初仕事3
日本におけるダンジョンの所有権は原則その土地の所有者に帰属し、許可なく踏み入ることは出来ないし、売買など以ての外である。たとえ管理できないと分かっていたとしても――空き家がダンジョンとなり既に人が住んでおらず、相続した人が県外にいてダンジョンが出来ている事実すら知らないとしても――まずは通知文書で許可を得る必要がある。日本という法治国家においてそこに例外はないのだ。
では軽トラに乗って現れたのは誰であろうか、なんてことは無い、フロントガラスに映る偏屈そうな皺だらけの顔を見れば一目瞭然で、立ち入る正当な理由を持った人物であることを理解する。
「蓮田さん、どうかしましたか?」
機械は稼働中、特に何か見張る必要もないようで、新堂は自分の乗ってきたバンの後ろへぴったりとくっつけるように止まった軽トラに向かって歩を進める。未来のクライアントへ媚びを売る為か、その表情は馴れ馴れしい笑みに満ちていた。
「お前さんがいつも来るのとは違うからな、下手な真似していないか見に来たんだ」
どうやら信用されていないようで、そう考えたならひとりで来ること自体が不用心であるが、車から降りるほどでは無いらしい。
ウィンドウを開けて覗き見る老人の目が舞と交差する。ここまで
……あっ、あぁ。
思考とは奇なるものでひとつ得心するとシャボン玉のように連鎖して弾けていく、複雑怪奇に見えていた問題も解けてしまえば何故こんなものに頭を悩ませていたのかと馬鹿馬鹿しくなることだろう、舞の心境がまさにそれであり、何に気づいたのかと言えば老人、蓮田が怪訝そうな顔をしている最大の原因が己にあったからだ。スーツ姿とはいえ見た目はただの女児、仕事場におおよそ似つかわしくないアンバランスさが彼の警戒心を一段上に上げる要因という訳だ。
好きでこの身長になった訳ではなく、また志願してここに来た訳でもない、不可抗力であると言っても過言では無いのだが老人にとっても関係の無いこと、特級の不審者がいるという事実は何物にも代えがたく、認めざるを得ない。
……ん?
はたと気付く。学生時代を自堕落と過ごしてきた為、自他ともに認めるほど頭の出来が悪い舞だが、人一倍快楽と人の悪意には嗅覚が敏感であった。その鼻で嗅ぎ取ったのは上手く行けば何かしら好転する可能性と、失敗すれば目も当てられない事態を引き起こす、分が悪い賭けではあるが、
――なおのこと、面白いねぇ。
残念なことにその程度で臆する、殊勝な性格をしていたらもう少し上手く世渡り出来るというもの、ここまでで溜まった鬱憤が背中を押して狩人のように期を狙う。
「ちょうど良かった、そろそろ調査の方も終わりますので結果をお伝え出来ればと思っていたんですよ」
職務に忠実、蓮田の言葉を額面通りに受け取った新堂が稼働を止めレシートのような紙を吐き出し始めた機械を指さして言う。思いの外長いロール紙、重要なことは最後の方にあるようで、新堂は拾い上げた紙を指に巻き付けながら、
「……ああ、結構進んでますね。このままだとひと月持つかどうか、モンスターが外に出てくる可能性がありますよ。蓮田さん、悪いことは言いませんから今からでも――」
「くどい。売らんと言ったら売らん」
再度の交渉も梨の礫、意思は固く譲る気などさらさらないようだ。だから新堂も分かりましたとそれ以上強く言わず広げた機材の撤収に取り掛かろうとする。
このまま帰社して報告して今日の業務は終わり、それで平穏が保たれることを良しとしない人物が一人だけいた。
「――おじいちゃん、それでいいの?」
いつの間にか、正確には軽トラのバンパーに沿うように近づいていた舞が大人二人を見上げていた。
その声は幼児のように柔らかく猫なで声であり、本性を知らない人なら見た目通りに受け取るだろう、その事実に当の本人が一番不機嫌になりながらも顔には出さず、
「今度ここからこわーいお化けが出てくるんだよね? おじいちゃん食べられちゃうよ」
「……この子は?」
「あ、えっと――っ!?」
突如豹変した部下の姿に狼狽しながら口を開こうとした新堂だが、舞のかかとが足の指に踏み下ろされて言葉を失う。痛みを堪えてしかめっ面となる彼に注目されないよう、
「新堂 舞と言います。今日はパパのお手伝いをしてるんです」
平気で嘘をつく、頭を下げてお行儀よくすると隠れた顔には小憎たらしい笑みが張り付いていた。
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