第15話 覚悟

 私は唇を震わせて泣いた。


 目をつぶってルイを受け入れた。

 涙が溢れたまま。


 温かい唇は私の唇に落ちてきて、私を抱きしめてくれた。


 私が目を開けると、透き通った碧い瞳が私を見つめていた。


「気づいている?季節が秋に進んだ。周りを見てみて。6月21日から3ヶ月くらい未来に進んでいると思う」


 私は彼に抱きしめられたまま、辺りを見渡した。


 確かに。

 でも、昨日アルベルト王太子に「私を振ってください」とお願いをして宮殿から逃げるように帰った時も、美しい秋の紅葉の中を自転車で通ったと思う。


 6月20日に秋の紅葉?

 昨日、果樹園でとった青いリンゴを今朝私は食べていた。6月の果樹園に青いリンゴはない。


 季節が混ざっている?

 昨日から季節が混ざっているの?


「分からない?君はショックを受けたことがきっかけで、未来に行ける魔力を獲得したのかもしれない」


「実は、アルベルト王太子に別れを告げた後なのだけれど、昨日も秋の紅葉を見たの」


 私はルイの言葉に震えながら、昨日自転車で通り抜けた帰り道を思い出して言った。


「でも、過去の秋ではなくて未来の秋だとなぜ分かるの?」


 私に聞かれたらルイは、バルコニーの中から部屋を覗くように促した。そして机の上に置かれたカレンダーを指差した。パリの百貨店が出した1867年のカレンダーが置いてあった。9月が一番上にあった。


「過去ではなく、今年の秋の紅葉を僕らは見ているようだよ」


「未来に行ける力が開花した?」


 ・季節外れの青いリンゴ

 ・美しい秋の紅葉


 どこでどう手にしたのかよく覚えていないが、果樹園でリンゴをもいだ記憶がある。6月20日ならば、果樹園に食べられる青いリンゴはない。昨日の宮殿からの帰り道にみた秋の美しい紅葉は、今朝はもう無かった。アルベルト王太子がアリス・スペンサー邸宅の勝手口を突然叩いた時、扉を開けた私の目に映ったのは青々とした初夏の景色だった。


 私はやっぱり化け物だ。


「バケモノだ……私はやっぱり制御不能な……」



 私は泣けてきた。

 胸が痛い。

 切なくて熱い。

 目から辛い涙がこぼれる。


「違う。君は最高なんだよ!」


 目の前の18歳のルイは、がっしりとした胸の中に私を抱きしめた。


「私が怖くないの?」


 私は泣きながら聞いた。小さなしわがれた声しか出ない。


「怖くなんかないよ。君は俺に撮っては最高だ。女神なんだ」


 彼はもう一度私に口付けをして、私を抱きしめた。


「戻ろう」


 彼は私を長椅子に乗せた。私たちは長椅子の上でしっかりと抱き合った。私は深呼吸をして小さな呪文を唱えた。


「スビトーアデム」

 

 心の中で正しい位置に戻れと願った。


「戻ってきたようだ」


 ルイが囁いたので目を開けると、そこは初夏の宮殿の小さなバルコニーにいた。小さな白い花が房状で咲くエルダーフラワーがあちこちに見えた。美しい薔薇の花も見えた。


「砂漠のお家に帰りましょう」


 薔薇は見たくない。

 私はそうささやいて、護符を握りしめたまま、呪文を唱えた。


 灼熱の砂漠に佇むアリス・スペンサー邸宅の前に描いた五芒星の中に私たちは戻った。先ほどと同じように長椅子は静かに着地した。


 私は無言で長椅子を降りた。家から飛び出してきた執事のレイトンとテレサとミラに小さくうなずくと、2階に駆け上がって、客室のベッドに潜り込んだ。ベッドの中で泣き崩れた。


 人生で初めて人格が壊れるかと思うほどの衝撃を受けた日だった。私は自分の体を両手で抱きしめて、「大丈夫。大丈夫」と言いながら泣き続けた。


 体の震えが止まらなかった。そのまま眠ってしまった。





 目が覚めると、心が決まっていた。


 私が我が国の君主になるしかないなら、受け入れよう。


 私がアルベルト王太子にもったいないのではなく、アルベルト王太子の方が私に相応しくない。彼は私に捨てられて当然の男だ。


 アルベルト王太子が王座につかず、私が君主になるのなら、裏切られた身としては逆転となる。それならそれでいいと思う。


 ルイとアダムとロミィは私の力で救おう。

 アルベルト王太子のことなんて全部忘れて、幸せになろう。

 絶対に運命を変えるのだ。






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