🔮パープル式部一代記・第五十八話(幕間)

 ※平安時代は基本的に、日記は翌朝書いていました。


 ***


 藤原実資ふじわらのさねすけの朝は早い。この時代の平均的な貴族の朝のアレコレを書き記したかの有名な日記(となる未来)の『小右記』を、ぎっちり書き込むためである。


「殿、朝餉あさげのお仕度が……あら? 日記は?」

「え? あ、ああ……うん、今日はやめとく……」


 日記も書いていないなんて、一体どうしたのかしら? この間は、「妖怪が!」なんて大騒ぎだったし……まあ、内裏の火災からこちら右近衛大将このえのだいしょう(警察庁長官的なもの)でもある殿は、ずっとお忙しいし仕方ないわね……。


 まさか恋人のところに通っているなんて知らない北の方は、そう思いながら、「とにかくお仕度を……」なんて女房に伝えていたがなんのことはない。


 昨日のことである。


 実資さねすけは里内裏として、いまのところは臨時の内裏となっている土御門殿つちみかどどのへ出仕したときに、あいも変わらず、のタイトルホルダーにして中宮大夫ちゅうぐうだいぶ斉信たたのぶから、取り憑かれたように日々向かいあっている日記も忘れるほどの話を聞き入れていたのであった。


「入手ほやほや……この話……知りたい……?」

「えっ、なんですか!? 知りたい!」

「聞かせて! ぜひとも! よかったらうちに寄って行ってよ! とっておきの酒もあるよ!?」


 そんな感じで最高会議「陣定じんのさだめ」のあと、いつものように軽い話をしているらしき公卿の斉信たたのぶと、その子(養子)の公信、道長の腹違いの兄の道綱みちつなに、「あいたたた……」そんな風に顔をしかめていた実資さねすけであったが、「安倍晴明あべのはるあきがね……」そんな斉信たたのぶの声を聞き、「あれ? バカ話でなくて真面目な話なのかな?」なんて思い、これは聞いておいた方がいいかもしれない。そう思い、ふいと方向転換をすると驚く周囲に目もくれず、三人の方へ近づいて柱の陰で度肝を抜かれていた。


「あのさ、ここだけの話だけど……安倍晴明あべのはるあき……老いらくの恋に落ちたらしいよ……やっぱり希代の陰陽師は恋に落ちる相手も違うと俺は感心したね……」

「えっ!? まじでっ!?」

「ど、どこのだれとっ!? 生きてるのその相手!? アイツえっと……なん歳だっけ? 子どもの頃には、すでにじじいだった気がするけど……」

「八十四歳! で、毎晩通い詰めだって……男はこうありたいとあらためてよ……男は生涯現役じゃなきゃってね……相手を知りたい?」

「知りたい! 知りたい、知りたいっ!」


 馬鹿の集まりの話を聞いてしまった……そう思った実資さねすけであったが、相手の名前で思わず渡殿わたどの(廊下)でひっくり返りそうになり、柱につかまってなんとか踏ん張っていた。


藤式部ふじしきぶ、いや、紫式部むらさきしきぶだってさ……あんな恐ろしい根暗女……とか思ったんだけど……」

「思ったんだけど? 斉信たたのぶ中宮大夫ちゅうぐうだいぶだから紫式部むらさきしきぶの顔を知ってるんじゃないの?」


 道綱みちつなは当然の疑問を投げていたし、実資さねすけ実資さねすけで、あきれはしていたが、もうここまで聞いたら日記のネタにするかと最後まで聞くことにした。


「あのさ、ちゃんと顔を見たことはないんだよ……いつもほらバッサバサに髪振り乱して、藤壺のあたりを歩き回っているから怖くてさ……晴明はるあきなにかの拍子に紫式部むらさきしきぶが、ちゃんとしてるところを見たんじゃないかな……?」

「え? なに? 本当は美人な訳!?」

「そんな、そんなまさかっ!?」


 斉信たたのぶは庭から吹き上げた寒風に、少し顔をしかめてから驚いている周囲に、自分の推理を話していた。


「あのさ、よく考えてみてみればだよ……」

「考えてみてみれば……?」


 周囲は斉信たたのぶの次の言葉を待って、ごくりとつばを飲む。


ってばさ……紫式部むらさきしきぶが産んだ子なんだよね……」

「あ……」

「それじゃひょっとして……真眼で……見抜いたとか? 実は手入れすればとんでもない絶世の美貌の未亡人とか!? いいよ! 根暗でもそれなら話はぜんぜん違う! 美人の未亡人なんて最高じゃないか! いまから見に行こう!」


『いずれ菖蒲あやめ杜若かきつばた……春蘭秋菊ともに廃すべからず……』


 賢子かたこ小式部内侍こしきぶのないしは育つにつれそんな風に密かに公達の間で、藤壺の美少女ユニットとしてウワサになっていたが、やはり『比類なき美少女』といえば賢子かたこ、「どんな盛りの花も及ばず……」彼女はそんな存在にまでなっていたのである。


 勘違い公卿たちから、しばらく紫式部むらさきしきぶはつきまとわれて、珍しく困惑していたという。


「絶世の美貌の未亡人!?」


 うわさを聞いた道長は、今度、本人に教えてやろうと思いながら、大爆笑していたという。


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