第19話


 あの模擬戦以降、アリサの態度がなんだかちょっとだけ柔らかくなった。

 もちろん以前と比べるとという当社比の話でキツくはあるんだけど、それでも無視されるようなことや、露骨な態度を取られることはなくなった。


 自分が暮らしている空間の中に自分のことを嫌いな人間がいるという環境はなかなかキツいものがある。

 だがもうそんな生活とはおさらばだ。


 頑固な油汚れもつけ込めば落ちるように、きつめなアリサの態度も、こんな風に時間をかけてゆっくりと軟化していくんだろう。

 長い目で見ていくつもりだ。


 カムイとメルさんの粋な計らいにより、俺とアリサは以後定期的に模擬戦を行うことになった。

 それによって俺の勉強効率は、一気に良くなった。


 やはり競い合う相手がいるのといないのとでは、モチベーションが違う。


 おかげで俺は上級魔法のうちのいくつかを使うことができるようになった。

 雨雲を起こし気候を変えるクラウディアンの魔法や、火災旋風を人為的に引き起こすフレアボルテクスの魔法なんかは使うだけで戦局を変えられるくらいには強力な魔法だ。


 だが中でも一番伸びたと感じるのは、対人の戦闘能力だ。

 カムイを相手に戦うと、自分の上達を実感しづらい。

 俺の弱点を的確についてくれるおかげで自分の駄目なところはわかるんだけど、なんだか自分の弱さを突きつけられているような圧迫感があるのだ。


 対してアリサとの戦いは、上達しているという実感が手に取るようにわかるのである。


 視線の誘導やフェイント、新しく覚えた魔法。

 自分が手に入れた新たな札で、相手の動きが露骨に変わるからだ。

 以前使った手がすぐ通じなくなるのは、俺と向こうの実力が伯仲している証拠だろう。


 アリサは良き競争相手だ。

 相変わらずこちらへの攻めっ気は強いけど……嫌われてはいないと思いたい。

 ちなみに搦め手が俺の方が得意なため、こちらの方がわずかに白星が多い。


 そういえば、結構粘ってみたんだけど身体強化の魔法を使うことは終ぞできなかった。

 身体強化はセンスがものを言う。

 これだけやって使えないとなると、俺に才能がないということなのだろう。


 おかげで最近の模擬戦は、いかに距離を取れるかという魔法戦になってきている。


 俺自身の肉体が貧弱なままだと戦士型の人間と戦う時にキツいので、なんとかしたい。

 何か良い方法はないもんだろうか……。






「クーン、いる?」


 いつものカムイとの稽古を終えてゆっくりしていると、声が聞こえてくる。

 がちゃりとドアを開くと、そこにはアリサの姿があった。


「……何よ? そんなに変?」


「いや、いつもと印象違うな、と思って」


 アリサが着ているのは、エメラルドのドレスだった。

 頭には髪飾りをつけ、口元には薄く紅まで引いている。

 『誰?』と一瞬だけ思ったのは内緒にしておこう。


「クーン、お父さんが呼んでるわ」


 カムイが?

 一体何の用だろうか。


 二人で階段を下りていくと、そこにはしっかりと身支度をしているカムイ達の姿が見えている。

 彼はきちんとしたタキシードのような服を着て、きっちりとまとめていた。

 見れば隣にいるメルさんの方も、しっかりとめかし込んでいる。


「飯食い行こうぜ!」


 キラリと○庄ばりに白い歯を輝かせるカムイ。


「十分……いや五分待ってて!」


 俺は急ぎ正装をするため、階段を駆け上がる。

 後ろから聞こえるクスクスという笑い声は、不思議と嫌なものではなかった――。




 家を出ると馬車が待機していて、流れるように乗り込むことになった。

 御者をしているのはもっさりとしたひげを蓄えたミドルダンディー。

 いきなりの出来事の連続で、正直脳みそがショートしかけている。


 あまり外食はしてないんだけど、今日はどういう風向きなんだろうか。

 こうしてカムイ達と一緒に飯を食べに行くのは、地味に初めてな気がする。


 やってきたのは『竜の顎鬚』といういかつい名前のレストランだった。

 どうやらかなりの高級店らしく、いかにも高そうな調度品の並んでいる個室へと案内される。


 中に入り、店の料理に舌鼓を打つ。

 この世界の料理には正直あまり期待していなかったが、それは俺の今まで行ってきた店がよくなかっただけのようだ。


 クラッカーのようなさくさくとした食感の薄焼きパンや、ハンバーガーのような肉を挟んだパン料理に、多分ハチミツを使って加糖したのであろうまろやかな口当たりのフルーツジュース。

 コース料理のように順繰りと出てくる一品の数々に、久しぶりに舌が喜んでいる。

 これをまた食べるためになら、金稼ぎに精を出すのもやぶさかではない。そう思えるくらいの味だった。


「しっかしあれ……あれだな」


「あれって何よ、父さん?」


「あれと言えばあれだよ……今日は曇りだな」


「ここ最近ずっと曇りじゃない?」


 ただ俺が料理に集中している最中、三人の中で明らかにカムイだけが挙動不審だった。

 さっきほどから視線があちこちにふらふらと飛んでいたり、妙にそわそわし始めたり。

 たしかにお酒は飲んではいるけど、それにしても様子がおかしい。


 激うま料理にテンションが上がっているんだろうか。

 その気持ちは俺としてもよくわかる。


 俺はこくりと静かにカムイに頷いた。するとなぜか目を逸らされた。

 二人の気持ちは完全にすれ違っていた。俺とカムイはねじれの位置だ。


 次にデザートが来る、という段階で俺の腹はパンパンになっていた。

 やわらか白パンが食べ放題なのが良くない。

 デザート入るかな……と思っていると、急にフッと個室の照明が落とされた。


 すわ襲撃かと思い風魔法を使いながら索敵を行いながら、臨戦態勢に入る。

 ただカムイ達の方にまったく慌てた様子がない。

 すると……


「おめでとうございます~」


 がちゃりとドアを開いて、店員がやってきた。

 ろうそくに照らされたカートの上には、どっしりとしたケーキが乗っている。

 その上には誕生日おめでとうの文字が記されていた。


 あ……そうか。

 今日、俺の誕生日だ。


 呆けていると、三人が手に袋を持っている。

 俺の知識を教えたおかげで、メルさんは既にインベントリアの容量を広げることができるようになっている。そこから取り出したのだろう。

 三人の顔を見れば、取り出したのがプレゼントだということはすぐにわかった。


「お父さん、もっとちゃんとしてよ!」


「そ、そうは言ってもよ……」


 カムイがずっと挙動不審だった原因はこれだったのか……。


 転生してから一度も祝われることがなかったせいで、誕生日自体かなり意識の片隅に追い出されていた。

 前世の知識の誕生日の方が強く覚えているくらいだ。


「「「お誕生日、おめでとう!!」」」


 渡してくれる袋を受け取って、バースデーケーキの上に乗っているろうそくの火を吹き消す。


 この文化はこっちの世界にもあるのか。

 もしかすると、俺みたいな転生者が他にもいるのかもしれないな。


「ありがとう……ございます」


 再び照明がついてから、ぺこりと頭を下げる。

 誕生日を祝われるのなんて、前世でじいちゃんにされて以来だ……。


 気恥ずかしいけれど、妙に嬉しい。


 そんな不思議で、けれど温かい気持ちが、胸の中に満ちていく。


「開けてもいい?」


「もちろん!」


 まず最初に開くのはカムイの袋だ。

 中から出てきたのは、一本の剣だった。


「まだ身体強化は使えねぇが、剣術自体は最低限ものになったしな。真剣の一本も持っておいた方がいいだろ」


 なんでも彼が以前使っていたものらしい。

 大して剣に造詣の深くない俺でも、業物だということがわかる逸品だった。


 続いてメルさんの袋を開けると、中から出てきたのは一本の杖だった。

 マホガニー材のような光沢があり、上側の端に紫色の宝石が埋め込まれている。


「エルダートレントの樹に時空魔法に相性の良い宝玉が埋め込まれてるわ。これ自体が一つの魔道具にもなってるの」


「ま、魔道具ですかっ!?」


 この世界における魔道具とは、基本的には高級品だ。

 もちろん中には測定球のように、ただ同然で配られるものもあったりするんだけど。


 魔法的な効果を込める付与魔法が使える人間は、その数がめちゃくちゃ少ないのだ。

 この国に付与魔法の使い手は一人もいないし、世界全体で見ても二桁に満たない数しかいない。


 付与魔法は血統魔法と言われる、魔法が血統で決まるレア属性の魔法のうちの一つだからだ。

 この魔法は隣国であるヒュドラシア王国の王家の血筋の人間にしか発現することがない。

 多分だけど、特定の遺伝子を持っている人間にしか出現しないんだろう。


「時空魔法に使う魔力を込めれば、周囲から完全に隔絶した空間の中に入ることができるの。今のクーンが本気で使えば、夜にぐっすり眠ることができるくらいには維持できるはずよぉ」


 とんでもない性能だ。

 どんな状況でも安眠ができるというなら、以前はできなかった魔の森での一泊なんかも可能かもしれない。


 正直いくらするのか、まったく値段に見当が想像がつかない。

 ただ間違いなく、金貨千枚は下らないだろう。

 金貨一枚が概算一万円なので、日本円換算すると一千万以上ということになる。


 というかそもそも、魔道具は隣国の王国に伝手がないと買うことすら難しい。

 小市民の俺では、怖くて普段使いできなそうだ……。


「それと……私にももっとフランクに接してくれると嬉しいかなぁ。カムイとだけ仲が良さそうで、嫉妬しちゃうもの」


「……わかった」


 敬語を切り替えるタイミングがなかったのでずるずる来てしまっていたが、考えてみるとたしかにいい機会だ。

 別にメルだけに隔意があるわけでもないし。


「私は、これよ」


 アリサが渡してくれたのは、一冊の分厚い本だった。

 彼女が写した写本で、そのタイトルは『百科図鑑』。

 俺がこの世界の常識に疎いので、これを使って勉強しろということらしい。


「……」


「何よ、不満なの?」


 もちろん、まったくもってそんなことはない。

 ただ今の気持ちを、上手く言葉にすることができなかったのだ。


「あ……ありがとう!」


「わっ、いきなりおっきな声出さないでよ!?」


 最後に誰かに何かをもらったのなんて、一体いつぶりだろう。

 前世の頃じいちゃんにもらって以来かもしれない。


 身体の奥の奥からこみ上げてくる何かが、じんわりと身体を温めてくれる。

 その熱はじぃんと俺の胸を震わせ、その喜びを全身へと広げてくれた。


「えへへ……」


「ふんっ……しっかり読みなさいよね」


 ぷいっとそっぽを向くアリサ。

 その耳の先端は、わずかに赤くなっていた。

 どうやら彼女も少し恥ずかしがっているみたいだ。


「ほらほら、早く食わないとケーキが冷めるぞ」


「ケーキって元々温かかったかしら……?」


 夫婦漫才を始めた二人の言葉を聞きながら、デデンと鎮座しているケーキへと挑む。

 俺達は想像以上にデカいバースデーケーキを、必死に平らげるのだった。


 俺はこの日、本当の意味でカムイ家の一員になれたような気がした。

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