🔮パープル式部一代記・第六十一話

 道長に藤原保昌ふじわらのやすまさが平身低頭で、ご挨拶という名の謝罪を済ませ、再び、道長の家司けいしとなり、その頃、『彰子あきこ・皇子誕生計画』にとして再雇用された和泉式部は、中宮・彰子あきこさまの発言に腰が抜けそうなほど驚愕きょうがくしていた。


「え? 子どもが産まれる方法? そんなの当然知っているわよ。出雲大社にお願いするでしょ? で、夢に大神様が出てきてお告げがあるのよ。それで、懐妊してから産まれるの! でも、わたくしにはまだお告げはないから子どもいないのよね……ほんと神頼みってこれよね。授かり物だし順番待ちなのかしらね?」

「え……は……」


 藤壺からついてきていた女房たちも中宮・彰子あきこさまの発言に、変な姿勢で固まっていた。

 驚愕のあまり息が止まっていた和泉式部は、めんどくさそうな顔の伊勢大輔いせのたいふに背中を檜扇ではたかれると、はっとした顔で深く深呼吸をし、気を取り直して口を開く。


「あの、その、その話は一体どこから……?」

「もちろん入内前に心得として母君に聞いたわ。まあ、そのあとなにか変な顔で、あとは帝にとかなんとか言ってたけれど、ひょっとしたら帝は、わたくしとの子は出雲大社にお願いしていらっしゃらないのかもしれないわね。あ、わたくしは一応お願いはしているのよ? でも、もう、敦康親王あつやすしんのうがいるし……両親が願わないと神さまにもお願いは届かないのかも……。まあ、わたくしも別にいいと思っているわ。敦康親王あつやすしんのう可愛いから」


「え、そ、そうに……」


 中宮・彰子あきこさまの発言になにかリアクションをしたものか、それとも和泉式部の変な返事に笑ったものか、女房たちは少し悩んでいたが、そもそもこうなった理由はといえば、彰子あきこさまが、あまりにも早くに入内してしまったため、母の倫子みちこをはじめとした周囲は、「この根暗の彰子あきこに、ともかくを! 帝の目にとまればあとはどうとでもなるでしょう!」なんて、平安貴族特有のもはや『第六感・Sixth sense』必需品といえる『お察し能力』を鍛えるのを忘れてしまったのが原因であった。


 いや、そもそも和泉式部の歌に限らず、送り送られる『恋文』の内容に、『お察し能力』を発揮してどうくみ取って解釈するか!? それからどうやって研ぎ澄まされた『第六感・Sixth sense』で相手を虜にするか? なかったことにしてしまうか? いや、思ってもいなかったことを、それとながら自分の歌で大逆転に持ってゆくか!? それが腕の見せどころ平安貴族の貴族たる心構え! そんな冴えわたる匠の技ともいえる『第六感・Sixth sense』がなければ、この時代ではそもそも恋愛弱者として消え失せるだけなのだが、道長の摂関家パワーで入内した「根暗の彰子あきこちゃん」は、そんな物はいらなかったし、なんにもそこから進展していなかったのである。


 当然ながら、和泉式部はすぐ近くにある紫式部むらさきしきぶつぼねに几帳を蹴とばす勢いで駆け込んでゆく。


「藤! じゃない! 紫式部むらさきしきぶ! ちょっと顔かせ!」

「え……わたし執筆中……」

「関係あるか――! あんた中宮さまの家庭教師よね!? なんで一番大切な話を教えていない訳!?」

「え……?」


 うしろから大慌てで小式部内侍こしきぶのないしが駆けつけて、紫式部むらさきしきぶの耳元で、「中宮さまが出雲大社からのとかでかくかくしかじか……」などとささやいて紫式部むらさきしきぶ紫式部むらさきしきぶで、「え? もうそれはもう散々ご幼少の頃から、R指定の“漢文バージョン”物語ですでに解決済みなはず……」なんて返事をしていた。


「え? 物語で教育……?」

「そうそう……ほらこれ……」


 和泉式部は手渡された『R指定の“漢文バージョン”物語』に素早く目を通してから絶望の色を瞳に浮かべていた。


「どうかした……?」

「どうしたもこうしたも……はなからこんなの物語を渡すから、中宮さま物語の本質を少しも分かっちゃいないよ……」

「え……?」


 そうこの『R指定の“漢文バージョン”物語』は、かなり前出の話ではあるが斉信たたのぶたちが、「勉強していてよかったね……」そこの軽い会話に繋がる。漢文が読めれば大丈夫。そんな簡単な物ではないのであった。


 つまるところ、このもとの『R指定物語』は漢籍を深く学び、その上で研鑽を積んだ『第六感Sixth sense・お察し能力』を発揮して、「あ、そうなっちゃったのね……ほう……」なんていう風に読者の能力に応じて、『Rを』できる高度なであり、それは『仮名バージョン』も変わりはなかった。


 つまるところ、「彰子あきこちゃん」は「彰子あきこさま」になっても恋文のやり取りすら、もちろんしたこともなかったので、作者が意図していない深淵のその先まで、『すら』な斉信たたのぶであれば、「おわっ! そ、そんな展開で、あーなって、こうなって……なるほど! その発想はなかった! 目からウロコ!」そんな展開が浮かび上がる箇所も、「ふーん、ふたりは恋仲になったのね。これで三回目のめでたしめでたしか……出雲大社も忙しそう……」なんて、ちょっぴりの上澄みしか理解できていなかったのである。


「出雲大社……その発想はなかった……」

「……教える順番を飛び越えすぎ」

に任せるよ。わたしは執筆に忙しいからさ……」

「もう、わたしが帝を押し倒して今晩にでも実地で……むぐっ……」

「しっ、このバカ!」


 目を血走らせた和泉式部の口を紫式部むらさきしきぶが無理やりふさいで、わざとらしく御簾の外に向かって大声を出す。


「そう! そうなのよね――! 出雲大社! 帝が出雲大社にお願いしてくれないから、いくら中宮さまがお願いしてもそれは無理筋なのよね――!」

「なに言ってんだ、お前がバカ……あ、そうそう! 出雲大社ね! 出雲大社! 先に帝にもお願いしなきゃ! 中宮さまは内親王が欲しいって常々――!」


 紫式部むらさきしきぶつぼねの騒動に興味を持ったのか、敦康親王あつやすしんのうが御簾の外で聞き耳を立てているのに、ふたりは気づいたのである。さすがに本物のお子さまに聞かせる話ではなかった。


 そんな訳ではまさかの苦悩を抱えていた。


 ***


「まあ、敦康親王あつやすしんのうどうされましたか?」

「えっ、えっとその……ちょっと ようじを おもいだしたので、じぶんのへやにかえります」

「まあ、おいしい菓子もございますのよ?」

「え? いえ、すこし いそぎますので……」


 実母と慕う中宮・彰子あきこさまが、「内親王を産みたい」と思っているのに父である帝が出雲大社に願い状を出していないと知った敦康親王あつやすしんのうは、大慌てで自分に割り振られた美しい部屋へ戻ると、女房に紙と筆を用意させて、「ちゅうぐうさまに、まろの いもうとが、うまれますように」そんなことを書いて、「これ、いずもたいしゃに、だしておいて!」そう言うと、今度、父である帝に会ったときにもお願いせねばと強く思っていた。


「この子を頼む。俺の子どもなんだ。よろしく」


 その昔、宣孝のぶたかからのふみと一緒にやってきた赤子であった賢子かたこほどではないが、ほぼ同様に物心がついた頃から彰子あきこに育てられていた敦康親王あつやすしんのうは、彼女を実母以上に慕っていたのである。


 ***


 もちろん、敦康親王あつやすしんのうの無垢なお願いを検閲した黒い太陽・道長は、「内親王だと!? 俺は、彰子あきこの皇子を出待ちしてるんだよ! ふざけんなあのクソガキ!」そんな風に彼の書いたふみに怒りをあらわにしていたが……。

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