🔮紫式部奇譚・パープル式部一代記+α

相ヶ瀬モネ

🔮プロローグ

汝梛子ななしは仮名です。そして、生まれ年、厳密には不明らしいので、この設定になっております。


***


 この物語は、のちの国母、藤原彰子ふじわらのあきこ、(永延2年、988年生まれ)に仕えた、「紫式部」が筆一本で成り上がる「一代記」でもあるが、彼女を溺愛、いや、盲愛した、娘、大弐三位だいにのさんみ(長徳元年、995年生まれ)の、母への愛と、平安に咲く彼女の恋の物語でもある。


***


「母君は、どこにいらっしゃるの?」

「……内裏だいりだよ」


 物心ついたとき、すでに母は、内裏に出仕しており側にはおらず、彼女はこぎれいな小さな家で、祖父と暮らしていた。


 彼女はのちの大弐三位だいにのさんみ、幼名、汝梛子ななしである。

 彼女はひどく寂しく思っていたが、母が自分に残して行ったというふみを、物心ついてからは、毎日祖父に読み聞かせてもらい、いつか自分で読もうと、日々、祖父に漢籍その他の学問を、懸命に学んでいた。


 そうして、日々は激流のように流れてゆき、当時、藤式部ふじしきぶと呼ばれていた母の背中を、愛を担いで夢中で追い続けた娘は、最後には母を超え、大弐三位だいにのさんみと呼ばれるくらいにまでたどり着くが、彼女が欲しかったのは、ただただ幼きにより夢見ていた、母との穏やかな暮らしであった。


 幼い頃、汝梛子ななし、つまり母に、「名無し」なんて呼ばれていたことも知らず、彼女があこがれ続けた母に、ようやく会えたのは、四歳のときで、母、紫式部が、まだ藤式部ふじしきぶと呼ばれていた頃であった。


 なお、その出会いは、遠い未来、藤原道長の娘、彰子あきこちゃんが、帝の母であり、道長を溺愛する姉でもある女院さまを、帝・一条天皇と、東三条邸へ見舞った折である。


 そのとき、道長のツレ(ご友人)でもあった藤原行成ふじわらのゆきなりが、蔵人頭くろうどのとうとして同行していたが、幼子おさなごが好きな、女院さまのお慰めにと、自分の息子をともなっており、息子定頼さだより、(長徳元年995年生まれ)四歳が、いきなり父である行成ゆきなりに、「ぼくは、しょうらい、汝梛子ななしちゃんを、正妻にする!」などと言い出し、腰を抜かしていた。


 道長は大受けしていたが、やはり彼の息子のいわお、のちの頼宗よりむねも、「ぼくが、ぼくが、しょうらい、汝梛子ななしちゃんを、正妻にするから!」と言い出したので、こちらも、腰が抜けそうになっていた。


 なにせ、汝梛子ななしの母は、あの、天才にして天災女流作家、平安一のヒットメーカー、「」「」と呼ばれる藤式部ふじしきぶであったのだ……


汝梛子ななしだけは、母君を分かっております! みな、! わたくしが母君を、お守りいたします!」

「え……あ、そう……」


 汝梛子ななしは、あまりにも奥ゆかしい母を、みながからかい、あざけるのを許せなかったが、周囲は、「あの子、藤式部ふじしきぶに、きっと洗脳されてるよ……かわいそうに……」なんて、言っていたらしい。


 父に似たのか、とにかく誰もが魅了されずにはいられない、そんな彼女は、モテまくり、溺愛されまくりの人生を送るが、母への愛は、生涯揺らがなかったという。


 そしてこのお話は、紫式部、もとい、パープル式部の幼少期、幼名「ゆかり」から、はじまるのであった。

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