第31話
三つ目の街、ファーレンゲンは郊外にある都市だ。
農業が盛んで、豊かな穀倉地帯を内包している。
俺達が通ったセカンダルムに大規模に麦を輸出しており、帝国の食糧供給を一手に担っているらしい。
主要産業が農業だからかセカンダルムほどごちゃごちゃしている感じはせず、全体的に牧歌的な空気が流れている。
おかげでゆっくりと街の中を観察できるだけの心のゆとりができた。
「ゴルブル帝国って、なんていうか……全体的に大変そうよね」
「言わんとしていることはわかるよ」
こうしてゆっくりと帝国内の街を見て回るのは初めてだけど、それでも色々とわかることがある。
まずゴルブル帝国は、全体的に物価が高い。
肉の値段はラーク王国の1.5倍ほど。
パンに至っては明らかに雑穀を混ぜているカチカチのパンが、領都の二倍以上の値段で売られている。
それなら冒険者ギルドの依頼の報酬も多いのかと思いきや、そちらは逆。
ゴブリン一匹の討伐の報酬は、およそ王国の七割ほどしかない。
そんな状況では生活が王国より大変なのも自明の理。
帝国の人達の暮らしぶりは王国よりも明らかに質素だった。
ちなみに魔物の強さはどうなのかというと、こちらの方が全然強い。
あちらのゴブリンは棍棒があれば素人でも倒せるけれど、帝国領のゴブリンは素人が剣を振り回してようやく勝てるかどうかといった感じだ。
質素な暮らしぶりを余儀なくされるのに、出てくる魔物は強力。
傍から見ていると、この国の人達はかなり割を食っているように思える。
けれどこの国の人達は、この環境に見事に適応している。
彼らは粗食なのに、全体的に身体が強くて頑丈なのだ。
帝国のパンは、俺もアリサもぶっちゃけスープに浸さないと食えないぐらいに堅いのだが、この国の人達はわりとお年を召したおばあちゃんでも、顎の力で普通に食いちぎっている。
兵士や冒険者達も大柄な人達が多い。
そして気力は身体強化の魔法と同様肉体を乗算で強くするため、元の肉体が強い彼らはめちゃくちゃ強くなる。
全体的に朴訥で硬派だが、尚武の気風が強く肉体が頑健。
それが俺がこの国の人達に抱いた感想である。
「とりあえず宿でも探そうか」
ファーレンゲンに旅の人間がやってくることは少ないらしく、宿の数自体が片手で数えられるほどしかなかった。
問題なく宿を取ったら、情報収集のために外に出る。
「行こっ」
「うん」
アリサに差し出された手を、ギュッと握る。
俺達は基本的に、必ず行動を共にするように心がけていた。
何かあった時に後悔はしたくないからね。
まあ幸い、今のところ俺達を探しているような奴らやアリサを探しているような気配もまったくない。
そこまで気にする必要もないっちゃないんだけど、念のためってやつだ。
「いざという時にはこっちの土壁から抜け出せるわね」
最初に逃走経路の確認をしておくのにも慣れてきた。
なんでお尋ね者でもなんでもないのに、こんなことをしなくちゃならないんだろう。
俺達を襲ってきたあいつらへの怒りがふつふつと湧いてくる。
けれどその怒りを、手のひらから感じる熱が静めていった。
「夕飯を食べたら今日は早めに寝よっか」
「そうね、ちょっと疲れたし!」
宿に戻ってから、併設されている飯処で食事を済ませる。
基本的に帝国の飯屋は、どこも出す料理が大して変わらない。
なので下手に店を探さず宿屋で済ませるのが楽なのだ。
相変わらず高めのパンを、ドロドロのスープと一緒に食べる。
この国の人達は大柄な分大食らいなので、足りない分は比較的安いふかし芋を食べて腹を満たす。
帝国の食事様式にもずいぶんと慣れてきた。
こんなんで飽きないのかとも思うが、実際ここら辺の人も飽きているようで、酒を一緒に飲んでなんとか誤魔化しているようだ。
ウォッカのような度数の高い蒸留酒があるみたいだけど、まだ飲んだことはない。
食事をもそもそと頬張り、ふかし芋を口の中の水分が全部なくなるまで食べる。
トイレに行ってくるというアリサを部屋で待っていると、彼女が帰ってくる。
その手には、そこら辺で酔い潰れているおっちゃん達が良く持っているスキットルが握られていた。
「ちょ……お酒買ってきたの!?」
「私達成人してるんだし、別にいいじゃない」
「良くないって!」
未成年による飲酒の悪影響をこんこんと諭していると、無事全ての説明をスルーされる。
土魔法で作ったカップになみなみと注がれる酒。ぱっと見でも350mlより多そうだ。
……いや、蒸留酒ってこういう飲み方するもんじゃないからね!?
「今は口うるさいお父さんもいないし。私、お酒って一度飲んでみたかったのよね」
「あんまり美味しいもんじゃないと思うけど……」
「クーンは飲んだことあるの?」
「まあ……人並みに?」
「じゃあ私だけ飲んでないのは不公平よね!」
謎理論を展開しながら、気合いでごり押そうとするアリサ。
俺が飲んでたのは前世の頃の話で、転生してからは一度も飲んだことないんだけどな……。
こういう時の彼女は何を言っても話を聞いてくれないのはよくわかっているため、俺は白旗を揚げることにした。
「アルコールって光魔法の解毒で治せるらしいから、そんなに心配する必要もないと思うわよ」
「え、そうなんだ?」
言われてみれば、カムイはほぼ毎日と言っていいほどに晩酌をしていたけれど、彼が二日酔いになっている姿は見たことがない。
なるほど、たしかに治せるならちょっとくらい飲んでもいいかもしれない。
アリサがぐいっとカップを傾ける。
そして……口に含んだ酒を、全て俺の方に吐き出した。
「ぶーーーーーーーっっ!!」
「あんぎゃあああああああっっ!!」
正面から毒霧攻撃を食らった俺は、ゴロゴロと転がりながら必死になって回復魔法を使う。
半泣きにながら立ち上がると、アリサは露骨に顔をしかめていた。
口の中がピリピリするようで、赤く小さな舌をべーっと出している。
「なんかツンとするし、苦いしマズい……これは人間が飲むものじゃないわね……」
「蒸留酒ってそういうものだよ。水みたくぐびぐび飲むものじゃないんだから」
「そうなの? 詳しいのね」
サークルの新歓で飲まされたことがあったからね、などとホントのことを言っても理解されないだろうから、曖昧な感じで誤魔化す。
とりあえず土魔法で新たなカップを作り出し、その中に氷を入れる。
その中に蒸留酒をちびりと入れてから渡した。
「こんな感じで、氷と一緒に入れて薄めながらちびちび飲むものなんだよ」
「そうなの? でも前に食堂で見た時は、おじさん達グビグビ飲んでたじゃない」
「彼らは特殊な訓練を受けています、参考にしてはいけません」
二人でちびちびと酒を傾ける。
たしかにアリサが言うとおり、ツンとしているだけの高純度のアルコールだ。
こういうの、ウォッカっていうんだっけ?
原液で飲んだらすぐにぶっ倒れそうだったので、水を足して水割りにしてゆっくりと飲んでいく。
「お酒飲むのなんか、久しぶりだな……」
「味は全然美味しくないのね……お父さん美味しそうに飲んでたのに」
「年を重ねると、美味しく感じられるみたいだよ」
子供の舌は敏感だけど、大人になるにつれて舌の細胞が死んでいくって話を聞いたことがある。
大人が酒を始めとした苦いものを美味そうに口に入れるのは、ある種の鈍化だ。
子供の頃に見ると、なんか大人だなって思うけど、真実はそんなもんだったりする。
「ふぅ……でもなんか、ちょっとふわふわするかも?」
初めて飲む酒がウォッカというなかなかハードな飲酒体験をするアリサは、ペース配分を知らずに結構なハイペースで飲んでいるため、既にかなりへべれけな状態だった。
「急に熱くなってきたわ!」
「ちょ、ちょっと、いきなり脱ぎ出さないでよ!」
酔っ払った彼女が突然ストリップ(男気に溢れすぎているため色気はまったくなし)を始めたり、猫なで声ですり寄ってきたり、かと思えばいきなり騒ぎ出したりと、酔っ払ったアリサの世話をするのはそれはそれは大変だった。
今日あったことは、彼女の名誉のためにも俺の心の中だけに秘めておこうと思う。
もう二度とアリサに酒は飲ませないようにしよう。
そんな風に思っているうちに、俺もアルコールに負けて眠りにつくのだった――。
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