第3話
よし。今日、やる。
あの薬を手に入れてから1週間。ずっと通学バッグに入っているこれを、今日使う。
最初は変なモン渡されたなーくらいだったのが、持っているうちに効果が気になりだし、いつしか誰に使えるか、誰なら使えるかを考えるようになっていった。好きな子に使えばいいじゃんって?いや好きな子って同じクラスだけでも何人か居るよね普通?……居るよな?顔がかわいいとか明るくていいなとか体エロいとか色々……。居るよな?
それでまあ、色々考えて1人に絞った。同じクラスの遠野結衣。バトン部。運動は苦手みたい。背は低い方でクラスの最下位争いをしている。大人しくて目立たない。だいたい同じ友達とつるんでいる。今週は掃除当番で、放課後はその友達とも離れて1人になる機会がある。細くてちっこいので力も弱そう。
いや分かってる。自分でも分かってる。考え方が最高にキモいって。1人になった弱いのを狙うって考え方がもう犯罪者のそれだって。でもこの惚れ薬って難易度高すぎなんだって。何だよ注射って。こっそり使うとかできるわけないだろ。そっと後ろから近付いてブスッとか暗殺者かよ。しかも量多いし。
「バイバイ」
「バイバーイ。また後でねー」
教室から皆が出ていって、掃除当番がぱらぱら箒で床を掃いていく。机を動かしてきっちり掃除するのは週1回、金曜日だけ。それ以外の日は床を箒で適当に掃いて、黒板をざーっと消したらおしまい。ものの5分で終わる。
「遠野ー」
「うん?」
なるべく普段通りの感じで声を掛けると、遠野は箒で床を掃く手を止めた。普段通り……っても、声を掛ける機会があるわけじゃないが。
「なんか先生呼んでる」
「え?何だろ」
遠野がちょっと眉を寄せた。きっちり2つ分けの髪型といい、中学生にしか見えない。
「さあ?6階の多目的教室に来いって」
「え?どこ?」
「えーっと、あの西階段上がってすぐのとこ?」
「えー、本当に何?」
掃除もほぼ終わり、箒を掃除用具入れに戻した遠野はそのまま教室を出ていった。一拍置いて、俺も後を追う。この時間、教室から遠い西階段はあまり人が通らない。普段あまり使っていない6階ならなおさらだ。誰もいない、はず。
遠野が階段の方に曲がっていくのを確認して、通学バッグを漁る。緑と白の箱を開封し、歩きながら組み立てていく。心臓がバクバクで手が震える。大して難しくもない作業に手間取ってしまう。ダイヤルを回して、針のシールを剥がして装着。それから……。
「坂上くん?」
いきなり声を掛けられて文字通り体が跳ねた。階段の上から、遠野が俺を見下ろしている。十分距離を取ったつもりだったのに、追い付いてしまったらしい。
「どうしたの?」
バッグに両手を突っ込んで中途半端に固まる俺を、不審物を見る目で遠野が見ている。
「坂上くんも、呼ばれたとか?」
「あ、うん。そう」
バッグの中で右手に惚れ薬を握り、階段を上る。距離を取るように遠野も階段を進んでいく。踊り場で一度こちらを振り向いた遠野は、そこでぱっと駆け出した。
「待っ……て」
反射的に左手が伸び、遠野の手首を掴んだ。足のもつれた遠野の体が床に倒れる。俺の肩から通学バッグが落ちて、中身が飛び出した。右手には惚れ薬の筒を握ったままだ。キャップを外して捨てると、俺は倒れた遠野に覆い被さるように膝をついた。
「やだ──」
俺の体を突き放そうと伸びてきた細い腕を掴み、床に押し付ける。生っ白い二の腕に針を突き立てると、遠野の悲鳴が聞こえた気がした。夢中で筒を握り締め、薬を押し込んでいく。滅茶苦茶に暴れる遠野の体が俺の下から逃れ、踊り場の壁際に転がっていった。
「待──」
俺を見る遠野の目は、今まで見たことがないくらい見開かれていた。涙で汚れた顔。唇が震えて、小さな泡を吹いている。俺が立ち上がろうとすると、遠野は吹っ飛ぶように階段を駆け下りていった。最後の数段を踏み外し転がった遠野は、そのまま四つ足の動物のように走り、姿を消した。
俺はただ呆然と立っていることしかできなかった。どうする?追いかける?それとも、それとも……。どうしたらいい?
階段の踊り場には、俺のバッグから飛び散った教科書が散乱している。右手に握った筒を見ると、小さなダイヤルの数字は「144」を指していた。
『注意点としてはねー、さっきも言ったけど全部使い切ること。中途半端に使うとねー、大変なことになるよー』
あの派手な女の声がはっきりと耳元で響いた、気がした。
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