第38話

「「「いただきます!」」」


 ヴィクトールさんは料理が好きで、基本的に炊事は彼の担当になっている。

 借金をする以外は完璧な彼の料理は、正直俺が作るものと比べても数段レベルが高い。


「それで、アリサさんの方はどうでしたか?」


「はい、あと一週間もあれば完成できると思います」


「ほう、それは重畳ですね」


 半年もの間一緒に行動していれば、当然ながら俺達の秘密を隠しきれるはずもない。

 無詠唱魔法を使っている時点で今更だと思い、俺達は既に、ヴィクトールさんに自分達が何故追われているのかの理由を教えていた。

 そしてヴィクトールさんは話を聞いた上で、密告したり捕らえたりするでもなく、何も言わず行動を共にしてくれている。


「大人はもっと子供に頼っていいのです」


 そう優しく微笑みかけられた。

 この半年で更に背が伸びたのでヴィクトールさんに大分追いついてきたとは思うのだけど、彼からすると俺達はまだまだ子供に見えるらしい。


「私は子供じゃありません!」


「そうやって否定するところが子供なんだよ」


「子供じゃない!」


 ちなみに、既にアリサの背は追い越しているため、俺が彼女を見下ろす形だ。

 なので彼女が背を伸ばす魔道具を作れないか涙ぐましい努力をしていることも知っている。


 そんなもの作れるんだろうか。

 魔道具ってなんでもできるわけではないみたいなので難しい気はするが、応援はしている。

 アリサのおかげで騒がしいご飯を食い終えると、そのまま自室へ。

 そこから先はゆっくりと休む自由時間だ。

 風呂場も作っているため、俺は日課である風呂に入ることにした。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ~~」


 常に身体を限界まで苛め抜いているので、おっさんみたいな声が出てしまうのも止むなしというやつだ。

 湯の中には温度を保つための魔道具が入っているため、一度お湯を入れてしまえば保温は楽々だ。


 入浴を済ませたら自室に戻る。

 ちなみにそれぞれの個室には明かりの魔道具がついているため、わりと快適に過ごすことができる。

 ヴィクトールさんに頼まれてインベントリアから酒を出しているので、恐らく今日は寝酒でもしているのだろう。


 寝る前に、魔力の大量消費に入ることにした。

 俺は以前と同様、魔力を使い切って眠るようにしている。


 最初は襲撃にビビって魔力を温存するようにしていたんだが、気力を使ううちに五感が鋭くなったのか、最近では気絶する勢いで寝ていても音を聞けばすぐに目が覚めるようになった。


 戦闘用に意識を切り替えるのも一瞬だし、そもそも寝てから回復する魔力だけでいざという時の襲撃には十分足りるので問題はない。


 人里に下りる時には気をつけなければ行けなかったり、色々と足りないものがあったりもするが、正直実家に居た頃と比べればはるかに快適だ。

 なんやかんやで俺は、この生活にも順応することができていた。






「……えぐっ、ひっく……」


「ん……」


 隣の部屋から聞こえてくるすすり泣く声を耳にして、ゆっくりと意識が覚醒する。

 水魔法を使い軽く顔を洗って目を覚ましてから、上体を起こす。


 俺に前世の記憶があって、更にキツい幼少期を過ごした今世の記憶だってある。

 だから鍛錬こそキツくても一日三食しっかりと食べて風呂にも入れてぐっすりと眠れるだけで、十分な幸せを感じてしまう。


 けれどきっと現状は、今まで両親に愛されて育ってきた女の子が抱えるには、少々重たいに違いなくて。


 俺は土魔法を使い、壁に穴を開ける。

 するとそこには、顔を俯かせながらうつ伏せになっているアリサの姿があった。


 彼女の心は、決して強くない。

 今にして普段から強い言葉を使っていたのはきっと、内側にあるものの脆さを隠すためだったからだったのだとわかる。


「ぐす……クーン……」


 彼女は俺の名を呼ぶと、それ以上は何も言わず、ただその手をそっとこちらに伸ばしてくる。

 そのまま近付いていき、その手に触れる。

 二人の手のひらが絡まって、きゅっと結ばれる。

 温かい体温が、アリサが生きているのだという言葉を、千の言葉よりも雄弁に伝えてくれる。


「父さん達と……また会えるかな?」


「――会えるよ、絶対に」


 なんの根拠もないけれど、そう言い切る。

 そっかとだけ言って、アリサはそのまま起き上がった。

 わずかに腫れて赤くなっているその目に、回復魔法をかけてあげる。


 アリサはここ最近、こんな風に泣いて悲しむことが多くなった。

 かなりストレスが溜まっているのかもしれない。


 それを慰めるのは、お兄ちゃんである俺の役目だ。

 俺はこうして彼女が泣いていることに気付いた時は、なるべく一緒にいてあげるようにしている。


「クーン……こっち、来て」


「ああ」


 再び横になるアリサの隣に身体を横たえる。

 俺より小さく細い腕が、控えめに背中へと回される。

 俺も同じように腕を回すと、簡単に背中ごしに手を組めた。


 むにんとやわらかい感触に、思わず身体の芯が強張る。

 そんな俺の益荒男な部分に気付かずに、アリサは胸の中に顔をうずめて、すんすんと匂いを嗅ぎはじめた。

 着ているシャツのネック部分が、少しだけ湿る。

 彼女は泣き虫だ、本当に。


「クーン……」


「どうしたの?」


「クーンは……強いね」


「――そんなこと、ないさ」


 もちろん俺だって、不安を感じていないわけじゃない。

 色々と経験してきているから、アリサより耐性がついているだけだ。

 きっと幸せを感じるハードルが低いから、今でも十分幸せと感じられているだけなんだと思う。


「すぅ……」


 アリサは安心したのか、そのまま寝息を立て始める。

 その顔は、先ほどまで泣いていたとは思えないくらいに安らかだった。


(まつげ、こんなに長いんだ……)


 そっとまつげに触れると、むずがゆそうに首を振られる。


 ――この半年間で、俺達の仲はずいぶんと良くなったと思う。

 カムイ達が見たら、びっくりするんじゃないかってくらいに。


 アリサの弱いところを見る度、俺はそれを支えてあげたいと思うようになった。

 彼女を守れるくらい、強い男になろうと思うくらいに。


 女の子は身体全身が、マシュマロみたいにやわらかい。

 その感触に俺の中の狼が目を覚ます前に立ち上がろうとすると、回された手にギュッと力がこめられた。


「んぅ……」


 絶対に離さないという固い意思を感じ、思わず苦笑する。


 認めよう。

 俺はアリサに惹かれ始めている。


 でも当然のことだと思う。

 美少女にこんな風に頼られてぐらつかない男なんていないもの。


 だが同時に、俺は彼女の兄でもある。

 だからかわいいかわいい妹が安らかに眠ることができるよう、自分の煩悩を押し殺して隣で眠ることにした。


 そのせいで妙にもんもんとしてしまい、次の日にいつもより身が入らなかったことは、言うまでもない。


 俺達はそれからも更に旅を続けることになった。

 ヴィクトール先生に鍛えてもらいながら南下すること、更に半年。

 都合一年の時間をかけて、俺達はようやく最南端の港街であるヴォロスコへとやってきたのだった――。

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