第1厄 悪魔の仮面

 ごきげんよう、アビスです。


 此度の幸福者こうふくものは――、


 ――望月恭子さん。十四歳。

 【特徴】は、茶色がかった黒髪おさげになります。


          *


 『わたしたち、ずっと友達でいようね』


 ――あの時、確かにあの子はそう言った。



 〝約束〟


 それは、トイレのちり紙よりも薄っぺらく、そして、その場限りしか価値のないもの。


 個室トイレで水浸しになりながら、わたしは歯を食いしばる。

 閉じられた扉は、勢いよく足で蹴られ、ガンガンとやかましい。


「おーい、恭ちゃん。早く出ておいでよー」


 わたしの友達――だった者が、猫なで声でわたしの名前を呼ぶ。


「さっさと出て来ないと、またお漏らしさせちゃうぞ☆」


「「「「「キャハハハハハハハハ!!」」」」」


 数人の女生徒たちが狂ったように笑い合う。

 声を出すことが出来ず、ただひたすら歯を食いしばっていると、業を煮やした女生徒たちに、今までよりもひときわ強く扉を蹴られた。


「おい、出て来いって言ってんだろうが。そのまま出て来ないつもりかぁ? まだお漏らしが足りねぇみたいだな」


 わたしはビクリと、大きく身体を震わす。

 程なくして、わたしの頭上から、大量の水がぶちまけられた。


「……っ!」


 扉の向こうで、女生徒たちのあざ笑う声が聞こえる――。

 もしも、この世界に〝悪魔〟がいたら、それは間違いなく、こいつ等だと思った。


          *


 憂鬱な気持ちでの下校途中、わたしは不審者と遭遇した。

 不審者は、顔にシックなペイントを施しており、その風変わりな相貌は、どこかおぞましい。

 身を包んだド派手な衣装からは、凡そ一つのことが窺い知れる。

 目の前の異常は、道化――ピエロを模しているようだ。

 警戒するわたしをよそに、ピエロは慇懃な態度で一礼し、朗らかな笑みを浮かべる。


「うふふ。わたくし、魔法使いのアビスと申します。あなたにピッタリな、幸せの魔法ありますよ。お一つ如何ですか?」


 おかしな者の自己紹介などどうでもいい。

 わたしはピエロと目を合わせないように、その場を立ち去ろうとする。


「……あの子たちに復讐したいとは思わないのですか?」

「は?」


 あの子たちと聞いて、思わず立ち止まってしまう。


「うふふ、心は正直ですね。あなたに素敵な魔法を授けましょう」

「さっきからいったい何を言ってるの……?」

「リリカル☆マジカル☆パヤパヤパ☆」


 目の前で突如閃光が走る。

 目を開けると、そこにはもうピエロの姿はなかった。

 ピエロの後には、ハニワの顔のような、奇妙な仮面があるだけ。


「な、なんだったのよ、いったい……」


 わたしは怖気が走り、急いでその場を立ち去った。


          *


 その日の夜、わたしは夢を見た。


 夢の内容はこうだ。

 呼吸が上手く出来ない――仄暗い海の底のようなところで、わたしは自分自身と対峙していた。


「――あいつ等に復讐がしたいか?」


 わたしは、大きく頷く。


「よし。それなら、わたしを食べろ。わたしもお前も食べる」


 わたしたちは、深く抱き締め合った後、〝共食い〟を始めた。

 やがて、骨も残さず全てを食べ尽くすと、虚無がこう口にした。


「これで、お前はわたしとなった。これで、わたしはお前となった。これで、わたしは――あいつ等に復讐が出来る」


 夢はそこで終わった。


「ふぁ~、よく寝たわ」


 今日はよほど深い眠りだったのか、とても清々しい目覚めだ。


「こんなに気持ちの良い朝は久し振りね」


 苛めを受け始めてから、心がずっと沈み込んでいた。

 毎日学校に行くのが辛かった。


 でも、今日は学校に行きたくて仕方がない。

 わたしは服を着替え、登校準備を進める。


 そして、着替えの途中、鏡を見て、ハッとした。


「ど、どういうこと!?」


 ――顔には、

 昨日の仮面が被られていた――。


 わたしは驚きのあまり、鏡から目を逸らす。


 しばらくして、恐る恐るもう一度鏡を見ると、顔に仮面など被られていなかった。


「……良かった。見間違いね」


 鏡を見ながら顔を触り、何も被っていないことを確認すると、わたしはゆっくりと家を出た。


          *


 午前の授業が終わり、お昼休みになると、いつもの日常が始まった。

 醜悪に満ちた悪意の塊たちが、嘲笑を持ってわたしの周りを取り囲む。

 そんな中、ゲス中のゲスがわたしの髪を掴み上げた。


「――恭ちゃん、楽しいお昼休みの時間だよ。さっ、トイレに行こっか☆」


 〝こいつ〟とは、仲の良い友達だった。

 しかし、何が原因でこんなことになったのか、今はもう分からない。

 ただ分かるのは、目の前の〝こいつ〟は、邪悪以外の何者でもないということだ。


(こんな奴を友達だと思っていた自分が憎らしい……)


「アハハハハハハハハ!!」


 わたしの髪を掴み上げながら、悪魔のような笑い顔で、心底楽しそうにしているゲスであったが、わたしはその顔に、ツバを吐き捨ててやる。


「……へぇ。面白いじゃん。あたしに歯向かって、ただで済むと思うなよ……!」


 怒り心頭に発したゲスは、わたしの髪を掴みながら、引きずるようにして、わたしをトイレに連れて行った。


          *


 トイレに着くと、わたしは顔を殴られた。


「あたしを舐めた罰だ。これから、お前の顔を殴って殴って殴りまくってやる……! 原型を留めていられると思うなよ……!」


 それを聞いたゲスたちが、歓喜の声を上げる。


「オラァ!」


 わたしの顔面に拳が叩き込まれる。


「オラァ!!」


 わたしの顔面に拳が叩き込まれる。


「オラァ!!!」


 わたしの顔面に拳が叩き込まれる。


「オラァ!!!!」


 わたしの顔面に拳が叩き込まれる。


「オラァ!!!!!」


 ゲスの顔面に拳が叩き込まれる。


「「「「「――は?」」」」」


 ゲスが拳を叩き込んでいたのは、わたしの顔面ではなく、ゲスの顔面であった。


ひゃ、ひゃがとへた……は、歯が取れた……


 ゲスたちの顔が青くなる。

 それもそのはず、わたしの顔は、ゲスたちがよく知る、いつもの顔ではなかった。


 ――鏡には、

 〝あの時〟の不気味な仮面が――、


 ――わたしは、いつのまにやら仮面を被っていた。


「……これは!?」


 わたしの顔――仮面から、まばゆい閃光が走る。


「ギャアアアアアアアアアア!!」


 突如、ゲスたちが大きな悲鳴を上げた。

 しばらくして、光が収まると、そこには――、精神が崩壊したゲスたちがいた。


「「「「「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」」」」」


 わたしは壊れたゲスたちを見て、一人呆然とする。


「いったい何が起きたの……」


 戸惑うわたしに、どこかで聞き覚えのある声が聞こえ始めた。


「わたしはお前、お前はわたし。あいつ等は、わたしたちの力で、精神を崩壊させた。わたしたちの力は、生物の精神を狂わせること。わたしたちは、あいつ等に復讐を遂げたのだ……!」

「わたしはあなた、あなたはわたし。そうだった。わたしたちは、あいつ等から、勝利を収めたのだった――!」


 まばゆい閃光が世界を包み込む。


 ――バリ。

 ――バリバリ。

 ――バリバリバリ。


 何かが削がれる音――。


 ――気付くと、わたしの顔面は、果物の皮のように、きれいに削がれていた。


「あー、世界が崩れ落ちて行くぅ」


 ――わたしの意識は、そこで途切れた。


          *


 わたくしが彼女に授けた――世にも奇妙な悪魔の仮面。

 それは、人の精神を蝕んだのか、世界の精神を蝕んだのか――。


 うふふ。恐らく、その〝どちらも〟でしょう。

 わたくしにとって、望月恭子さんの世界など、無数にある世界の一つに過ぎないのです。


 さて、どうかご唱和ください。


 〝この世界に幸せを〟

 

 もう分かっているかもしれませんが、そんなのはあくまで建て前ですよ。

 うふふふふ……。

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