第28話 カフェイン・夜・ダイナマイト
「むにゃ…ふぎゃ!」
事務所のソファ…の下の床。寝ていた女が、まるでドテッ腹に鉛玉でもブチ込まれたかのように、バッと起き上がった。口は半開きのままに辺りを見渡し、熟睡から解放されたばかりのフラつく脳ミソで、少なくとも家ではないその場所の把握に努めようとした。
「ハッ! そうだ。私はボスに言われて事務所に寝泊まりしたオゥロンだった!」
「その言い草。まさか自分の名前まで忘れてたのか?」
部屋の一角から声がした。「あ、ボスだ」「おはよう…つっても夜だがな」 並んでいるデスクから、ちょこんとハミだしたボスの頭が見える。目線は下の書類を見たままで、サラサラとボールペンを走らせていた。
その斜め上辺りにある時計は10時を指している。事務所の蛍光灯が存在感もって点いているあたり、間違いなく夜の10時だろう。オゥロンの後ろの窓はもう暗い…嘘だ。街のせいで明るい。
「コーヒー、飲むか?」
「えぇ! ボスのコーヒーだってぇ!?」
「飲むんだな」
ちょこんとハミだしていたボスの頭が動き、イスから降りたことで完全に見えなくなった。まるで浮上していたサメのヒレが潜水したようだった。可愛らしい。やがて、シンクのある場所に再び浮上した。シンクにはボス専用の踏み台が用意されている。ガチガチに金属で造られた特別製で、前にターザンが動かそうとしたとき、腰をハチャメチャに壊した。
「あれ、てか皆は?」
「帰ったよ、とっくに。10時だぞ? いられちゃ大問題だ」
「私はぁ?」
「例外中の論外だ。寝てただけじゃないか」
「えぇー、お留守番という大役をマットウしたじゃないっすか~」
「今日、客がひとり来たのを知ってたか? シオンが応対したらしいが」
「へ~!」
「…」
『カチッ』 ボスはコンロに火を点けてヤカンを乗っけた後、横の戸棚からインスタントコーヒーのビンを取り出した。
「明日、チルトットグループに行く。お前も付いてこい」
さらにマグカップを1つ。置いて、コーヒー粉を入れた。
「古巣だろ、お前の。どうしても聞いてほしい話があるんだ。何とかクチ利いてくれないか?」
「だっははははは! はは! ボス! それマーージで言ってます!?」
オゥロンは狂信者のごとく笑い転げると、そのまま壊れたオモチャじみて手を叩き始めた。オーバーなリアクションはオゥロンの特権だし、ボスも慣れたモンだった。
「私が行ったって、どーせロクすっぽハナシ聞きゃしねッスよ!」
「そりゃ行ってみなきゃ分かんねぇさ。何であれトッかかりが欲しいんだ」
「だっはっは! トッかかりってば! そりゃボスの体にはトッかかりナイですけど!」
「前時代的なジョークは止めな。夜だからって容赦しないよ」
「トッかかりトナカイ!」
「新しいな」
『ピーーーーー!!』 ヤカンが吠えた。「お前、砂糖は?」「ありったけ!」「へいへい」 ボスはヤカンからお湯を、マグカップにトクトク注ぐと、食洗器からスプーンを取り、砂糖を入れてグルグル掻き混ぜた。それから
まだ粉も残っているインスタントコーヒーのビンにも、お湯を注ぎ入れた!
「ほら、出来たぞ」
マグカップの方をオゥロンに渡す。
「わぁ、てっきり自分ソッチを渡されるもんかと」
「? やらねぇぞ」
「いらねぇッス! マズそうなんで!」
『ズズ…』 ボスは砂糖も入れず、そのカフェインダイナマイトを飲んだ。
ビンにはマジックペンで横線が引かれている。このラインまで粉が減ったらダイナマイト作っていいよという合図の線で、シオンがコーヒー買うたびに引いていた。引かなきゃ、経費面でも健康面でも終焉だった。
「顔見知りとかいるだろ。チルトットに。どうしても行きたくないんなら、ソイツを紹介してくんな」
「え~、ん~。そりゃいるにはいますケドォ。自分メッチャ嫌われてたんでぇ。タブン出てくんないッスよぉ」
「ははは、嫌われてたのか」
「あ! ヒッドいッス! ボスだって業界のハナツマミ者のクセに!」
「そりゃあな。この事務所はそういう奴らの集まりだ」
ボスはデスクに座り直すと、またサラサラとボールペンを走らせ始めた。「ターザンもシオンも、辞めた燐木もそうだった」「今は亡き兄貴も?」「死んでねぇ。フラッと旅に出てるだけだ」 書類を1枚めくる。と、「あ、そうだ」
「そういえば、今日燐木にあったぞ」
「え! あの変態ちゃんに!?」
「変態? マジメな奴だったろうが」
「わーお、心までカチカチに出来てんスかボス。ありゃ忘れたころにシレッと捕まってるタイプっスよ」
「そうなのか?」
外は、ネオンだけで明るい。騒音も冷めやらぬ街の空気は、夜の中でうごめくように活動していた。その街の一角にある事務所。の中で、2人は日を跨ぐくらいまで雑談を交わした後、それぞれソファーとデスクで眠りについた。
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