第2話
階段を下って地下1階の店内は、意外と落ち着いた感じだった。というか何も無い。ちょっとアンティークっぽいテーブルと椅子、あとカウンターがある以外、商品らしいものも置いていない。奥にドアがあるので、そっちに何かあるんだろうか。
「まーとりあえずそこ座ってー」
指差された椅子に座ると、女もテーブルを挟んで反対側に座った。そのままニヤニヤ俺を見てくる。
「……何すか」
「いやー、別にぃ?」
正直フラフラ店まで付いていくのもどうかと思ったが、最悪ダッシュで逃げればいいかとここまで来てしまった。まあ金も大して持ってるわけじゃないし。
「そんなにモテたいんだねぇ」
「何すか」
別にそういうわけじゃない。いや嘘。モテたいかモテたくないかで言ったらモテたい。彼女欲しいです。なんなら高校選んだ理由も「学校がおしゃれな街にあってモテそうだから」です。結果全くモテないし周りキラキラしてるし部活入りそびれて帰宅部でボッチだけど。
「まあいいんじゃない?青春だね、青春」
「……」
女はひとしきりケラケラ笑うと、テーブルの下の引き出しから小さな箱を取り出した。白と緑のカラーリングの紙箱には、英語ではない文字で何か書いてある。
「じゃあこれね。惚れ薬」
「はあ」
見た感じ、薬局とかに置いてありそうなデザインだ。まあ薬だからそれでいい、のか?
「あの、本当に金無いスけど」
「言ったでしょ、金はいらないって」
「はあ」
「まあ貰うのは貰うけどねー、別のモンで」
「えーっと?」
「まあキミならねー、十分だと思うよ。対価としては」
「何取るんスか」
女の指が紙箱をなぞる。ゴテゴテゴツいネイルが輪郭を一周し、箱を裏返した。
「キミのね、人生」
「は?」
「人生をかけてね、愛してあげてね。惚れ薬使った相手をさ」
何言ってんだこの人。
ドラマでしか聞かないようなセリフを吐いた女は、真面目な顔で俺を見た。相変わらず全くまばたきをしない視線に負けて目を逸らす。
「何すか、いきなり」
「それくらい真剣にねー、考えて欲しいってことよ。それが、この薬の対価」
「はあ、まあ」
なんかよく分からんけど、惚れさせるんなら責任を取れとかそういう話だろうか。怪しげな薬を使っておいて一生愛しますってのもどうなんだ?
「じゃ、使い方ね」
女が紙箱を開けて中身を取り出す。プラスチックのトレーの中に、ペンみたいのとキャップみたいのが並んで入っている。
「まずこれ。この細長いのの中にー、惚れ薬が入ってるから。こっちの端を時計回りに回すとね、分かる?ここのダイヤルの数字が大きくなっていくでしょ?これを回らなくなるまで回して。そうするとほら、数字が『300』になるよねー」
「はあ」
「一応量を調整することができるんだけど、全部使って。で、こっちが針ね。シール剥がしてさっき回したのと反対の端にこうくるくるっと止めると、準備完了ー」
「はあ」
「そしたら保護キャップを外して、ほら、針が出てくるでしょ?これを相手にぷすっと」
「え、刺すんすか?」
「うん?どうやって使うと思ってたの?」
「いやなんかこう、飲ませるとか?」
「内服は用意してないなぁ」
「いや……刺すんすか?」
「そんなに難しくないでしょ?針はこんな細いしさ。できれば柔らかいところがいいんだけど、どこに刺しても大丈夫だよ、これ」
「ええ……」
惚れ薬って注射なんだ……。人生でそうそう使う機会のない知識に衝撃を受ける俺を尻目に、女は解説を続ける。
「で、刺したらさっき回したとこを押し込んでいくと針先から惚れ薬が注射されていきまーす」
女がゴテゴテネイルの親指に力を込めると、細い針先からトレーに透明な液体が飛んでいった。全部出し切るのに数秒はかかっただろうか。プラスチックのトレーに小さな池ができている。
「で、相手はあなたのことが大好きになります。ね、簡単でしょ?」
「いや……」
無理じゃね?つーかこんなもん刺せるくらいならもう付き合ってるんじゃねーの?
「注意点としてはねー、さっきも言ったけど全部使い切ること。中途半端に使うとねー、大変なことになるよー」
「はあ」
「じゃ、これ」
女が引き出しから新しい箱を出してきた。テーブルの上を滑らせて、俺の前にそれを置く。
「えーっと……」
これをもらったところで使い途あるか?女はニコニコ笑っている。
「まー使わないならね、使わなくてもいいんじゃない?しばらく持ってて、いらないなら返して」
「はあ」
「その時には他の薬も紹介するよー。次は保険証かマイナカード持ってきてね」
健康保険使えるのかよ。
「モテたいんだろ?がんばれ少年」
「……ッス」
まあいいか、とりあえずネタとして持ってても。緑と白の紙箱を通学バッグにしまう。先に立って店のドアを開ける女に付いて、俺も立ち上がった。ニコニコ手を振る女に見送られて階段を上る。
「さっき言ったこと、忘れないでね」
「え?」
「人生かけて愛してあげてね。相手をさ」
「はあ」
何もかも釈然としない俺の後ろで、店のドアが閉まった。店の名前も何も書いていない、素っ気ない茶色のドア。外に出ると、むわっと熱風が襲い掛かってきた。俺は通学バッグを抱え直し、駅への道を急いだ。
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