🔮パープル式部一代記・第五十九話

「はっくしょいっ! また、誰ぞがどこかで変なウワサしているな……」

「寒さのせいでは? やはりこの季節ですし、髪を洗うのは止めた方がよかったのでは……」

「そうは言っても伊周これちかのところに行って以来、なんか髪が臭くて臭くて……あそこ廃屋みたいだったから……」

「まあ、長いだけに気になるのは分かりますけど……もう出歩くのは止めた方がいいと思いますよ?」


 道長から「老いらくの恋」のウワサを聞いて、それで近頃、用もないのに変に人の出入りが……そう気づいた紫式部むらさきしきぶは、なんとかしてくれと頼んで休暇を取ると、少し奥まっているのでやや暖かい賢子かたこつぼねで、そんな話をしつつ一日がかりで髪を洗ってもらい、イワシ柄の布で拭いてもらっていた。


小式部内侍こしきぶのないしちゃんいいの? このイワシ柄の反物、こんなにもらっちゃって?」

「いいのいいの、たっくさんあるから! 使う訳にも配る訳にもいかないし!」


 ***


〈 紫式部むらさきしきぶつぼね 〉


 御簾の向こうには相変わらずの集団がいて、目を細めて中を確かめていた。するとそこに面倒そうな道長がやってくる。


「留守か――」

紫式部むらさきしきぶはしばらく休みだ。お前らなにやってんだ? ヒマなら仕事しろよ?」

「あ、道長、ちょうどよかった。聞きたいことがある! 紫式部むらさきしきぶってさ賢子かたこちゃんと似ている訳? よ――く、思い出してみて!?」

「あ? 紫式部むらさきしきぶの顔?」

「そう! 賢子かたこちゃんと似てる? お前ならちゃんと見たことあるよな!?」

「なんか不気味だから頭の上を見て話してる……でも、賢子かたこは父親似らしいぞ? あいつ、なん番目か知らんが、親戚つながりのツテで、あの藤原宣孝ふじわらののぶたかと結婚してたらしい」

「だ――藤原宣孝ふじわらののぶたかか――! 伝説の男はくる者拒まずだなっ!」

「あの伝説の! そっちに似たのか――! それは残念!」


 道長の話を聞いて、みなは「解散! 解散!」と、素早く消えていた。現金なモノである。


 その昔、「恋の軽業師」斉信たたのぶをはじめ、集まっていた公卿たちは、まだまだ元服したての若い頃、宣孝のぶたかと競りあっては、「官位や将来なんてどうでもいいのよ……宣孝のぶたかさまと比べたら、ただの坊やだもの……」そんな具合に、連戦連敗だった傷口が、ぱっくり開いてしまったのだ。


 宣孝のぶたかは、官位ではなくてそういう意味で、みなの記憶に残る男であった。


 ***


〈 その日の深夜 〉


「かくして、根暗の紫式部むらさきしきぶの顔は、誰も知らないままであったのだ……本日の日記は終わりっと!」

「バカさま、日記なら自分の部屋で書けよ……あと、普通は翌朝に書くもんだろ?」

「ガキがうるさくてな……あとこれは基本、まつりごとの裏日記だから、ゆかりのところに隠しておいてくれ」

「ふうん……まあ、いいけど……」


 この大火でいつにも増して本に埋もれているつぼねに、そんなことを言い、裏日記を置いて道長は姿を消し、道長のまつりごとの裏日記になんてまったく興味のない紫式部むらさきしきぶは、そのへんの高くそびえるように積み上げ過ぎてぐらついた本ででき上がった連山の上へ、それをポイと投げると、まだ、髪が乾かないので、寝そべったままパラパラ日本書記を読んでいた。

 晴明はるあきと、どうのこうのという話の真相は、連日連夜、日本書記のとある部分を、一緒になって真剣に討論していたのである。


「う――む、この、摩比邏矩まひらく 都能倶例豆例つのくれつれ 於能幣陀乎をのへたを賦倶能理歌らふくのりかり童謡わざうた……晴明はるあきも分からぬとは、やはりただの童謡わざうた、世相の風刺歌ではないな……なにかの予言か前兆か……いや、分からんな――ま、今日は寝るか……」


 そして、また翌日の夜ことである。紫式部むらさきしきぶが、せっせと執筆にいそしんでいると、道長の裏日記がぐらついた連山から落ちてきて彼女の脳天に直撃していた。


「あいたっ! こんなもん預かるんじゃなか……え?」


 ブツブツ言いながら元に戻す前に、見るとはなしにぱらりと開けた裏日記とやらには、あの「いがぐり」を途中まで世話をしていた御匣殿みくしげどのと呼ばれた定子さまの「妹」このお話では、病ですぐに内裏から姿を消したとされる、御匣殿みくしげどのの「実録」が書いてあったのである。

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