(改訂版)半官半民でいく公益財団法人ダンジョンワーカー

 今より10年も前のこと。世界に激震が起こるとはとても簡単なことで、それは誕生した。山に、森に、海に、平地に。砂漠に、大河に、ツンドラに火山にと。唯一空を除いて無節操なまでに生まれたものは遺跡、後日ダンジョンと広く名が知れ渡ることとなる。

 ある日天地が割れるような轟音と共に、無数の被害を伴って、まるで以前から存在していたかのような顔をして鎮座するダンジョンに初めは混乱もあったものの、次第に順応していき――順応出来なかったものはその命や経済活動を犠牲に埋もれはしたものの――今ではあることが不思議ではなくなっていた。未だ解明できない事象は数あれど、地球にはダンジョンがあった。

 しかし、ダンジョンに関する問題は山積みである。そしてそれに対処する存在というものも確かに存在していた。




 関東某所。とある団体の管理するダンジョンに一際大きな悲鳴が轟く。悲鳴と言っても絹を裂くような可愛らしいものでは無く、百メートルを全力疾走した後の、息も絶え絶え、乾いた喉に鞭打って放つ耳障りな騒音のようであった。

 音源の正体は、名を夜巡よめぐり まいという、女児にも見間違うばかりの背丈の低い女性である。着色したダークブラウンの髪は耳元で丸く、人一倍小さな手足は成長期前の幼さが現れていた。

 ダンジョンは危険で満ち溢れていて、公園の遊具で遊ぶのとは訳が違うのだが、舞も伊達や酔狂、ましてや自死のため、ここにいる訳ではなかった。

 全ては仕事のため、行ってこいと言われればどんな危険な場所でも赴く、それが公益財団法人ダンジョンワーカー、公務員に片足を突っ込んでいるがゆえの悲しき運命さだめだった。


 つるりと磨かれた岩肌で四方を囲われた洞窟を舞は一人走る。危険とわかっていながらの単独行動には訳があって、元々は四人二チーム、考えられる中で万全の体制を整えていた。とはいえ他7人には別の仕事があり、舞は戦力を間借りして後ろをついて行くだけ、お互いそれを了承していた。

 異変が起きたのはダンジョンに入って一時間が経過した頃だった。適度に警戒をしながら、時折思い出したように襲ってくる怪物をいなし、心地よい疲労感と滲む程度の汗、このまま帰れば夜に飲むビールが至高の一杯になるだろう火照った身体、そしてとあることに気付き、腕時計に目を落とす。

 ……遅くない?

 充足感に満ちたものとは違う種類の汗が背筋を流れる、来訪予定の約束の時間まで残り三十分程度だがまだ道程の半分も過ぎていない。普通に考えれば間に合うはずもなく、

「すみません、目的地まであんまり時間ないんですけど大丈夫ですか?」

 チームリーダーの、まだ若い男性に声をかける。

「三時だろ、あと二時間以上もあるのに何心配してんだ?」

 その言葉に胃が凍りつく、立ちくらみに足元がおぼつかなくなり臓腑ぞうふの底から湧いてでる感情が何かを考えるより早く、

「十三時なんですけど! あと三十分!」

 叫び、ぽかーんと口を広げる男性の顔を見て、あ、これはだめなやつだと見切りをつける。

「先行ってますから」

 部署が違えば仕事に対する意識も変わる、安全第一の現場と顧客満足度を重視する事務方、ある程度裁量が任されていることを羨ましく思う反面、上司から苦情を入れてやると心に誓い、

「ちょ、待てよ!」

 制止の言葉を振り切り独り走り出していた。



 ……ここかな。

 というわけで魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする危険地帯に取り残された兎のごとくぶるぶると震えている訳にも行かず、目的地に全力疾走、幾度となく化生の存在から追われながらも振り切り、時に落とし穴に自分から落ちていき、約束の時間丁度に目的地へと着いていた。

 薄暗い洞窟に空いた横穴、それは直ぐに見上げるほど大きな鉄扉てっぴによって固く閉ざされ、その奥をうかがい知ることは出来ない。鬼が出るか蛇が出るか、そのどちらかならまだマシな方で、最悪を想像することは、舞の頭では演算処理が到底間に合わない。ライオンのような動物をかたどった意匠いしょうが施された扉は、精巧で価値のあるものに見えて、どこかで見た事のあるなと思い返せば上野にある地獄の門を前にした時と雰囲気が似ていた。

 しかし今は美術品を見学に来たわけではない。仕事のため、用事をこなすためにはこの扉の先に行かなければならなかった。

 宙を見て、舞は首を左右に振る。いくら探しても、扉を開けるドアノブのようなものは見当たらないず、日本式の外開きではないとしても、押して開くような軽い扉にも見えない。

「すみませーん、ダンジョンワーカーの者ですがー」

 舞は拳を作り、ハンマーのように扉をたたく。ひんやりとした金属は相応に硬く、打ち付けた箇所から悲鳴のような痛みが走った。

 ……。

 しばらく待っていたが反応はない。舞が思わず真顔になる程度には時間が経過した後、がりがりと耳障りな音を立ててゆっくりと扉が開いていた。

 扉に挟まれた隙間から漏れる一筋の光はその太さを増していき、その光を背負って一人の人物が立っていた。

 大きい。舞は彼を見てそう感想を抱く。人類の最高記録を優に超える身長は舞を二人積み上げてちょうどいいくらい。きりっとした目立ちに白の貫頭衣かんとういを身に着け、石の彫刻のように太くたくましい腕は青銅せいどう色がむき出しだ。右手には鋭い金の穂先が輝く、先端が二又に分かれたやりがプリズムのように光を反射させていた。

「――何用だ、赤き民よ」

 異形の男性は瞳だけを下に向けて喉を震わせる。何気ない言葉のはずなのに空気はビリビリと振動し威圧感があふれ出す。

 怖い。普段相手するクレーマーとは違った怖さが舞を襲い、このまま後ろを向いて走り出したい気持ちを抑えて、舞はバッグから封筒を取り出す。A4用紙が入る角2封筒だ。道中ついてしまったしわを丁寧に伸ばして、

「こちら、住民票申請書類になります! 必要事項を記入の上3か月以内の提出をお願いします!」

 斜め45度に腰を曲げ表彰状の如く封筒を両手で差し出していた。

 そんなもの役所にでも任せればいいだろうと思うだろうが、ダンジョンの中は管轄外と突っ返され、仕方なく舞が運ぶこととなっていた。まるで下請けのような仕事だが、仕事は仕事、そこに貴賎きせんはないと言うのは綺麗事で、誰もやりたがらないことをたらい回しにされ、貧乏くじを引かされただけのことであった。

 男性は聞こえていないのか様子を見ているのか、微動だにせず胸を上下させる。舞は不審者を見つけた時の警察のような鋭い視線を後頭部に感じながら、この時間が早く終わることを祈っていた。

「――赤き民よ、おもてを上げよ」

 じんわりとにじんだ汗が大きなたまを作るほどの時間が経ってから、男性は感情のない無機質な声で語りかける。

 舞が姿勢を元に戻すと、男性は指先で器用に封筒を受け取る。手渡しなので封緘ふうかんしておらず、男性は中の書類を見るとペラペラと札束を数えるように確認し、そして、

「そちらの文字はまだ読めんのだ。代読と代筆を願う」

「わかりました」

 返された書類を胸に抱え、舞は深く頷いていた。



 公益財団法人ダンジョンワーカー、そこはダンジョンに関わる全ての業務を肩代わりする、掃き溜めのような会社。関東圏に限った話ではあるが。

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