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寝袋男

「私の何処が好き?」

そう訊かれて僕は「笑顔」とか「意外と男勝りなところ」とか応える。

そうすると相手は満足そうな表情を浮かべたり、はにかんだりして見せた。

しかし僕は本当の事を話してはいない。勿論彼女の笑顔や、そのさっぱりとした性格を魅力と感じているのは事実だ。しかし本当のところ、それらは付属品として、後から魅力と感じただけで、僕がそもそも彼女に惹き付けられた理由は違うところに存在する。

その『瞳』だ。


彼女の瞳の色は、僕が住む国には少し珍しい色だった。僕はそれにどうしようもなく惹きつけられてしまう。過去の恋愛も、その瞳さえあれば、姿や声、その性格の気になる部分には目を瞑ることが出来た。いや、むしろ最初はその瞳しか見えていなくて、関係を持つようになってから、その姿や性格が視野に入って来るというのが本当のところだった。こんなことは本人には言えない。僕が変なのは百も承知だし、結果的に全体を好きになっていることに変わりはなく、その真相で相手を傷つける意味は特に感じられない。僕が多少の後ろめたさに耐えれば済む話だ。

しかし、僕が相手を、瞳を中心に愛していたとして、相手が僕を愛し続けるとは限らない。毎度「優しすぎる」という理由から振られた。後になって自己分析してみると、自分が抱える瞳のフェチズムへの後ろめたさから、相手に過度に優しくなる傾向がある様で、それが返って相手の負担になったり、そこに男らしさが感じられなくなるらしかった。ガサツで横柄な感じの男に彼女を寝取られたこともある。

そんな自己分析の結果、あるいは寝取られた結果として僕は少しばかり荒れたりした。彼女なんて要らない、と籠る、または一人で街を彷徨うことが増えた。

しかし欲望だけは沸々と湧いて出る。都合よく僕の求める瞳に出会うことは少ない。結果的に僕は肉体を商品としている女性をホテルに呼び、ネットで買い求めたカラーコンタクトをつけてくれとお願いした。

「そんな注文初めて」とその女性は笑った。

最初は騙された様に、彼女が好きになった。付属しているその体も。しかし段々と熱が引いていく。「それは偽物だ」と言う冷静な自分が背後から見つめている様な感覚に陥り、途中で僕は役立たずになるのだ。

僕は余ったカラーコンタクトをゴミ箱に投げ捨てた。


暫くは悶々としたまま、仕事に没頭した。そうせざるを得なかった。しかしリビドーの逃げ場となったせいか、仕事の出来は悪くなく、それが徐々に楽しくなっていた。仕事関係の女性から「なんだか男らしい顔つきになりましたね」という言葉も投げかけられた。このまま普通の男になれるかもしれないとその時は思えた。


仕事の人間関係の中で、顔を合わせず、メールと電話のみでやり取りをしていた人物がいた。作家の暮田美波(くれた・みなみ)と言う人で、一昨年ネット小説の賞を取ってデビュー。出版物の装丁に関する話で、何度か連絡を取っていた。暮田の作品は江戸川乱歩の系譜を感じさせるフェチズム表現の強いホラーミステリが主で、なんだか他人事に思えない題材故に僕もそれを好んで読んでいた。


そんな暮田美波が忘年会に来るという話が出版社の喫煙スペースで耳に入った。実のところ、誰も直接会ったことがないらしく、「美人があんな小説書いてたらなぁ」と妄想を膨らませた男性陣に対して「保健室の先生だって大体おばさんでしょ」と女性陣がツッコミを入れていた。僕は暮田美波の姿を妄想することが出来なかった。


思えば僕は小説を読む時、ヒロインの瞳を僕好みの色にしてしまう。

だからこそその世界観にどっぷり浸かることが出来る様なところもあった。

瞳があるから興味が持てる。しかし瞳を染めて、どっぷり浸かったが最後、そのヒロインが酷い目に遭えば、僕は瞳を染めたことを後悔した。

暮田美波の小説においては、ヒロインは主人公の変態的な性格を包み込む様な形で共に滅びていった。悪くなかった。読後の満足感を反芻し、変なタイプの感謝を持って、僕は暮田美波に会うことを少し楽しみに思えてきていた。


忘年会の座敷に入ってきた男は頭を下げ、

「遅れました、暮田です。」

と名乗った。その場にいた全員がぽかんとその姿を見つめていたが、少しして女性陣が「どうぞこちらへ」と席へ案内した。男性陣の明らかながっかり感が空気を震わせてこちらまで伝わる。

暮田美波が女性陣に導かれ、僕の前にある空いた席に座った。

僕は彼の目を見た。

暮田美波はなかなかの好男子だった。女性陣が一気に賑やかになったのも、男性陣が急に大人しくなったのも頷ける。

「どうも、えっと…」

周囲の女性への対応もそこそこに僕に向かって挨拶してきた。僕は名乗って、先日のやり取りと作品への個人的な感想を述べた。勿論フェチズムの部分は差っ引いて。

「やっぱり直に感想聞くのって嬉しいですね」

暮田ははにかんだ笑みを浮かべた。僕はその瞼が細くなり、瞳が隠れることを残念に感じた。


瞳の色がそれならば、性別すら越えてしまう、自分の衝動が怖くなって、僕はその場を辞して、夜の路をぽつらぽつらと歩き出した。酔いの回る宵。

途中、寂れた商店街に、小さなテーブルを抱える様にして席を置く占い師がいた。1件1000円。普段占いを頼ることはないのだが、今は何か寄る辺が欲しかった。

「何を占いましょう?」

僕は1000円札をテーブルの上に置いて、自分が抱えるフェチズムについてと、今さっきあったことをすらすらと話していた。自分の癖について他人に話すのはこれが初めてだ。全く関係を持たない第三者が有難かった。どうやら僕はずっと話したかったみたいだ。しかし”瞳”がなければ他人に興味が湧きづらい性格から、そもそも友人が少なく、腹を割って話せる人間なんているわけがなかった。

占い師はのんびりと相槌を打ち、少し考えてから年季の入ったカードデックをシャッフルした。先ほどの印象とは打って変わって、手早い所作でカードが場に並べられていく、

「大抵のことの原因は過去にあるのです。過去の位置には女教皇のカードがあります。」

占い師が指し示すカードは、黒い柱と白い柱に挟まれ、青白い装束纏った女の絵だった。

「理知的な女性です。人物像で言えば教師や…」


僕は当時小学生だった。

その頃、教育実習で来ていた女性がいた。女性と言っても当時20そこそこで、今考えればまだ随分子供みたいなのだが、当時の自分からすればものすごくお姉さんだった。年頃もあって、その存在が気にはなりつつもあまり自分から関わろうとはしなかったのだが、僕は他の生徒から揶揄われているところをその人に助けられたことがあった。外見の柔らかさからは想像し得ない、強い声だった。

その時初めて彼女の顔をちゃんと見た。目を見た。

その瞳はとても綺麗だった。


自分の性癖のルーツについて考えたこともなかった。

その”オリジナル”に会う必要があるのかどうなのか、よく分からなかった。あの晩の占い師はきっとこの先どうすべきかも話してくれていたのだろうが、呆然としてしまって記憶が曖昧だった。

会えば、何か変わるかもしれない。何か始まるかもしれないし、何か終わるかもしれない。なんにせよ、今の状態が一番嫌だった。

同級生や母校を巡り、「なに、あの実習生の人好きだったの?」とか揶揄されながら、それを無視しながらも、なんとか今いる場所を突き止めた。

地元の隣の県。学校ではなく、図書館だった。

向かう道中、車の中で、自分の行動の気持ち悪さを感じていた。

着いて、会えたとして、どうする。

「私の性癖の原因です」と言えるわけはない。

その真相を隠したとしても、恩師とは言いづらい微妙な関係の人物を良い大人が探し出して、その目的はなんだと話せば良いだろう。

自分の正体を明かさず、一利用者として近づくか。

どれにしても、気持ちが悪い。アクセルを踏む足が弱まる。

こういう時、面の皮を厚く、なんともなく軽薄に話しかけられるやつを、軽蔑すると共に大きく尊敬してしまう自分が在る。自分にはない男らしさの様に思えた。

そうこうしている内に、目的地到着のアナウンスがナビから流れる。

静かな土地に佇む無機質で大きな建物だった。まるで巨大な墓石みたいだと思って、更に腰が重くなる。

エントランスに入ると、無機質で清潔な空間の奥から古紙特有の懐かしい香りが感じられた。掲示板の催し物のポスターを見るふりをしながらリファレンスカウンターを横目で見やる。彼女に該当する女性は見当たらない。本棚の立ち並ぶブロックへと進む。すると本棚の角から小柄な人影がぬと現れてぶつかりそうになる。

「すみません」

とお互いに軽く頭を下げる。20年近く経っているし、当時掛けていなかった眼鏡を掛けているが、上げた顔には面影があった。彼女だ。

「あの」

気付いた時にはもう口を開いていた。彼女が驚いた様子で目を見開く。そして「どうされました?」と僕を見つめた。眼鏡の奥の瞳は、僕の知らない色をしていた。

「何か…?」

彼女が訝し気に訊ね直す。僕は暮田美波の本を探していると出まかせを口にした。彼女は表情を持ち直し本を探してくれた。比較的新しい本だから、それはすぐに見つかった。僕は彼女が本を探してくれている間、何かの見間違いでは、と彼女の目をもう一度確認しようと試みた。が、その眼鏡に度が入っていることに気が付いた。僕は手渡された本を片手に礼を伝えてその場を去り、こっそり本を戻すと図書館を後にした。


僕が長い間渇望していたその色は、最初から偽物だった。

彼女はかつて度入りのカラーコンタクトをして、教壇に立っていたのだろう。僕はホテルのゴミ箱に投げ入れたカラーコンタクトを思い出していた。

そして今までの恋人たちと、暮田美波の瞳に湛えられたその色を。

トンネルに入る。セピア色が全体を包む。

僕はもう、あの瞳の色を思い出せないでいる。

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