第19話
◇
俺は返事をしなかった。彼女の言っている言葉が、いつのどれであるかを判別できなかったから、花村が続きを話すのを待つようにした。そうすればいいと、俺はなんとなく思っていた。
思い当たる節はあった。思い当たる節はあっても、それを口に出すことは容易ではない。ここですれ違っていることを感じてしまえば、それだけで俺は自分に対して嫌気がさしてしまうだろうから。
傘の中にいる彼女の方へと視線を移せば、花村は錆が目立つブランコのほうを眺めていた。彼女の視線は懐かしさを思い出すような、そんな慈しみが含まれているような風にも感じることができ、俺はその視線に紛れるように砂場のほうを見つめてみる。
「思い出の場所なの?」
花村は、俺の様子を視界に入れた後に静かにつぶやいた。返事をしなかったことが気に留まったのかもしれない。それでもあの言葉に返す気持ちを口にできないのだから、目の前の話題に食いつくように俺は頷いた。
「よくここで妹と、……そして幼馴染と遊んでいたんだ」
──回想が頭の中に過っていく。
幼稚園から小学生の頃、何度も通っていた公園の中、俺たちはいつだって砂場を独占するように遊んでいた。
砂場の中では、毎度のごとく、家から持ってきた小さなバケツを使って、各々が城を作って、それを自らの城だと見立てて遊んでいた。
俺はそれに混ざらなかった。混ざる気にはなれなくて、周囲にいる同性の子を見つめて、仲間に入れないことを悲しく思っていた。それを慰めるように、幼馴染が「ここが翔也くんの部屋だよ」と声をかけてくれたことをよく覚えている。
妹もそれに対抗をするように、少し大きな砂の城を作り上げていた。「お兄ちゃんはここだよ」と幼馴染に見せつけるようにして、互いが互いに俺を取り合うようにした。
最後にはいつも喧嘩になって、片方が泣くまで終わらない口喧嘩になった。毎日泣く人は変わって、俺がいつもそれを慰めるように声をかけていた。
どんな声をかけていただろう。取り合っていたのだから、俺の存在を彼女たちに明け渡すような、もしくは約束をするような言葉だったかもしれない。
それを片方にかければ、片方が泣いて、片方にまた声をかければ、また元の状況に戻っていく。少し混沌とした状況だったけれど、そんな状況だったからこそ、俺は未だに過去へと縋りついているのかもしれない。
そんな約束も、もう存在しない。
幼いころの思い出は幼いままで、歳を経たあいつらはそんなことなんて忘れて過ごしている。誰も、俺以外はそんなことを気に留めやしない。それが普通であり、それ以上のものは求めちゃいけない。
けれど、心の中には不足じゃないのに不足しているものがある。
欠けてしまっているものを補おうとする何かがある。
誰かが忘れてしまった片隅の思い出を抱えて、未だに合わないピースを探し続けている。
そんなピースが見つからないのは俺自身で理解しているはずなのに、それでも求めてしまう卑しい自分がいる。
だから、俺は後悔をしないことを選択した。
どれだけ求めても、それが覆ることはないのだから、後悔した気持ちを殺して、すべてをなかったことにした。
……ああ、そうか。
今更でしかない、気づけなかったことに、目を逸らしていたことに気が付いてしまう。
気が付いて、嫌気がさす。恥ずかしさに顔を覆いたくなる。
単純なものだ。単純でしかない。
俺は、どこまでもさびしんぼうで。
いつまでも、人を求めてしまう人間なのだ。
◇
「大丈夫?」と隣から声が聞こえてきた。
意識はぼんやりとしていて、彼女から声が届くまでの間、呼吸を繰り返すことしかできていなかった。
その声に顔を向ければ、言葉の通りに心配そうな表情を浮かべている花村の顔が浮かんでいる。
人がすぐ隣にいるというのに、ましてや身内でもない他人が近くにいるというのに、勝手に郷愁に浸るなんて失礼なことでしかない。
けれど、彼女の表情を見れば、どこか爆発してしまいそうな感情の節が心の中で見えては隠れて、鬱陶しい。
こんな時に言葉を吐くべきではない。そんなことはわかっているのに、衝動というものは身体を動かして、そうして喉から言葉が漏れ出てしまう。
「きっと、俺は主人公になりたかったんだろうなぁ」
俺は、そう言った。
どこかの物語の主人公。俺はそれになりたかったのかもしれない。
主人公であれば、きっと様々な後悔を抱いても行動ができたのだろう。後悔を抱く前に行動することができたのだろう。言葉にすることができたのだろう。今の俺とは違う未来を手にすることができたのだろう。
けれど、俺はただの村人Aだった。
いつか花村が俺に対して呟いたように、俺は村人Aでしかなかった。
物語の主人公にはなることができず、ましてや登場人物になることも許されず、ただ世界に存在するだけの人間。それだけでしかなく、他人に自分を求められることはない。
だから、俺は花村に惹かれたのだ。
これが好意なのか、それともただの興味か関心なのかはわからない。
でも、彼女ならこの気持ちがわかるのかもしれないと、同一に重なる部分があるのかもしれない、と期待する気持ちが俺の中にはある。
今日傘を忘れてしまったことも、彼女の一言に揺らいでしまったことも、吐き出すべき感情を吐き出さず誤魔化したことも、対等でありたいと真に願ったことも、こうして彼女に今言葉を告げていることも、すべてがすべえ、彼女への気持ちなのだ。
そっか、と彼女は言った。
彼女の頬は緩んでいて、安堵をするような薄い笑顔を浮かべている。けれど、それは義務的とは思えない、心の底から浮かべているような感情の発露であると俺は感じた。
「私と同じだね」
花村は、確かにそういった。
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