第二章:恋(もう騙されませんよ)

第16話 取り決め


「今日は何を読んだのかしら?」


 私は夕食の時間にアダムとロミィに聞いた。


「僕はモヒカン族の最後」とアダムがフライドポテトを頬張りながら答え、ロミィはミルクを飲みながら「不思議の国のアリス」と答えた。


 二人とも充実した読書時間を過ごしたようだ。


 夕食はパンとミルク、肉、フライドポテトだった。またしてもミラが調理してくれて、私ちは砂漠で食べているとは思えないほど快適な夕食の時間を迎えていた。外出していた私とルイ以外の皆は、しっかりお茶の時間にパンとバターとペストリーを食べたようだ。


「あなたたちに協力することに決めました」


 私の言葉に全員が息を飲んだ。


 私は砂漠のアリス・スペンサー邸宅では、ミラも執事のレイトンもテレサも一緒に食事をすることを求めたので、3人も一緒に同じ食事を取っていた。これは1867年ならば考えられないことだが、あいにく私は過去の人生の記憶を持っている。サバイバルで同じ船に乗ったものは互いに命を預けあう仲間だと3人を説得したのだ。


 私の言葉を聞いた執事のレイトンとテレサとミラは思わず私の顔を見返した。


「あなたたちが言いたいことは分かるわ。でも、もう3人を放っておけないでしょう?アリス叔母の邸宅に闇の禁書をかくまってしまったのだから、もう後には引けないわ。私が3人を自らこの家に入れたのだから」


 私は執事のレイトンに何も言わせないために、人差し指を彼に振った。レイトンは40代の痩せ型の男性で、英国執事の鏡のような人物だ。我が国はイングランドより少し距離があるが、手本となるのはいつでもイングランドなのだから。


 レイトンはお上品に真っ白いナプキンで口元を拭ってから、神経質に灰色のシルクの蝶ネクタイを触った。


「あなたが何を言いたのか分かるわ。でも、もうこれは決めたことなの」


 私は執事のレイトンに繰り返した。彼は縦縞の長ズボンに燕尾の上着を着て、サテンのベストを着ている。ハロッズのカタログで選んだ服だ。エナメルの革靴まで履いて、ここが死の砂漠と呼ばれる灼熱の砂漠の中に立つ一軒家とは思えない完璧な格好をしている。


「こほっ、ディアーナお嬢様に従います」


 レイトンは何か奥歯にものが挟まったような様子だったが、とにかく声を絞り出してそう言った。


「私も従いますわ」


 赤毛を綺麗に結い上げたテレサも、エメラルドの瞳を輝かせて言った。彼女の胸のうちは手に取るように分かる。


 ――冒険よっ!


 きっとそう思っているに違いない。褐色の髪のミラは、ブラウンの瞳を丸く見開いて、「私もでございますわ」とささやくように言った。彼女の胸のうちはきっとこうだろう。


 ――こんな小さな子たちを見放すなんてできないですものっ!


「ありがとうっ!」


 ルイは私たち4人を交互に見つめて嬉しそうにお礼を言った。アダムとルイも互いの顔を見合わせて、頬を緩ませている。


「でも、条件があるのよ」


 私は厳しい声を出した。


「条件とは何?」


「あなたたちのご家族が心配しているでしょう。盗みに行くなんて言わずに実行したのでしょう?今頃、気も狂わんばかりに心配しているはずよ。だから、闇の禁書はここで預かるから、あなたたちは家に戻るのよ」


 私の言葉を聞いたルイとアダムとロミィは一斉に反発の声をあげた。


「なんだって?」

「いやよっ!」

「ダメだ、そんなのは」


 私は3人に手を広げて「待って、3人とも最後までよく聞くのよ」とすかさず諭した。


「いい?私の魔力であなたたちをここまで毎晩連れてこれるわ。だから、解読と作戦会議は毎晩ここで練るのよ。でも、誰にも気づかれずにあなたたちは普段の生活を続けるの」


 私の言葉に3兄妹は黙った。


「その代わり、私もあなたたちに助けてもらうわ。この砂漠の家を維持するためには食料が必要なの。水は近くのオアシスから引いて、濾過装置を使っているからおそらく大丈夫よ。でも、食料はあなたたちの国で仕入れたいの。テレサとミラと執事のレイトンがあなたたちの国で買い物をするのを手伝って欲しいの」


 私の言葉に執事のレイトンとテレサとミラは驚いた表情をしたが、疑問だった食料獲得方法の道筋が示されて、3人は顔を輝かせた。そうだろう。灼熱の砂漠に建つ一軒屋の中だけで1年も過ごすのは、辛いだろう。彼らにも息抜きが必要だ。


「あなたたちの国はザックリードハルトね?」


 私はズバッとルイに聞いた。


「そうだよ、女神。俺らの国はザックリードハルトだ。かなり遠いけど、君に負担が大き過ぎないだろうか。長椅子で飛んできても結構かかったんだ」


 ルイは自分たちの国がザックリードハルトと認めたものの、心配そうに私の様子を見つめた。私はにっこりとルイに微笑み返した。


「私のことを女神と呼ぶなら、任せなさいっ!アダム、ロミィ、心配ないわ」


 会話の行方を黙って見守っていたアダムとロミィに、私は勢いよくうなずいた。


「こんな砂漠に素敵なお家を持ってこれるのだから、ディアーナお姉様を信じるわ。禁書はここに預けるわ」

「僕も!」


 アダムとロミィは信頼しきった目で私を見つめて笑った。


「じゃあ、とにかくありがたい申し出を受けようと思う。あとで一緒に禁書を見よう」


 ルイは嬉しそうに私に言った。私は少し彼の笑顔が眩しかった。よく考えたら、私はさっき彼とキスをしたのだ。


 ――あれは挨拶のキスのようなもの?

 ――ザックリードハルトでは、人を慰める時に挨拶代わりにキスをするのかしら。唇に?


 私が唇にキスをしたのは、アルベルト王太子だけだ。そう思った瞬間、切なくて胸が痛くて、寒くて、惨めな気持ちになった。


「ミラ、この食事は最高だよ!」

「うん、最高だよ、ありがとう」

「僕、またミラのご飯が食べたい!」


 私はルイを始めとする3兄妹の朗らかな言葉に、一瞬で暗い感情からハッと戻された。救われた気がした。


 私は思わず笑った。


「そうね、またみんなで食べましょう!」


 何かすべきことがあるのは良いことだ。私は沈んでなんかいられない。何せ、王立魔術博物館から闇の禁書を盗んだ盗人兄妹をかくまったのだから。


 彼らに協力すると約束したのだから。

 その主犯格のアイドルみたいな青年とキスをしたのだから。


 私の心に少し光が舞い込んだような気がした。


 親友のエミリーのことは忘れよう。どこかで会ったら、ただではおかない気持ちだったが、まずはこの輝くような美貌の青年とその可愛い弟と妹を助けることが先にすべきことだ。


 食事が終わって禁書を預かったら、ルイの家に3人兄妹を連れて行こう。


 親御さんは、どちらの貴族かしら?



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