初仕事4

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 世の中分かることと分からないことに二分され、どちらかと言えば分からないことの方に比重が重いのはやるせなくとも受け入れるべき事実なのだが、人間とは傲慢なもの、なかなかに納得しがたくその度に不平を漏らす生き物である。

 かくして公益財団法人ダンジョンワーカー人事部課長、新堂 功も現状に対して大いに不満を抱いていた。

 知らない和室、知らない天井、そして二組の布団。長年使われて来たからか少し綿がへたっているが柔らかく太陽光を目いっぱい浴びて軽い。仮初の宿にしては上等でそれ以上を望むことは横柄とも取られるが、それよりも何より、

 ……なんでなんだろうなぁ。

 ここまでの経緯を思い出してため息をつく。

 真面目か不真面目で言えば不真面目より、ノルマをこなして退社するだけの毎日、時折訪れる問題や繁忙期には多少の残業をし、それでも毎晩愛用のソファーに腰を下ろしてくだらないバラエティー番組を背景に缶ビールを嗜む、どこにでもいるごく普通の会社員だった。それが何の因果か、出先で客の家に泊まるという事態にもなればため息ひとつもつきたくなるものである。

 その元凶、今日入ってきたばかりの小娘を見る。誰が採用したのか、少なくとも新堂は面接をしておらず、当然の事ながら履歴書には身長の欄がないわけで、書類に不備がなければ成人女性なのに見た目は小学生のそれ、今は新堂の横で布団の上に子猫のように丸まり眠っている。




 それは昼というには少し日が傾いた、突然パパと呼ばれ呆気に取られていたときだった。

「……お嬢ちゃん、いくつだい?」

「十一歳になりました」

 嘘である。新卒の二十二歳、サバを読むにしても干支をひと回り近くというのはなかなか豪胆な精神をしているが見た目通りなのが悔しい。

「……お前さん、こんな小さな子を連れまわして――」

 老人の冷たい視線が新堂に向く。なぜ、という言葉が脳裏を埋め尽くす。冤罪だと真実を話そうとする新堂の前に少女が立ちふさがり、

「パパは悪くないんです。ずっと独りでおうちにいたくないって私がわがままを言ったから……」

「……学校は」

「今は春休みで。ママは私を産んですぐに……パパは仕事とおうちのことで忙しいってわかってるんだけど、一日くらい一緒にお出かけしたくて……本当にごめんなさい」

 そうなのか、そうだったか。身に覚えのない設定がすらすらと出てきてしまい、もはや否定するにも時すでに遅し、異性との交際経験はあったものの籍を入れた覚えはないのにいきなりシングルファザーになった、質の悪い冗談が塗り固められていく。

 それでもすぐに否定しようという気持ちにはなれなかった。ここで真実を話してしまえば蓮田からの心象はどん底まで落ちることと、この小さな新人が何を持って荒唐無稽こうとうむけいなことを口走っているか興味を持ったからだ。

 見下ろす先、少女は意を決したようにきりっと顔を上げ、

「おじいちゃん、パパの話をもう一度ちゃんと聞いてほしいの。無理なことは無理かもしれないけど……それでもおじいちゃんを不幸にしたくてパパはお仕事してないから」

 お願いします、と再度勢いよく頭を下げる、こうなるとバツが悪いのは見下ろしている大人の方で、何もしていないのに罪悪感を掻き立てる。それが作戦なのか、

「……わかった」

 まさかの肯定に一番驚いたのは新堂であった。

 ずるい、よりも感心する、そういうやり方もあるのかと、決して真似できるものではないが岩盤のように頑固一徹、話を聞くよりも先に水が飛んでくる態度を氷解させるとは、少女は満面の笑みで、

「ほんと? おじいちゃん大好き!」

 それは演技か本心か、老人に近寄り両手を大きく広げたならすることと言えば抱き着くだけ、数年ぶりの邂逅かいこうでもここまで情熱的ではなく、銀幕の主演女優にでもなったのかやや芝居臭い。本人もやりすぎたと反省したのだろう、すぐに離れると振り返り、今度は仮初の父に向って走りだす。

「パパ、良かったね!」

「あぁ……そうだな。ありがとう、舞」

 なんとなく、そう言わなければならない気がして。

 痩せた腹に顔を押し付ける舞を、新堂は手を伸ばして髪をく。

 麗しき家族愛、その裏で、

「交渉って言うのはこういう風にやるんですよ、課長」

「後で見てろよ」

「そんなこと言っていいんですか? 交番の前で防犯ブザー鳴らしてもいいんですよ?」

「……それは反則だろ」

「ならせめて有能な部下をねぎらったらどうですか?」

「なんだ、おもちゃでも買ってほしいのか?」

 ひそひそと、小さなマウントの取り合いに精を出していた。



 その後もう一度説明するために蓮田宅に伺ったはいいものの、時刻は夕暮れ、片道三時間の道のりでは仕方がないのだが、ろくに話も出来ないまま夕飯はどうするかという話になってしまった。

「簡単なものなら私が作りますよ。いつもの事なので」

 偽娘、舞の台詞のせいでまたひとつ勘違いが生まれていたが、落ちるものなど新堂の評価だけ、ただ長居するつもりは無いと言っても、

「どうせなら泊まっていけ、部屋は余っているんだ」

 打って変わって態度が軟化した蓮田に強くもいえず、気がついたら食事どころか風呂までいただく始末、これではどちらが客か分からぬ様であった。

 そして晩酌に付き合ったせいでろくに説明もできないまま蓮田は寝床に行ってしまい、舞も舞で布団の上でなにかしているのかと思いきや、薄い寝息を立てて起こすことも忍びなく、

 ……なんだこれは。

 ただ流された一日を振り返ると朝には想像も出来なかった状況に驚愕し、しかしそれ以上何か出来る訳でも無く、大人しく不貞寝する他なかった。

 

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