第29話 伝説


 古今東西ツツウラウラ。いくら草の根 探し分けたとて、ジクウ流ほど刀に通った法はない。剣を極めようとし、またその剣で世界を変えようとしたものならば、必ず誰もがその名に触れる。ともあれ、名を聞いた者の寿命は短い。なぜなら名を聞いた者、ひとりは『我こそ最強!』 と勇み足でジクウに挑み、ひとりは『無理。俺を殺すのは俺』 と腸に刃を刺す。またひとりは『その剣術やどこに?』 と旅に出て、さらにひとりは『所詮たわごと』 とアグラをかいた。だが、近づけど遠ざかれど、いつか死ぬ。


 ジクウ流。その流派は千年前…いや、これは人の暦でのこと。ジクウ流が生み出された地獄の年月で言えば、約一万年前に生み出された。地獄とは、あらゆる力を没収され、ただ蹂躙されること炎のごとし。地上の罪を洗うための、底にある燃える川のような場所だった。川は赤い。臓物に響くような轟音と、まるで細胞の一個づつに酸の針を刺したような痛みが、絶え間なく続く。


 そんな中、異物が現れた。その人間は天上の身でありながら、友を救うために地獄へ参った特例である。神様はその友を想う気持ちに頷き、特別に『剣』 というそれだけの武器を授けた。剣とはすなわち、始めは両刃の西洋剣であったといわれる。人間はそのブレードを携えて、地獄へと向かった。結果あえなく消滅した。


 地獄に、一本の『剣』 だけが残った。あぁ、そうだ。無力で、蹂躙される他なかった地獄の住人に、『武器』 が舞い降りた。亡者はその剣に手を伸ばし、砕けた頭から飛び出た目玉を向け、バラバラの四肢は柄に添えたまま地へと伏す。剣は、亡者の羨望を吸った。


 やがて、1人がその剣を手にした。その頃にはもう、剣は血液を浴び、恨みを纏い、まして地獄の瘴気に当てられ続けた刀身は、まだらの模様を浮かべて岩に挟まっていた。岩とは、針山の麓にある魔王の屋敷。庭の枯山水に置かれた岩である。よく映えている。


「良いなぁ、メッチャ良い」


 魔王が言った。


「良い…」

「良いでございますか?」

「良いよぉ、良い」

「ありがとうごぜぇやす」


 魔王の腰を踏むマッサージ師(動物園からラクーン盗んで地獄行き) が、さらに強く腰を押した。『グリッ』「おわぁ!良くない!」「すいやせん!」 しかしマッサージの最中だというのに、その視線は魔王の背中ではなく、枯山水に注がれている。厳密には、真ん中にある岩…デカいハンバーガーを留めるピンみたく刺さった『剣』 にだ。


『ゴクリ』


 『走ったらイケるか?』 邪念が湧く。しかし、湧いた時点で企みは失敗する。なぜなら今に足で踏んでいる魔王こそ地獄の長であり、亡者共のいかなる邪念をも彼によって察知されてしまう。これは周知の事実であり、マッサージ師も視線を魔王に戻さざるを得なかった。


 しかし、その時!


『バゴォッーーンッッッ!!!』


 魔王宅の壁に、ポッカリと穴が開いた!


「!」「うわぁ!」


 魔王はマッサージ師の乗っていた体を起こし、穴の方を見た。すると、向こうには人間。地獄の亡者らしく髪を刈り、ひどく痩せた体躯をしている。性別さえ分からず、まして年齢も不明。しかし、不思議はそこに無い。不思議は、その人間が両手で掴んでいる地獄番の死骸にあった。


『嘘だ…地獄の亡者に地獄番は、絶対に殺せない。そんなの出来たら、地獄が崩壊しちまう』


 マッサージ師は床に手をつき、腰を抜かした。だが、魔王は既にその仕組みを見抜いていた。


『右の手にある地獄番。鉄の棍棒で殴られておる』


 鉄の棍棒とは、地獄番の武器。『すなわち、奴は地獄番の懲罰を上手く躱し、それを別の地獄番に当てた』 これなら亡者が攻撃したワケじゃないので、するりと地獄番を殺せる。『賢い者なら気付く。が、やってのけるには相応の壁がある』


「お前、名前は?」

「…」

「おっ、おいおい」


 魔王の問いかけに、亡者は答えない。「答えた方が、いいぞ」 マッサージ師が追随。しかし、これは根っからのアドバイスだった。魔王の問いかけに答えないなど、正式な地獄住人である地獄番にさえ許されない。まして亡者など…最悪、あの『無間地獄』 に送られるかもしれない。


「引け、マッサージ師。また後で呼ぶ」


 「う…」 命令も絶対だ。マッサージ師は平伏したのち、細かな足取りで去って行った。しかし、その視界の切れ端には、やはりあの人間がいる。『信じられない愚行。いや、しかし』


『何だあの、澄みっぷりは』


 マッサージ師が去ったことを確認すると、魔王は片膝を立てて座った。


「もう一度問う。名前は?」

「…」


 返事の代わりか、両手にあった地獄番の死骸を『ドサッ』 落とした。


「ふむ、ふむふむふむ。なるほど。異だな」


 なにが異なことか。すなわち、死骸が2つあることがだ。先ほどの方法で殺しを成したならば、死んだ地獄番を棍棒で殴った方は生きているハズ。しかし、現に死骸は2つ。魔王は棍棒の跡が『無い』 方の死骸を見た。


「お前、元より地獄番ではないか?」

「! …」


 返事はない。が、確かに今、動揺した。『なるほどな』 地獄番はその任期を終えれば、人間以上の存在に転生できる、高倍率の職業だ。しかし、転生後の地獄番が底に堕ちるなどとは、滅多にない。魂に刻まれた記憶が、地獄の存在を肯定するのだ。地獄があると分かっていて、悪事を働く人間はいない。


「驚いた。転生を経てなお、力が残っていたとはな。ましてその力で元同胞殺すなど…しかし」


 魔王には、地獄の邪念を読み取る能力の他に、見ただけでその者の罪を看破できる能力がある。それによれば、目の前の人間の罪は


『人斬り。それも2ケタはくだらん』


 極悪人。だが、しかし。


「何故に。地獄を知ってなお、大罪を犯した」


 亡者は黙っている。自身の罪を覗かれたことは、元地獄番でなくとも予想できた。代わりに、罪に至るまでの過程を話さねばなるまい。話さねば、罪は文面のまま、情状酌量の余地もなく裁かれる。


『さぁ、話してみるがいい。お前の人生を』


 魔王は腰を落ち着け、亡者の言葉を待った。


「…………剣」

「…剣が、どうした」

「俺ァ、剣が好きなんだ」

「!」


 瞬間! 亡者が枯山水へと足を踏み入れた! いや、どころか! 敷かれた砂を次々に踏み荒らし、超特急で駆け抜ける! その先には…剣。『やはりか』 魔王はあぐらをかいたまま、手を前に突き出した。


「罰!」


 『ぐわぁぁ!』「!」 地獄の赤い空。そこから、大きな手が振り落ちる! 周囲にいた地獄番たちは、その圧倒的な物量に身震いした。 「握りつぶせ!」 言葉通りに、手はまるで大蛇のごとくウネって、亡者に組み付こうと伸びる!


「カァッ!」


 避ける! だが、オトリだ。あえて分かりやすい空から手を伸ばし、視線をそちらに誘ったのだ!


「ほっほ、お前が欲しいのはこれだろう」


 魔王は枯山水の岩の上から、剣を指示棒のように降った!

 「…チッ」 憤った亡者! 宙に身をひるがえし、また空からの手首を蹴っては、さらに跳躍した。が、既にその上半身はない。上半身は、地面に落っこちている。


「どうだ、気分は」

「…」


 刹那の時間。魔王は剣を振り、亡者の体をバッサリ両断した。「ふむ、最悪の切れ味だな。これは」 魔王はまだらの模様を見ながら、顎を指でさすった。「…」 亡者は、それこそ亡者らしく、恨みの目で魔王を見ていた。死んではない。地獄の住人は罰を受け続けるという特性上、何があっても死ぬことは無い。時間が経てば再生し、また罰を受ける。


「よこせ…」

「おぉ、初めて自分から喋ったな」


 亡者は上半身から手を伸ばし、その剣の柄を今もって握ろうとした。その姿には、あのでさえ魔王も哀れみを覚えた。罪を見る能力をより深く使えば、『泥棒』 や『暴力』 などあり、初めての罪は幼少期のことである。近所の住人に出自を笑われた晩、その住人を待ち伏せして何度も殴ったのが始まりだった。


『しかし、この魔王に襲い掛かったとあらば、相応の罰を受けて貰う」


 魔王は剣の刃を、素手で持った。それほどに剣はナマクラと果てていた。そして、柄の方を亡者に向ける。


「汝、この剣と共に、無間地獄に入れ」

「…」


 無間地獄とは、名の通り、真っ暗な牢獄へと無限時間とじ込められる罰のことだ。その場所はいるだけで全身をヤスリがけ されるような痛みに襲われ、恐ろしいことに、それ以外に何もない。途方もない時間をかけてヤスリの痛みに慣れた後、慣れても先が無いことに気付き、大半の罪人は廃人と化す。


「さぁ! 時間はたっぷりある。存分に好きな剣を振るうがいい」


 『ガサゥ』 影から、大きな化け物が姿を現す。地獄番だ。牛の頭をして、その異常とも呼べる二階建てくらいの巨体を、ズンと張りツめている。

 「連れていけ」 その言葉と共に、地獄番は亡者の上半身をツマむように持ち上げ、どこかへと持ち去った。


 ………誤算が、2つあった。


 魔王は亡者の姿に哀れみを覚え、せめて好きな剣と共に、無間地獄へと収監した。

 一つ目の誤算だが、さて、この『剣』。最初の方に説明した通り、血液を浴び、恨みを纏い、まして地獄の瘴気に当てられ続けた刀身は、まだらの模様を浮かべている。この『まだら』 がマズい。まだら とは、実のところ亡者の怨念そのものだった。それが刀身に浮き出た剣など、亡者自体と変わりない。


 『地獄の住人は罰を受け続けるという特性上、何があっても死ぬことは無い。時間が経てば再生し、また罰を受ける』


 剣もいずれ、再生する。加えて亡者。元地獄番という以上、怨念の扱いには長けている。


 二つ目の誤算は、無間地獄の特性。『ヤスリがけ されるような痛み』。

 剣も、亡者である以上、そのヤスリを受ける。無限の時間、絶え間なく…磨かれる。


 やがて、無間の中で一億年経った。


「…完成した」


 亡者は、その手の中にある、今や立派な相棒を見つめた。刀身のまだらは、もはや まだら と判別付かぬほど点が広まり、黒一色となっている。元地獄番はそれを見つめ、ニタリと、九千年ぶりに笑った。最後に笑ったのは魔王の誤算に気付いた時だった。


 全身の皮膚を、まるで激しい砂嵐が吹き付けるように、ザリザリとした研磨が通っていく。

 その中で、亡者は剣を、まるで野球のバッターのように両手で握り、腰を…異形とも呼べるほど、グッ、グッ、グッ、回した。


「開闢、修羅道、道を開き、切り伏せた死体の上を歩こう」


 やがて、時は来た。


「『無転・地号道ツチクレ』」


 …………音さえない。ただ、亡者は思わず目を瞑った。一億年間、目に入れなかった光という存在が、目の前にある。


「あ、あぁあああああああぁぁ」


 外から、声が聞こえた。その声というのも、久々のものだった。


「無間地獄が、わ、わ、わぁぁっぁぁぁっ」


 亡者は薄く目を開けたまま、その光のある穴へと、手を伸ばした。


 …以上が、ジクウ流の概要である。時も空間も超えた、無間地獄から抜け出した剣。これが名前の由来だ。後に亡者は剣の振り方を教えて回り、そこからジクウの技が流れ始めた。


 その技は、やがて人間界にたどり着く。ジクウ流は次元を切り裂ける。つまり、地獄から人間界への移動など、たやすいことだった。亡者はもう、亡者ではない。人間の師範として、長い時を生きた。


「それが俺の先祖様ってワケ」

「ふ~ん、えらい嘘くさい話やなぁ」


 ジクウは自慢話をスカされると、身を縮こまらせて缶コーヒーを飲んだ。

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