🔮パープル式部一代記・第二十四話

 赤染衛門あかぞめえもんは心配しているであろう夫の大江匡衡おおのまさひらに長いふみを書いていた。


匡衡 まさひらさまへ』


 お元気でいらっしゃいますか? お身体の調子はいかがですか? こうして離れておりますと、お傷の具合が心配でなりません。挙周たかちかごうは元気でしょうか? 出仕用にとあつらえていただいた十二単じゅうにひとえは、はじめは少し気恥ずかしくもありましたが、匡衡 まさひらさまのお考えの通りに装束を「赤」で揃えて出仕したところ、いまのところ藤壺で、「追い剥ぎ」に会うこともなく、仲のよい女房の方々と一緒に、和気あいあいと、中宮さまに、お仕えしております。さすがは匡衡まさひらさまの深いお考えでございます。


 藤壺に出仕してからは特に、伊勢大輔いせのたいふさまと、いま話題の「源氏物語」の作者、藤式部ふじしきぶさまと、仲よくさせて頂いております。藤式部ふじしきぶさまは、少し執筆に集中したいと里に帰るとおっしゃっていましたが、中宮さまたっての願いで里に帰ったあと、帝と中宮さまと一緒に女院さまのお見舞いに同行されるとのことで、長くお留守なのですが、女院さまが藤式部ふじしきぶさまのご息女の汝梛子ななしさまに会いたいと仰せだそうで、せっかくなのであとで藤壺にも汝梛子ななしさまを連れて戻られるとのことです。幼子おさなごの好きなわたくしは、とても楽しみにしております。


 明日は、職御曹司しきのみぞうしの人手がたりぬということで、藤壺からわたくしも少し、お手伝いに出かけて参ります。あの、「枕草子」の作者、清少納言に会えるのも、とても楽しみにしております。


 それでは、お身体にはお気をつけて……かしこ


 妻より


***


「えっ!?」


 数年前に盗賊に襲われた古傷がすっかり癒えた、名儒と呼ばれる優れた学者にして赤染衛門あかぞめえもんの夫、大江匡衡おおのまさひらは思わず正妻の赤染衛門あかぞめえもんから届いたふみを取り落としていた。


 彼は、大学寮だいがくりょうと呼ばれる官僚機関を担当している「式部省しきぶしょう(文部省的なところ)」に勤めており、娘の仕送りを頼りに、孫? 汝梛子ななしの世話と学問の追求にあけくれている、「それはどうなんだろうね? それでいいのかな?」そんな無職無収入の学者、藤式部ふじしきぶの父、藤原為時ふじわらのためときとは違い、式部大輔しきぶのたいふという国家公務員にして高級官僚の中でも式部省しきぶしょうではナンバー2の地位についていて、道長とも親しい付きあいがあった。同じ学者でありながら残念ながら雲泥の差である。


 そして、道長とも懇意の中であったので、妻の出仕にも大賛成ではあったが、その妻からの気遣いのふみに、逆にとんでもない負荷がいま心にかかっていた。


「どうかなさいました?」

「あ、いえいえ別に……」

「???」


***


 赤染衛門あかぞめえもんといえば学識はもちろん幼い頃から人柄のよさ、顔立ちのよさで有名であった。どのくらい優れているかといえばこんな逸話がある。


「この子は!」

「いやいや!」


 そんな風に、妻の母が離婚して再婚して……そんな微妙な時期に妻を出産してしまったので、少し父親問題が持ち上がったのであったが、これがまた、「おっとりとして優雅で愛らしく照り輝くような愛嬌を持つ存在」生まれ落ちた瞬間からそんなとても素晴らしい存在であったため、父親候補? が裁判沙汰を起こしてしまう程の実に素晴らしい人柄であったが、夫はそれゆえにいまここに深い悩みを抱えたのであった。


伊勢大輔いせのたいふ……は、問題ないとして……藤式部ふじしきぶって、あの地獄のだよね……ウワサ程ではないのかな?」


 彼は、厨子ずし(棚)に乗っていたレア中のレア、どうやって手に入れたのか? そんな初版の「源氏物語」を手に取りじっと眺めていた。


「確かに才はあるけれど……聞こえてくるウワサが……いや、まあ、でも道長さまと中宮さまのお気に入りだから、まあ大目に! とにかく最大限大風呂敷を広げて、よしとして……清少納言! ドヤ少納言はまずい! だけは! 我が家の運命が傾くどころか倒れてになってしまう! 職御曹司しきのみぞうしにだけは、近づけてはならん!」

匡衡まさひらさま?」

「申し訳ない! ちょっと内裏に行って参ります!」

「え? 今日の仕事……匡衡まさひらさま!?」


 匡衡まさひらは、妻、赤染衛門あかぞめえもんが勤める内裏めがけてメロスも顔負けの勢いで、内裏を取り巻く大内裏にある式部省しきぶしょうから、「くつなんてどうでもいい!」そんな勢いで杓を握り締めて走っていた。


「いま、式部大輔しきぶのたいふが走って行かなかった?」

「ないない、あのノンビリした人が走るなんて……」

「だよね――あ、よかったら帰りはうちに飲みにこない? いい酒が手に入ってさ」

「え? いいの!?」


 大内裏だいだいり(官庁街)を行き交う官吏たちはそんなことを言いながら、それぞれの用事を抱えて自分たちの省やら出向く省に向かって歩いていた。


 匡衡まさひらは走った。そして疾風のごとく左右の殿上人が驚くのにも構わず後宮へ突入した。間にあわなかったけれど……式部大輔しきぶのたいふは、メロスには、のである。耳には留守番らしき女房の無常な声が響く。


赤染衛門あかぞめえもんさまでしたら、少し早いけれどとの申し入れがあり、すでに職御曹司しきのみぞうしへゆかれました……」

「…………」


 心配そうな女童めわらが思わず渡殿わたどの(廊下)でへたりこんだ彼に、「おみず、もってまいりましょうか?」そう言っていた。



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