異世界は猫と共に ~システムエンジニアは失われた古代の魔法理論を解析し、魔法具界に革命を起こす【書籍2巻2024年12月発売】

ぱげ

序章:異世界へ猫と共に

第1話 異世界へ猫と共に

“そこそこ”、“まずまず”、“ぼちぼち”、“まあまあ”……。

 松本勇(まつもといさむ)のこれまでの人生を端的に表すとしたら、そんな言葉になるだろうか。


 地方にあるそこそこの私立大学を卒業し、まずまずの大手SIerに新卒で就職、SEとして働き始めて10年余り。今年で34歳になる。

 中堅社員となった今は、ぼちぼちの高給取りと言っていいだろう。

 大学時代に出来た、まあまあ可愛い彼女と28で結婚するが、双方とも仕事が忙しく2年もすると家での会話は激減。

 一昨年、離婚して以降バツイチのままだ。


 その日も勇は、いつも通り出勤し、いつも通り仕事をし、いつも通り残業をして、いつも通り帰宅した。

 1DKのマンションに帰ると、結婚前から飼っている猫の織姫(おりひめ)が小さく「にゃー」と出迎えてくれるのも、いつも通りだ。


 お腹が減ったのか、足元に身体をこすりつけてくる織姫を見て、勇の目元が緩む。

「姫、ちょっと待ってね~。今すぐご飯にするからな~」

 やや高くなってしまう声でそんな事を言いながら、そそくさとキャットフードの準備をする。


 織姫はチョコレートゴールデンの縞が入ったライラックキャラメル(金色っぽいクリーム色に茶色の縞)とホワイトのハチワレと言う少々珍しい色をしたブリティッシュショートヘアの女の子だ。

 ペットショップで半年が経過して随分大きくなっていた所にたまたま出くわし一目惚れ。その場で購入していた。

 以来織姫にベタ惚れの勇は、(世のほとんどの飼い主がそうであるように)世界一かわいい猫だと確信している。


 少々お高いキャットフードを織姫に献上し、コンビニで買ってきた弁当をレンジに入れる。

 足元で美味しそうに食べている織姫に目を細めながら、冷蔵庫から取り出した500mlの缶ビールを開けた。


 ごくごくと喉を鳴らしながら一気に1/3ほど流し込むと、自然と「ぷはぁ」と息が漏れる。

 人は、この一口のために働いているのではないか?と益体も無い事を考えながら、テレビをつけて弁当を食べ始める。


 半分ほど食べたところで、足元からまた「なぁ~」と言う声が聞こえてきた。

 フードを食べ終えてやってきた織姫を膝に抱き上げ、右手で織姫の耳の裏を撫でながら左手で器用に食事を続ける。


 ブリティッシュショートヘアと言う猫種は、大人しく賢いが触られるのを嫌う、と一般的には言われている。

 しかし織姫は、勇の膝の上が大好きで、事あるごとに「撫でろ」と言わんばかりに膝に乗ってくる。

 そこがまた堪らなく可愛いのだ。


 食事を終え、もう1本ビールでも飲むか、と織姫を抱きかかえて立ち上がった所で、勇の“そこそこ”の人生は、突然終わりを迎えた。


 足元がグラリと揺れる。

 すわ地震か!? と思ったが、揺れているのは世界では無く自分の視界だった。

 転倒しながらも、織姫だけには怪我をさせぬようにと必死に抱きしめる。

 床に倒れ急速に遠退く意識の中、腕の中の織姫を見る。自分の体と織姫の身体が何故か透けて光っているように見えた。


 腕の中の織姫が頬をペロリと舐めて、「にゃー」と一鳴きしてくれたような気がしたところで、勇は意識を手放した。



 勇が目を覚ますと、硬く冷たい床の上で寝ていた。


 ぼんやりとする頭で、あれ?いつ寝たっけ??と考えたところで、急速に記憶が蘇って来る。

 寝たのではない、自分は倒れたはずだ。

 と言う事は、自宅の床か。どうりで硬く冷たい訳だ。


 そうだ、織姫は!?転倒に巻き込んでしまったが無事なのだろうか??

 と愛する猫の事を思い出していると、床の冷たさとは裏腹に腕の中で温かくモフモフしたものが身じろぎしている事に気付く。

 慌てて目をやると、倒れる前と変わらぬ可愛い顔が目の前にあった。


 心配そうにこちらを見て、「にゃーん」とひと鳴きすると、鼻を舐めてくる。

 こら、織姫、くすぐったいだろ、と言おうとした瞬間、少し離れたところから咳払いが聞こえてきた。


「オホン。気分は如何かな? それと、私の言葉が分かるだろうか?」


 聞き覚えの無い声だった。

 言葉が分かるか?も何も、思い切り流暢な日本語だ。分かるに決まっているではないか。


 そこまで考えて途端に冷静になる。

 誰だ?なぜ俺の家に知らない人間がいる? 急激に頭の芯が冷えてくる。

 織姫をぎゅっと抱きしめ、声の方に目をやる。そして……


「誰だ!?」

 と3音発した時点で勇は絶句した。


 そこに立っていたのは、立派なひげを蓄えた壮年の男だった。

 髪も髭も鮮やかな赤毛で、豪奢な服を着ている。豪奢だが時代錯誤な上、外連味たっぷりだ。

 周りにも大勢の男性やわずかな人数の女性が立っているのだが、誰もかれもが絵に描いたヨーロッパの貴族のような格好だ。


 慌てて周りを見ると、自分はそんな面々に取り囲まれて、かなり広い部屋の真ん中にいるようだった。

 呆然としていると、ふたたび赤毛赤髭の男が声をかけて来た。


「誰だ、と聞いたと言う事は、こちらの声は届いているようで安心したよ。おそらく突然の事で混乱していると思うが、我々は君に危害を加える気は一切無いので、ひとまずは安心して欲しい」

 赤毛赤髭の男は、敵意が無い事を示すためか両手を開き腕を広げて勇に語り掛ける。


 すると横にいた青い長髪の男が赤毛の男に話しかける。

「フェルカー卿、これまでの迷い人の話によると、元の世界で急に意識を失い目覚めたらここに居た、と言うものがほとんど。おそらくこの迷い人もその状態かと。しからば、まずは状況を説明するのが良いのでは?」

「ふむ、確かにカレンベルク卿の言う通りだな」

 それを聞いた赤毛の男が鷹揚に頷く。

(迷い人?? それに元の世界って何だ? そもそもここは何処だ? 俺はいつの間にこんな所に連れてこられた!?)


「おそらくあなたは今、気を失い目が覚めたら何故か知らない場所にいる、と言う状態だと思う。我々が知っている範囲で、あなたに何が起きたのかを説明するので、慌てず冷静に聞いてほしい」

 男は勇に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を続ける。


「ここはシュターレン王国の王都シュタインベルンにある、“迷い人の門”と呼ばれる部屋の中だ。そして私は、サミュエル・フェルカー。フェルカー侯爵家の当主だ。まず最初に理解してもらいたいのは、ここは元々あなたがいたのとは別の世界だ、と言う事だ」


「は? 別の世界……?」

 赤毛の男の言う事が理解できない。いや、意味は分かるが理解が追い付いて行かない。

「そうだ。我々の住むシュターレン王国では、はるか昔から“別の世界”から来た、と言う者の伝承が多くあった。まるで迷い込むようにやってくることから、我々はその者らを”迷い人”と呼んでいる」


 フェルカー曰く、迷い人が定期的に訪れていると分かったのが800年ほど前。

 その後調査を進めた結果、必ず今いる場所に現れると言う事が判明した。

 また、迷い人には必ず何らかの特殊能力が備わっており、中には非常に有用なものがあることも分かった。


 そのため、この場所の上に建物を建て外部と遮断、迷い人が来てもどこかへ行ってしまわないよう、常時監視態勢が敷かれた。

 ここに来た迷い人は、今の勇と同じように説明を受けて、希望する貴族が引き取り、手厚く保護していった。


 当時、迷い人の事を正しく把握していたのは、王と一部の貴族に限られており、迷い人を保護する貴族も一部に偏ることになる。

 そしてそれは、迷い人を独占していた一部貴族とそうではない貴族との間に、とてつもなく大きな力の差を生むことになった。

 その結果、自身が王になろうと力を付けた一部の貴族が反乱を起こした。

 幸か不幸か、迷い人を囲っていた貴族全てが新王派では無かったため、新王派と現王派に国を二分した大きすぎる内乱は、周辺諸国も巻き込み大きな戦争へと発展した。


 10年ほど続いた戦は、どうにか現王派の勝利に終わる。

 しかし代償は大きく、王国は周辺諸国に領土を削られたり同盟国に援軍の対価として割譲させられ、戦争前の2/3程度に国土を減らしてしまった。

 二度とこのような事が起きぬよう、それ以降迷い人が訪れた場合は、貴族が定められた順に保護することとした。

 順番は爵位の上下に関係無く公平を期するため、なんとクジで決められたそうだ。


「現在は、それから500年ほどが経過している。その後さらに研究が進むと、迷い人が来る前兆として、10日ほど前から魔法陣が薄ら光り出すことが分かった。それからは、前兆があった場合全貴族を速やかに招集、全員の前で保護することで、さらなる公平性を保つこととしたのだ。ちなみにあなたは、今の制度になってから28人目の迷い人になる。そして今回保護する順番となっているのが、我々フェルカー侯爵家と言う訳だ」


 ゆっくりと話を聞くうちに、どうにか勇も多少の冷静さを取り戻していく。

 そして真っ先に問うべきだが、答えを聞きのを躊躇う疑問を、赤毛の男へ投げかけた。


「……ご説明ありがとうございます。ひとつ伺いたいのですが、こちらに来た迷い人は元の世界に帰らなかったのでしょうか? 帰りたいと言う人もかなりの数いたように思うのですが……?」


 おそらく想定された質問だったのだろう。そしてその答えが、迷い人にとって良いものでは無い事も、皆が理解しているのだろう。赤髪の男だけでなく、居並ぶ人間の多くの表情が目に見えて曇った。

 それを見た勇は、答えを聞く前に答えを理解した。

「残念ながら、帰る方法は分からないのだ……。これまでも何名かの迷い人が、それこそ人生の全てを賭して帰る方法を調べたのだが、未だに分かっていない。そもそも、なぜ、どうやって迷い人がこの世界に来ているのかも分かっていないのだ」

 赤髪の男がそう淡々と事実を告げた。


「そう、ですか……」

 勇はそれだけ言うのが精いっぱいだった。

 腕の中の愛猫をぎゅっと抱きしめると、小さく「にゃおん」と鳴いた。

 あたかも”一人じゃないよ”と慰めるかのように。



 帰還が事実上不可能であることを告げ、重い空気が漂う中、あらためてフェルカーが口を開く。

「あなたには非常に酷な話を告げることとなったが、我々としても意図的に呼び寄せるような事はしていないのだ。そのあたりの事情を酌んでいただけないだろうか?」

 フェルカーの言う事も尤もだった。


 頼んでもいないのに、扱いを間違えると戦争に繋がるような存在が勝手にやってくるのだ。

 短絡的な判断をするトップがいた場合、すべからく処分すると言う結論に至っていてもおかしくは無い。

 それと比べてこの国は、穏健と言っても良いだろう。

 もっとも、有用な特殊能力を惜しんだ、という可能性も高そうではあるが……。


「ええ。あなた方の立場であれば、こちらに私が現れて意識が無いところを殺害し、無かった事にするのも簡単なのに、それをしていない。とても紳士的で理知的な考えだと思います。正直、まだ納得しているわけでは無いですが、状況の理解は出来ました。何故か言葉も通じるようなので、意思の疎通も出来ますし……。で、これから私はどうしたら?」

 

 勇の返答に、何名かの貴族が「ほぅ」と小さく感心したように声を漏らす。

 フェルカーもその一人だったが、彼の場合はこの場の進行役も兼ねているためか、随分とホッとした表情になった。


「話が早い方で助かった…。中にはパニックを起こしたり、泣きわめくお方も多くてね……」

 そう苦笑する。ようやく常に張り付いていた緊張が解けたようだ。


「では、今後の話の前に、名前を聞いても良いかな?」

「松本 勇と言います。姓が松本、名が勇ですね」

「イサム・マツモトだな。では今後はマツモト殿と呼ばせてもらうが良いか?」

「はい。あなたの事は、どうお呼びしたら?」

「同様に姓で呼んでもらうのが無難だ。迷い人の身分は準貴族扱いとなっているから、過大な敬称は不要だ」

「分かりました。ご配慮ありがとうございます、フェルカーさん」


「ああ、それで問題無い。それではあらためて今後の話をしよう。と言っても、ここですることは大きく二つしかない。一つ目は、マツモト殿の能力を調べさせてもらう事だ。先にも話したように、迷い人は必ず特殊な能力スキルを持っているので、それを把握させてもらいたい」


「すみません、先ほどから能力スキルという言葉が度々出て来ています。こちらでは能力スキルと言うのは、どういったものを指すのでしょうか? 例えば、他国の言葉を話せる、とか、料理が得意、とかそう言ったものでしょうか?」


「ふむ。マツモト殿のいた世界には、どうやらこちらで言う能力スキルと似たものが無かったようだな。今マツモト殿が言ったようなもの、他国の言語や料理のようなものは、我々は能力スキルとは呼んでいない。特技と言うのが一般的だ。後天的に修練や努力で身に付けられるものの事だ。それに対して能力スキルと言うのは、生まれながらに備えられている力の事だ」


 こうした質問も想定内なのだろう。

 淀みなく答えるフェルカー曰く、能力スキルとは天から与えられた特殊な力のようだ。


 分かりやすい例で言えば、夜目や炎の加護、などで、前者は光の無い所でもものが見える力、後者は炎の魔法との相性が非常に高くなるそうだ。

 これらは、突然発現する事はあるが、努力や訓練では絶対身に付くことが無い特別な力らしい。

 複数持っている者もいるが、大体は持っていても一つ。持っていないものも多いのだとか。

 そして、迷い人は必ず一つは持っていて、かつそれはその迷い人のみがもっていると言われているそうだ。


「迷い人のみが、ですか?」

「ああ。先程の夜目や炎の加護などは、割と一般的な部類の能力スキルで、同じ能力スキルを持っている者が沢山いる。ところが、迷い人が持っている能力スキルのうちの一つは、必ず他の誰も持っていない特別な能力スキルなのだ。少なくともこれまで記録が残っている27名の能力スキルと同じスキルを持ったものは、未だ確認されていない」


「なるほど。そう言う事なのですね。ここで調べると言う事は、それは簡単に調べることが出来ると言う事なのですね?」

「その通りだ。神眼の能力スキルを持ったものか、特殊な魔法具を使えば調べることが可能だ。神眼だと見たものだけにしか分からず、真偽を確かめる術がないので、魔法具を使って調べさせてもらう事になる。これがその魔法具だ」


 フェルカーの隣に進んできていた神官のような男の両手の上には、台座の上に水晶玉としか言いようがないものが乗ったものだった。


「これは神眼の魔宝玉と言われる魔法具だ。これに手をかざせば、能力スキルと共におおよその身体能力も分かる。能力スキルについては、名前だけでなく大まかな内容も分かるようになっている」

「身体能力、ですか?」

「そうだ。これも、我々の世界では定期的に調べるのが当たり前なのだ。そうする事で、自分の現在地もわかるし、何に向いているかも知る事が出来る。もっとも迷い人の場合は、それもあるが少々事情があってな……」

 一度そこで息をついて、再び説明を始める。


「マツモト殿の外見は、幸い我々とさほど変わりは無いが、全く外見の異なる迷い人が現れることもある。過去には、身長が5メートル以上の巨人や、足が4本ある者もいたと言う。そうした場合、力が並外れていたり、走るのが速かったりといった、肉体的な特徴を伴う事がある。事前にそうしたものを把握できれば、能力スキルも含めて今後何をしていくのが良いかの判断基準となるのだ」

「なるほど。そういう事でしたか。ありがとうございます」


「理解してもらえて何よりだ。では早速、能力スキルを測定させてもらうが、問題は無いか?」

「はい、よろしくお願いします」

 勇の返答を聞いたフェルカーが、水晶玉を持って来た男に目配せをする。

 それを見た男は一つ頷くと、水晶玉を勇に差し出した。


「それではマツモト様、こちらの魔宝玉の上にお手を乗せていただけますでしょうか?」

「分かりました」

 勇は、織姫を小脇に抱き替えると、言われるがままに水晶玉の上に左手を置く。


 手を置いた瞬間うっすらと水晶玉が光りはじめたかと思うと、次第に光が強くなる。

 勇の体からも光が漏れだし、水晶玉に吸い込まれていくのが見えた。

 10秒ほど光ったかと思うと唐突に光が消え、代わりに台座から空中に文字が投影される。

そこにはこう書かれていた。


イサム・マツモト

 力:157

 耐久:130

 敏捷:139

 器用:178

 精神:231

 知力:256

 生命:112

 魔力:105

 能力:魔法検査マギ・デバッガ/魔法の流れを視る事が出来る。操作することは出来ない。

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