第5話 八芒星とテレグラフ

「アルベルト王太子に自分を捨てるように言っただと?」


 書斎で父は動揺した表情で私を見つめた。ブランドン公爵家の立派な机の前で父は頼りなく立ちすくみ、私の顔を穴が開くほど見つめた。青ざめていて、今にも父は倒れそうだ。


「お前はあれほどアルベルト王太子を慕っていたではないか……何があった?」


 父は私に鋭い声で聞いた。眉間には深刻な深い皺がより、眉尻は心配そうに下がり、父が私のことを心底案じている様子がありありと分かった。


「私の魔力で未来が予知できたのでございます。アルベルト王太子は1年年後にマリー王女に惹かれて私に別れを告げます」


「そ……そんな話が信じられるかっ!だってお前は……彼のことをあれほど……」


 父は厳しい表情で私を見た。私の目には涙が溢れていて、彼に振られた時の事を思い出して身を切るような悲しさに貫かれて肩が震えた。父からすれば、まだ起こってもいないことで、娘の私が最愛の人を退けようとしているように見えるはずだ。


「本当に未来を見たのだな?」


 父は私に静かに尋ねた。


「はい。どういうわけかはわかりませんが、1年後に別れを告げられ、私は不慮の事故で命を失いました。そしたら今日に戻っていたのです。本来は今日、6月20日は私はアルベルト王子に結婚を申し込まれて指輪を受け取るはずだったのですが、私はもう、これから一年後、自分の挙式1週間前になってから無惨に振られるなんて耐えられそうにありません。そうなったらもう生きてはいけませんから」


 父は私の顔をじっと見つめた。そしてやれやれと首を振った。私を静かに抱きしめてくれた。


「分かった。お前の言うことはきっと真実なのだろう。私はお前の魔力を最も信頼している者の一人だからな」


 父は諦めたような表情でそう私に言った。


「ゴビンタン砂漠に電磁式テレグラフをしてみます。魔力で住む家をを動かそうと思います。私にアリス叔母様の家をください」


 私はブランドン公爵家の敷地内にある、私たちが通常アリス叔母様の家と呼んでいる1軒の家を父にもらいたいとお願いした。こじんまりとした家だが、執事やメイドも数人なら住める家だ。アリス叔母様は、スペンサー伯爵家に嫁いだ父の妹だった。アリス叔母様が嫁ぎ先のスペンサー伯爵家から実家のブランドン公爵家に戻ってきた時に泊まる時のためだけに作らせた家だ。華やかで楽天的な叔母で、私は彼女をとても慕っていて、よくその家に遊びに行ったものだ。アリス叔母は、ここ数年は病気に伏せっていてしばらくその家は使われていない。


「アリスの家?それはいいが、本気でゴビンタン砂漠に行くつもりか?」


「はい、今は行くしかございません。アルベルト王太子は、私が今日断ったことに、心から感謝する時が来るはずです。それまでは王妃様の追放命令に従おうと思います」


「ディアーナ。本当に大丈夫なのか?お前はやけになっているのではないか?王妃様はまさかお前が本当に砂漠に追放される事を選ぶとは思ってはいないだろう」


 父は私に静かに確認した。私の心は全く揺れなかった。アルベルト王太子は、1年後には私に愛想を尽かした状態になる。

 

「私は本気です。彼のところに戻る気はありません」


 私はキッパリと父に伝えて、父の書斎を出た。せっかく侍女たちが私の姿を完璧に整えてくれたと言うのに、私は何をやっているのだろう?


 私は公爵家のテレグラフ部屋に静かに入った。モールスが開発したと言う電磁式テレグラフで、ゴビンタン砂漠の状況を確認するのだ。


 1867年現在、世界は数千本単位で建てられた塔を介してテレグラフで繋がっている。相手に魔力がなくても、私はモールスと数々のエンジニアの力で相手の状況を知る事ができる。


 父はこの手のモノに目がない。蒸気自動車、チャールズ・バベッジの世界最初のコンピュータである階差機関も然り。父は夢中になっていた。私は突然蘇った過去の記憶から、父が夢中になっているものは未来を変えるモノだと分かったが、私が直面している問題は愛の問題であり、過去の記憶があるからといって変えられるものではなかった。


 静かに心を沈めて信号を送った。


 しばらくその場で待っていると、暗号が返ってきた。


 私はその内容をじっと見つめて、そばに置かれていた紙にペンでいくつかのメモをした。ゴビンタン砂漠にアリス・スペンサーの家を移動させるのに必要なものを記した。


 ・コリアンダー(脳回路を刺激して、より強く魔力回路を開くのに使う)

 ・護符(昨年、学院敷地内の本殿奥にある石を分けてもらったもの)

 ・ゴビンタン砂漠で移動するに適した座標を書いた八芒星図とマカバスター(ルネ・デカルトの考えた座標を魔法移動軸表に照らし合わせた世界魔法移動地図を参照する)


 それから1年の間、つまり王太子がマリー王女に心移りをして私から心が完全に離れるまでの間、ゴビンタン砂漠で過ごすために必要なものを書き記した。


 ・小麦粉

 ・水の濾過装置

 ・大豆

  

  ――それからなんだろう?家畜を連れて行くべきかしら?とにかく魔術に関する書物は全てアリス叔母様の家に持って行こう。


 私が真剣に紙と睨めっこをしている時に、不意にブランドン公爵家のテレグラフが動き始めた。表示される暗号を見て、私は思わず嗚咽を漏らして涙した。


 それは、アルベルト王太子と私の間で交わされる秘密の暗号だった。


『好きだ。行くな。私のそばにいてくれ。君が必要なんだ。砂漠なんて行くな。君を愛しているんだ』


 私は泣きたかった。同時に嬉しかった。私の中のどうしようもなく彼を愛している部分は、彼のそばにいたがった。彼に今すぐに抱きしめてもらいたがった。彼とキスをしたがった。


 次に、派手な夜会服で強調された胸にキスをしたアルベルト王太子を思い出した。


 ――だめよ。彼がマリー王女に惹かれて私を振る未来が待っているのよ。ここでほだされてはダメ。


 私は涙を拭って、毅然とした態度でブランドン公爵家のテレグラフ室を静かに出た。父の星座の本を父の書斎からもらって行こう。廊下を歩いて父の書斎に戻った。


 心を沈めて父の書斎の扉をノックした。


「お父様、ディアーナです」

「入ってきなさい」


 私が父の書斎に入ると、執事のレイトンがいた。綺麗にまとめ上げられた髪を乱さず、まっすぐに姿勢を正して立っているテレサもそばにいる。ミラもだ。


「いかがなさいましたか?」


 私は静かに父と執事のレイトンに尋ねた。


「今、話がまとまった。お前が砂漠に行く時、執事のレイトンと2人のメイドもついて行ってくれる」


 父の言葉に私は愕然とした。


「なんですって!?」


「お嬢様、私もついて行きます。執事も必要でしょうから」

「お嬢様、メイドとして私もついて参ります」

「お嬢様、メイドとして、話し相手として私もついて参ります」


「お前は、いつまでゴビンタン砂漠にいるつもりなんだ?お前の見た予知では、いつまでの期間なんだ?」


 私は立て続けに執事と2人のメイドについていくと宣言されて、父に質問されてたじろいだ。


「私の予測では1年経てば、アルベルト王子が新たな婚約を発表し、私への追放命令は取り消されると思っています」

「分かった。1年の間だけなんだな?」

「おそらく」


 私の言葉に満足そうな表情をした父は、執事と2人のメイドに微笑んだ。


「頼む。私はディアーナの魔力を信じている。1年だけ、娘をお前たちに託したい」

「かしこまりました、ブランドン公爵家の執事として、最大限のお力になれるよう精進いたします」

「かしこまりました、旦那様」

「かしこまりました、旦那様。お任せください。お嬢様は私たち3人でしっかりとお守りします」


 私は驚いたが、3人の固い表情と父の真剣な眼差しに負けた。


「1年で王妃様の気持ちは変わります。私が保証します」


 私はキッパリと宣言して、父の書斎の豪華な書物棚の中から星座の本を抜き出し、「お父様、こちらをしばらくお借りしますね」と断って部屋を辞した。


 さあ、明日の朝一番にアリス・スペンサーの家をゴビンタン砂漠に移動させるのだ。


 私は階段を走るように駆け上がりながら、持っていくものを素早く頭の中で計算した。アルベルト王太子に会えなくなるが、本望だ。私の切ない恋心はここで断ち切るのだ。


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