趣味と仕事

サブ煎じ

少女と趣味

 とある高校の夏休み。私は『高宮織物店』という織物屋さんに来ていました。


八宮はちみやちゃん、いらっしゃい」


 店に入ると、カウンター席でお茶を飲んでいたおばあさんがこちらに気づき、挨拶をします。


高宮たかみやさん、こんにちは。今日も使わせていただきますね」

「ええ、どうぞ」


 軽い挨拶をかわして、私は商品が陳列しているコーナーを抜け、おばあさんのいるカウンターの後ろにあった暖簾のれんをくぐり、暖簾の先の暗い空間と行きます。

 私が暖簾の近くの壁にあったスイッチでその空間の電気をつけると、そこには一台の高機たかばたと沢山の糸束が入った棚のある、こじんまりとした部屋がありました。

 そして私は慣れた手つきで棚から紺色の糸束と白と紺が交互に染められた糸束を出し、高機に近づきます。


「ふぅ」


 私は高機の前にある椅子に腰掛け、手際よく機織りの準備を済ませ、早速織物を織り始めました。


「ガタッ、ガタッ……」


 私の動きに合わせて高機が動き、木の打ち付け合う音が室内に響き、私はその音に耳を傾けながら、淡々と高機を動かし続けます。

 時間を掛けていくうちに紺と白が私の手で複雑に組み合わさっていき、やがて一つの織物が形となっていきました。


 そうして織り続けてしばらくした頃。


「八宮ちゃん、精が出ているねぇ」

「あっ、高宮さん」


 私は高機を動かす手を止め、おばあさんの方に振り向きます。


「お茶と和菓子を持ってきたよ。後で食べておくれ」


 おばあさんは入口の近くにあった小さな机と椅子に、ペットボトルに入ったお茶と、プラスチックのカバーに入ったひまわりの形をした上生菓子、そして木製の姫フォークを置きました。


「ありがとうございます……」

「いいのいいの。八宮ちゃんにはいつもお世話になってるから」


 おばあさんは陽だまりのような笑顔で私に微笑みます。


「お世話になったのは私の方です。赤の他人に高機の使い方を優しく教えてくれて……」

「まあ、嬉しいわね。そんなに褒めても何もでないわよ?」


 おばあさんのちょっとした冗談に、私は気を緩めて笑顔を見せました。


「ふふっ、もう出してるじゃないですか」

「確かにそうね。……さ、早めに食べちゃってちょうだい」

「はいっ」


 そうして私はイスから立ち上がり、お茶と上生菓子の置かれた机の前の椅子に座ります。

 上生菓子の上に被さったカバーを取り、姫フォークを使って一口運びます。程よい甘さのこしあんが口全体に広がり、私は目をつぶってゆっくりと味わいます。


「随分美味しそうに食べるわね」

「好きなんです、上生菓子」

「あら、なら持ってきて正解だったわね」


 私とおばあさんは互いに笑顔でそう言いあいます。不思議と、上生菓子の味がいつもより濃く感じました。

 しばらくしてあんこを全て飲み込んだ後、ペットボトルの蓋を開け、両手でそれを持ち、コクコクと中のお茶を飲みます。

 あっさりと喉元を通り過ぎるような苦みは、それまでの甘さを洗い流し、口の中を整えてくれました。

 こうしてしばらく休憩を楽しんだ頃――


「――ねえ、私が八宮ちゃんに機織りを教えた理由、覚えているかしら」


 突然、おばあさんは私に真剣な表情で問いかけます。


「……?」


 私は思いがけない問いを受けて、言葉に詰まります。

 すると私の生んだ沈黙を埋めるように、おばあさんが言葉を続けます。


「私はね、昔っからずっと糸と触れ合うことしかしていなかったの。富岡製糸場に行って、糸を紡いで働き続ける日々。だから趣味っていう物を知らなかったの」


 おばあさんは昔を見るような目をして、棚にあった糸束の一つに優しく触れます。


「そうして『仕事』しか知らなかった私は、ろくに人生経験も積まずに、この店を立てたの。仕事のためのお店を」

「……っ」

「でもね、貴方が来て、私は『趣味』という存在を知れた」


 そうしておばあさんは私と出会ってからの話をまるで大切な思い出を語るように紡いでいきます。思い出を聞いていくその内に、私はおばあさんが何かを伝えようとしていることを察します。


「――ねえ、八宮ちゃんは、趣味って何だと思う?」


 私は唐突なその質問に面食らい、ギョッと驚いた顔をしてしまいます。


「まあ、私もまだ分からない事だけれどね。……でもね、これだなって思う事はあるの」

「思う事、ですか」


 私はおばあさんの方へと身を乗り出して、続きの言葉を待ち望みます。


「趣味って、自分が楽しいと思える事なんだと思うの。ふふっ、年を取って今さらな話だけれどね」

「……でもっ」


 私は真剣な表情で、おばあさんの眼を見ます。


「それじゃあ納得出来ません。私はまだ高宮さんに何もしてあげられられていない。満足の行く織物だって出来ていませんし、高宮さんの糸をただただ趣味の為に使っているだけで……何もしていない」


 すると、おばあさんは私の言葉を聞いて笑いをこぼします。


「ふふっ、機織りっていう『仕事』をただの『趣味』って言った人は八宮ちゃんが初めてよ」

「へっ……?」


 困惑する私を横目に、おばあさんは糸束を棚に戻し、高機に近づいて私の織りかけの織物にそっと触れます。


「それに単なる『趣味』でここまで出来る訳無いじゃない。八宮ちゃんの『趣味』は綺麗で、私には眩しすぎるほどに輝いているわ」


 私は、おばあさんが触れている私の織物に視線を向けます。

 経糸としてセットされた紺色の糸達と、緯糸としてセットされた紺と白とが混ざった糸達で織り混ぜられた織物。

 詰めが甘いところもありながら、その織物はまるで星空のような織物でした。


「売れない、出せないと言ったらそこまで何でしょうけれど、私個人の事情で八宮ちゃんのやりたい事を止める訳にはいかないもの」


 おばあさんは織物から私へと視線を変え、こう言います。


「八宮ちゃんは八宮ちゃんの好きな事をやればいいの。それを応援するのが、大人たる私の……『趣味』なのですもの」

「――そういう、ものなんですか」

「ええ、そうよ。突然でごめんなさいね。でも、八宮ちゃんにはどうしてもこれを伝えておきたかったの」


 私はふと天井を見上げ、そして目を閉じます。

 このお店の遥か上にある星空を想像すると、そこには一際輝く一番星が見えていました。そしてそれに寄り添うように輝く星がある事にも。


「……私、まだまだ高宮さんに迷惑をかけることになりそうです」

「全然大丈夫よ。むしろ毎日来て欲しいぐらい。だから、もっと八宮ちゃんの『趣味』を見せてちょうだい」


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