依頼と、辺境伯領への工房誘致だった。
「そちらで工房を立ち上げて生産する、と言う話では無く、こっちの工房を誘致したい、と言う話で良いのね?」
「うん。こちらで生産することも出来るのでしょうけど、それだとあなたの家の秘密を教えろって言うのと同じでしょ? うちとしては、なるべく安く・大量に魔法コンロを手に入れられるようにして、領内に広めたいだけだからね。工房を建ててもらえるなら、そっちのほうがかえって話が早くて助かるのよね」
と、ユリアは、今回の交渉役を任されたアンネマリーに語っていた。
いたずらに相手の利益を侵すことなく、自らの最大の目的を素早く果たすことに主眼を置いた良い交渉と言えるだろう。
子爵領での量産体制が整ったら、初期ロットから何台か融通する事と、子爵領以外に工房を立てる時は、最初に辺境伯領に建てることを約束した。
またその代りに、土の魔石を割り引いて売ってもらう約束まで取り付けられたのは子爵家にとっても収穫だった。
フェリスシリーズが鋭意量産中で、今後は運用フェーズに入っていくため、土の魔石が安く手に入るのは非常にありがたいのだ。
「ところでアンネ。あなたの膝の上で丸まってる毛玉は何? ぬいぐるみでは無いわよね? あなたの使い魔?」
交渉が終わったタイミングで、ずっとアンネマリーの膝の上で丸くなっていた織姫について、ユリアが言及する。
「うふふ、この子はオリヒメちゃんって言うのよ。ウチが迷い人を迎え入れたのは知っているでしょ? その方と一緒に異世界から付いてきちゃったらしいのよ。”ねこ”と言う動物で、使い魔では無く家族なんですって」
聞かれたアンネマリーが、概要を説明する。
一見穏やかそうに答えているが、その目には獲物を見つけたハンターのような光が見え隠れしていた。
「へぇ。動物を家族にすると言うのは珍しいわね。ウチも馬は大切にしてるけど、家族と言う感じでは無いし……。それにしても大人しいわね。寝てるの??」
「まどろんでるだけだと思うわ。ユリアも抱っこしてみる? オリヒメちゃん、いいかしら?」
「んな~~ぅ」
アンネマリーたちの話を片目を開けて聞いていた織姫は、軽く背伸びをして小さく鳴くと、ぴょんとアンネマリーの膝から飛び降りる。
そのままトコトコとユリアの足元まで歩いていくと、スッと体と尻尾を軽く触れさせながら足元を一周してからユリアの正面に座ってから見上げた。
「にゃう~?」
そして首を少し傾けて、再び小さく鳴いた。
「っっ!!!! こ、これは……っ」
織姫の強烈な先制攻撃に、ユリアがノックアウトされる。文字通りの秒殺だ。
「大丈夫みたいだから、膝に乗せてあげて」
「わ、分かったわ!!」
恐る恐る抱きかかえて膝の上にのせるユリア。
「わぁ……、すごく柔らかいし温かいのね。それにこのフワフワの毛並み……」
満面の笑みで、香箱座りしている織姫の背中をそっと撫でる。
「オリヒメちゃんは、耳の後ろとか喉を優しく撫でられるのが好きなのよ?」
アンネマリーも止めを刺しにいく。
「え? こ、こうかしら??」
言われるがままにユリアが喉のあたりを指先でくすぐるように撫でると、織姫が喉をゴロゴロと鳴らし顔をユリアの手にこすり付ける。
そしてついに……
「にゃおん」
「ファッ!!」
織姫が膝の上でごろりと転がった。
「かかか、可愛いっ!!!」
ユリアが完落ちした瞬間だった。
その後ユリアは、帰るまでずっと織姫を離さず、自領に帰ってからも「ねこが欲しい」と言っては辺境伯を困らせたと言う。
そんな意味のある会話も無い会話もしながら、織姫が着々と下僕を増やしていると、シルヴィオがまたもやヘトヘトになりながら戻って来た。
クラウフェンダムを発って二十日後の午後のことだった。
「……今回もまた随分と酷い顔をしているのだけれど、大丈夫?」
流石に服は着替えたのか、皺の無い状態であるものの、それでは隠し切れない溢れ出る疲労感に、つい心配してしまうニコレット。
「いやー、一日でも早く戻ってきたかったので……。小汚い格好ですみません。多少無理はしましたけど、私は大丈夫ですよ!!」
そりゃああなたは大丈夫かもしれないでしょうけどね、とニコレットが再び嘆息する。
後で聞いた話だと、辿り着いた時の御者は、死んだゴブリンのような目をしており、見かねて風呂を勧めた勇を神のように崇めたと言う事だった。
「で、随分早い戻りだけど、首尾はどうだったのかしら?」
ニコレットの問いに、シルヴィオがニヤリと口角を上げ、懐から紙を取り出した。
「こちら、商会長の魔法印が入った契約書でございます。また後程、商業ギルドで照合いただければと思います」
スッとテーブルを滑らせて提示してきた契約書には、確かにザンブロッタ商会長の魔法印が押されていた。
「確かに魔法印だね。もっと説得に時間がかかると思ったんだが、早かったね」
契約書を確認しながらセルファースが問いかける。
「そりゃあもう。この契約を飲まないんだったら、家を出て自分の商会を起こして契約すると言ってやりましたからね。若い連中は有難い事に私を慕ってくれてるんで、そいつらも連れて行かれたらたまらないと、快く押してくれましたよ」
はっはっは、と笑いながら理由を話すシルヴィオ。
「また後日、ご挨拶に伺うと言ってましたので、日程調整をさせてください」
家を出ると言ったのは本当だろうが、多少の影響はあれど商会長がそれだけで魔法印を押すことは無いだろうとセルファースは考えていた。
大商会の会長が、あの契約でも損は無し、と踏んだと言う事だ。
これからが本当の本番だろうなと、あらためて気を引き締める。
「さて、契約も無事締結できた事だし、早速魔法コンロの販売計画を立てようじゃないか」
契約書の照会を家令のルドルフに頼み、並行して販売計画を立てていく。
元々考えていた、富裕層向けの高級品として販売する点については、ザンブロッタ商会としても問題無いようだ。
ただ、まずは王家に1セット献上してから販売するのが良いだろうとシルヴィオが言う。
後々この魔法陣がオリジナルの物だと言う事は、王家の耳にも必ず入るだろうから、その時に最初に献上しているかいないかは大きな違いになる。
また、王家献上品として箔も付くし、魔法具の存在が王家の名前と共に広まるので海賊版への抑止にも繋がる。
王家へ勇の存在がバレることを危惧してセルファースは最初難色を示していたが、遅かれ早かれですよ、と言う勇の一言で了承した。
最初に勇が考えていたショールームでの実演販売についても、ザンブロッタ商会の王都店で実施する事が決まった。
貴族向けの魔法具は、予約・受注生産品も多いため、ショールームを構えていることがほとんどだ。
当然ザンブロッタ商会も王都にショールーム併設店舗があるため、そこへ展示する。
ただ、これまでは試運転する事はあっても、勇が想定しているような”実際の利用シーンに限りなく近い状態”でのデモンストレーションはやったことが無いと言う事だった。
なので、実演販売の台本は勇が作って欲しいと頼まれてしまった。
幸い勇は、日本では自宅にいる時、BS放送をつけっ放しにしていた事が多かったので、何となく通販番組のセオリーは頭に入っている。
それを元にしたら何とかなるか、と考えてOKする勇だった。
ちなみに、勇が最も好きなのは「夢〇ループ」の通販CMなのだが、アレは流石に無理があるだろうな、と早々に参考資料候補から外すことにした。
その後も、契約成立記念のささやかな晩餐を挟んで販売価格や売り出しのタイミングなどを話し合い、大枠を詰める事が出来た。
シルヴィオが、今日は宿をとっていると言うので、夜も更けて来た今は子爵家のラウンジで関係者がゆったりお酒を飲んでいる所だった。
「それにしても、こちらから戻って来るときは参りましたよ……。お隣のカレンベルク領で足止めを食らってしまいまして。アレが無ければ、あと二日は早く来れたはずなんですが」
軽くお酒が入ってより饒舌になったシルヴィオが、殊更残念そうにそう言う。
勇は(いやいや、あれ以上に急いだら御者さんも馬も死んじゃうでしょ……。その二日で休めて本当に良かった)
などと内心で考えながら、足止めの理由を聞く。
「行きは大丈夫だったんですよね? なぜ足止めを食らったんですか?」
「私は直接見てませんが、私が行きに通った少し後に、魔物の群れが街道付近に出たと言う報告が有ったそうです。それで、討伐隊が組まれたんですが、結構大規模だったようで……。こちらへ向かう街道の安全確認が終わるまで、身動きが取れなくなってしまったんです」
カレンベルク領は、クラウフェルト子爵領が含まれる、寄り親のビッセリンク伯爵領の北西に接する領地だ。
クラウフェルト領から見ると、先日訪ねて来たヤンセン子爵領を間に挟んでいる感じだ。
こちら側と接する辺りは、カレンベルク領も深い森となっており、度々街道まで魔物が出てくることがあった。
それが分かっているので、街道警備はかなり手厚く、ほとんどの場合当日のうちに討伐される事になる。
今回は、常備の警備兵だけでは手におえない量の魔物が見つかったと言う事なのだろう。
「それは大変でしたね。でもまぁ、無事こちらまで来れたと言う事は、討伐されたと言う事なので一安心ですね」
「ええ。もし討伐に時間がかかったら、期日に遅れる所でしたから、肝を冷やしましたよ」
はっはっはとシルヴィオが笑い、次の話題へ差し掛かった時だった。
ドンドンドンッ!
とラウンジのドアが乱暴に叩かれる。
「何事だっ! 客人がいらっしゃるのを忘れたかっ!?」
その行為にセルファースが思わず語気を荒げる。
「はっ、申し訳ございませんっ! しかし、火急の用向きにて!! ヤンセン子爵家騎士団からの早馬が来ております故、急ぎ騎士団詰所までお越しくださいっ!!」
知らせに来たのは騎士なのだろう、謝りつつも有無を言わせぬとばかりの勢いだ。
「分かった。すぐに行く!!」
「はっ!!」
セルファースが短く答えると、騎士は下がっていく。
ほろ酔い加減だった場が一気に冷め、緊張感が走る。
「シルヴィオ殿、騒がしくしてすまないね。急用との事なので、少し顔を出してくるよ。申し訳ないが、しばらくこちらで待っていてくれ」
「ええ、私は問題ありませんので、至急お向かいください」
「すまないね。念のため、イサム殿も来てくれるかい?」
「分かりました。お供します」
「では、少し失礼する」
そう言うと、セルファースは勇を伴ってラウンジを出ていく。
ドアの隙間から一緒に出て来た織姫も、何も言わず勇の後ろをついて行った。
騎士団の詰所に付くと、ハチの巣をひっくり返したように騒々しくなっていた。
「ポーション持ってきてっ! 傷薬じゃ無理よっ!」
「当直以外の奴らも叩き起こしてこいっ! 起きてる奴は装備の準備だ! それと馬の準備もしておけよっ!」
当直だったのだろう、マルセラと副団長のフェリクスから矢継ぎ早に指示が飛んでいる。
そして人の輪の中心には、血まみれの男が横たわり、鎧を脱がされ応急処置を受けている所だった。
「何があった!!」
セルファースの鋭い声が飛ぶ。
「御屋形様! つい先ほど、こちらのヤンセン子爵家の騎馬が、血だらけになりながら西門へとやって来ました。かろうじて聞けた話によると、突如街道の西側から現れた魔物の群れが、領都ヤンセイルを強襲したとの事。
門を閉めたため、街への被害は未だ軽微との事ですが、群れの半数がそこからさらに東へと向かったそうです。こちらの騎士含め何名かが追撃部隊として派遣されたそうですが、敵の数が多く敗走。状況を通達すべく、一斉に方々へ散り、馬を飛ばしてきたとの事ですっ!!」
「なんだとっ!?」
騎士からの報告を聞いたセルファースの驚愕の声が、騎士団の詰所に響き渡った。
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