第42話


 俺達は許可を得ずに密航したため、当然ながら王国の埠頭を使うわけにはいかない。

 明かりの見えない夜を見計らって、ギリギリまで陸と近付いてもらう。


 そのまま船から飛び降り、泳いで着陸することになった。

 接舷できる場所を探すために船が回答している間に、言葉を交わし合うことにした。


「二人とも、僕が一緒に行けるのはここまでです」


 少し期待していたところはあるけれど、やっぱりヴィクトールが同行するのはこの船旅の間までだ。

 たしかに帰りのことを考えると、彼抜きだともう一度あの海上戦闘がこなせるかは怪しい。


「正直言うと、ここに来るのもギリギリアウトですからね」


「それって……大丈夫なんですか?」


「平気ですよ。昔の偉い人もこう言っていました……『バレなければ良かろうなのだ!』とね」


 なんだかんだでヴィクトールさんと一緒に過ごすようになってから一年弱。

 子爵家では要らない子扱いされていたのでノーカウントとすると、カムイ達に次いで一緒にいた人達ということになる。


 ヴィクトールさんは、結構な時間を一緒に過ごしたはずなのに、いまいち掴めない人だった。


 優しいようで厳しく、かといって冷酷というわけでもなく……どんなことでも飄々と受け流してしまえる、柳のように柔軟な人だった。


 きっと今もなんで大陸間航行をしたらいけないのかを聞いても、はぐらかされて終わりだろう。


「なんでアウトなんですか?」


 それでも俺は聞いちゃう。

 なぜかって?

 それは、坊やだからさ。


「僕は帝国を出ることを許されていませんので」


 予想外に普通に答えが返ってきた。

 なんとなく想像はついてたけど、やっぱりヴィクトールさんって立場ある人間の人なのかな?


「それって、どういう……」


「坊主達、そろそろ準備を!」


 後ろからかかる声に振り返り、頷く。

 首を元に戻すと、そこにはいつも通りの微笑を湛えるヴィクトールさんの姿があった。


「話の続きは、また今度ということで」


「はい……絶対に、また会いましょう」


 俺が小指を出すと、首を傾げられる。

 こうするんですと指切りの作法を教えてあげると、なぜか苦笑されてしまった。


「はい、約束です」


 それ以上の言葉は交わさずに、俺達は海へと飛び込んでいく。

 また一つ、この世界でやりたいことが増えた瞬間だった。





「行きましたか……」


 水面をかき分け泳いでいく二人の背中を、ヴィクトールはゆっくりと見つめていた。

 船が再び出発し、ゆっくりと陸との距離が離れていく。


 もちろん心配する気持ちは強い。

 ヴィクトールとて一人の人間だ。

 泰然としていても、一年近い期間を共に過ごした人間に情が移らないはずがない。


「――師父、良かったのですか?」


「ええ、必要以上の俗世との関わりは持つべきではありません。私は次代にバトンを託した……いわば亡霊ですから」


 拳聖モンタルにそう言い返すヴィクトールは、踵を返そうとして、ピタリと立ち止まった。

 そしてもう一度海面を見つめると、今度こそ船室へと戻っていく。


 ヴィクトール。

 そのフルネームはヴィクトール・ランズハルト・バックワーズ。


 彼こそはゴルブル帝国で最も巨大な流派である撲神流最強の開祖であり――息子に家督を譲ってからというもの真名を隠し隠居をしていた、撲神流最強の称号極拳を持つ男である。


 彼が何を思い、帝国が血眼になって探していたクーン達へ力を貸したのか。

 その本心を知る者は、ヴィクトール本人を除いて、一人としていなかった――。

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