世界の"価値"を探究する者

@smithee_sippitsu

第1話 偽名の女

月が輝く夜。


文明の光に照らされ荒野に浮かぶ都市は、昼と変わらずに蒸気を噴き出す。


街中に張り巡らされ配管には圧縮された蒸気が流れ、歯車を回し鉄を駆動させる。


人々は夜の街を酒瓶と拳銃、僅かな紙幣を握り締めて徘徊する。


灯りを放つショーウィンドウ。規則正しく設置された街灯。アール・デコを思わせる建築様式。


新しき時代を象徴するかのような、華やかな表通り。


ならば勿論、裏もある。




煉瓦で舗装され、時折ネズミと熱い蒸気が飛び出して来る無人の地下通路を、足早に歩く男がいた。


彼は年季の入った灯油ランプを片手に掲げ、外見はいかにも中年と言われるような男だった。


寂しくなった頭髪には脂汗が滲み、彼は何かに追われているように頻りに背後を振り返る。そして彼の空いた片手はブリーフケースをしっかりと抱え、それが何よりも大事な物である事が伺えた。


「だ、大丈夫だ!大丈夫……俺は成功する!こ、ここまで来たんだ!死んでたまるか!」


しかし、息も絶えだえで自己暗示を繰り返す彼の行く手からは、"コツ、コツ"と、煉瓦とブーツが拍手をし、彼に避けられない迎えが来たことを伝える。


「おい…おいおいおい!ウソだろ…来るな!来るんじゃない!!!」


暗闇の中から現れた者の、彼に対する返答は、銃声一つ。



明かりを持たずに歩き、硝煙の臭いを撒くその者は、後生大事に抱えられていたブリーフケースを無造作に拾い上げた。

 

地面を転がった灯油ランプに照らされたその姿は、全体的に黒を基調としたフォーマルな印象を見た者に与えた。


コンバットブーツに黒いシルクのスラックス。白のフリルが付いたブラウスの上からは、黒いスーツベストを着込み、黒のトレンチコートを羽織っている。


トップハットの下から覗くシニヨンに纏められた金髪は、黒を基調としたコーディネートの中でひときわ輝き、秋の稲穂のように美しい。


金色に縁取られたモノクルを通して見える碧眼は、人の死に対してなんの感慨も浮かばないのか、感情の無い色を映す。


「はぁ〜疲れた····全く、いつまでこんなこと続ければいいのやら」


そんなことは無かった。ただ仕事に疲れた、労働者の目だった。


女性にしては低い声で愚痴る彼女の音色からは、今回の仕事に対する愚痴と、事後処理に対する憂鬱が多分に含まれていた。



私の名はウェンデル・フェアラート、18歳。

職業、殺し屋。



愛を込めて"ウェンディ"と呼んでくれ。






時は第七変革歴999年。


失われた大陸であったヨルムンド大陸の開拓が始まって、実に半世紀。

激動の時代であった開拓期は今、転換の時を迎えようとしていた。


各国はより良い土地と資源を手に入れる為に暗躍し、人々はミレニアムを目前にしての興奮と、終末思想を煽る宗教家のプロパガンダに翻弄されていた狂騒の時代。


陰謀家、開拓者、宗教家、マフィア、商人。

ありとあらゆる人、モノ、金、情報が集う、

ヨルムンド大陸の玄関口。


蒸気を吹き出し、鉄が駆動し、欲望を溜め込む悪徳の街。


人口200万人を抱える港湾都市の名は


"ニーズヘッグ"




通称"魔都"





「あら、お帰りなさい。ウェンディ」


重厚な扉を開けた先には、見慣れた受付に座り新聞を読んでいる女。


彼女は"ベル・クッシュマン"。


外見の年齢は20代後半で、ブラウンの髪をゆるふわなお団子にしている。黒縁メガネが似合っており、全身ゆるふわなコーデは"お洒落で優しそうなお姉さん"といった印象だ。


「ただいま、ベル」


私は、おざなりに挨拶しながら羽織っていたコートを脱ぐ。


「これ、例の書類。確認よろしく」


私はブリーフケースをベルに渡すと、備え付けのソファーにドカンと腰を下ろし、壁に掛けてあるハンガー目指してコートを空中遊泳させた。


「お行儀悪いわよ」


ベルからのお節介な小言を無視し、私は今回の仕事について振り返る。


「ねぇ、ディアスの奴はなんでビッグカンパニーを裏切ったの?」


ビッグカンパニー。

それは現代における資本主義を象徴する巨大企業群の総称だ。この街ではグレーどころか、完全な黒い事も平然と行う、ちょっぴり危ない企業達。


「知らないわよ。今回の件は急ぎだったし、事前調査はほとんどできなかったもの。よっぽど転職先の条件が良かったんじゃない?」


カバンの中身を確認しながら投げやりに答えられた回答は正鵠を得ず、ありきたりな結論に達した。


先程私が殺めた男のディアスは、ビッグカンパニーの1つである"製薬会社ルーン"の開発局新薬研究部に所属していた。

そいつは何を思ったか、社外秘の資料を手土産に大陸の外へと転職しようとしていた。


そこで資料が流出する前に、ルーンから暗殺及び資料の回収が依頼された、と言うわけ。


ここ"魔都"は、ヨルムンド大陸の東端に位置する玄関口という地理的要因のせいで、こういった逃亡や亡命をしようとする奴が多く集まる。


「だからってビッグカンパニーを裏切るリスクが分からないほど能無しじゃないだろうに。ま、どうでもいいか。ヘマ打った奴の事なんて」


今日は朝からターゲットを張っていたせいで、少し疲れている。それに、室内はストーブが利いてるせいか、眠くもなってきた。


考えるのが面倒になった私の理性はストライキを始め、脳みそと休暇の交渉をしていた時、意識が現実に戻された。


「確認終わったから報告に行きなさい。身だしなみを整えてからね」


ブラウスの裾をズボンから出し、だらしなく着崩していた格好を少し咎めるように注意された。


渋々ソファーから立ち上がった私は、裾をズボンに突っ込み、受付の横にある階段を目指して歩く。


ここは私が所属している殺し屋事務所で、表通りからそれた裏路地の一角に居を構える古い外観をした3階建ての建物だ。


木材で出来た階段をギシギシと合唱させながら、3階の奥。ボスの執務室である通称ボス部屋(私が勝手に言ってるだけ)を目指す。


すると、ボス部屋の前に背広姿の二人の門番がいた。


「退け、中ボスども!勇者のお通りだぞ!」


私は威勢良く啖呵を切り、門番に挨拶をする。


いかにもな強面の用心棒2人は、お互いに目を合わせた後溜息をつき、扉を3回ノックした。


「ボス、ウェンデルの奴が報告にきました」


赤髪の門番が立ち上がり、入室の許可を扉越しに尋ねる。


「通せ」


魔王のように重厚でしゃがれた返事に、相変わらず威圧感のあるやつ、などと内心でこぼしていると、用心棒が扉を開け入室を促した。




室内はそれほど広くなく、手前には応接用の背の低い机があり、ソファーが机を挟んで向かい合うように設置されている。奥にある執務用のデスクには書類が積まれ、ペンやインク瓶、タイプライターが置かれていた。両脇の壁には書類が詰まった棚があり、奥にある窓の横には、私の知らない絵画が飾られてある。


洒落た木目のデスクで背筋を伸ばし、黙々と書類と格闘するのが我らがボスだ。


彼の名は"バロック・ロック"。

熊のような巨漢の男で、黒い吊り目に剛毛だろう硬そうな黒の頭髪をオールバックにしている。無理やり着ているだろうスーツはパツパツだ。顔は悪の親玉と言わんばかりにシワが深く、子供が見たらトラウマになるような顔と言ったら分かりやすい。

端的に言うと、関わり合いになりたくない人物だ。


「ディアスは死亡。目的の書類は回収済み。目撃者もなし。遺体は葬儀屋に運送し、血痕も残していません」


挨拶もせずデスク前に行き、後ろに腕を組みながら端的に必要な事のみを報告する。


今すぐ帰りたいアピールが伝わっていると良いのだが。


「そうか」


ボスは書類から目を離し、ギロリと私を睨めつける。その眼は隠し事は許さんと言わんばかりに鋭く、1年程この事務所に所属しているが、今だに信用されていないらしい。


「ドクターは見かけたか?」


室内をキョロキョロ見回していた私に、ボスはこの都市における支配者の一人である"ドクター"についての質問を投げる。


「いえ、見ていません」


部屋の観察を辞め、質問の真意について考えつつ、今日一日の行動を振り返る。


早く帰りたい…。





啓かれた知識

ロック事務所 裏職員名簿

名:※ウェンデル・フェアラート

性:女

年齢:18

国籍:アストラリス

因子:不明

前職:不明

出身地:不明

身長:170cm

外見:金髪碧眼・脚は長く中肉・容姿は整っている

備考:※偽名の可能性が極めて高い。調査するも、経歴・因子、共に不明。注意されたし

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