夏祭りのポイ

いちはじめ

夏祭りのポイ

「山城さん、お疲れ様です」


 店先の鉄板の上で、額に大汗を浮かべながら、豪快に焼きそばをかき混ぜていた居酒屋の大将が私に声をかけてきた。


「いや~、思った以上の人が集まりましたね」


 人の流れに押され、立ち話をするのもままならぬ状況だったので、私はそう返すのが精いっぱいだった。


 なぜか私は商店街の夏祭りの幹事になっていた。


 商店街に隣接する公園には様々な屋台がならび、たこ焼きやフランクフルトなどの焼き物類の香ばしい匂い、りんご飴やベビーカステラの甘い香りに誘われるように多くの人が集まっていた。

 半ば人波に流されるように歩いていると金魚すくいの出店の前に流れ着いた。ここは飲み仲間のペットショップの高城さんが担当している。ポンプで送り込まれる空気の泡がプクプクとリズムを刻む白いプラスティックのバットの中で、赤い和金や黒の出目金がゆらゆらと泳いでいる。

 私を見つけた高城さんが手招きした。店の裏手に回ると、高木さんが身を寄せ「ちょっと気になる子がいるんですよ。なんか深刻な顔をしているんで心配になって……。ほら、あの子」と言った。

 高城さんの視線の先には、一人の小学三年生くらいの男の子がバットの前でしゃがみこんでいた。

 高城さんによると、昨日も同じように一人で来ていたという。完全に和紙が剥がれて輪郭だけになったポイを握りしめ、泣きそうな顔をしている。

 何かわけがありそうだ。私はその男の子に声をかけた。


「うまくいかないかな。コツを教えてあげようか。こう見えてもおじさん金魚すくいの名人なんだ」


「ほんとに?」


 男の子は半信半疑という顔つきで私を見上げた。その顔に遠い昔の彼の顔が重なった。


 私が金魚すくいの名人であることは、今まで誰にも話したことはない。いい年をしたおっさんが自慢するものでもないということもあるのだが、これには訳があるのだ。


 それは私が小学生の四年か五年生のころの話だ。私のクラスに東北地方から転校生がやってきた。背が低く丸顔で赤い頬っぺたの彼は、その容姿と東北訛りから、たちまちクラスのいじめっ子たちの標的になった。彼は半ば強制的にいじめっ子グループに加えられ、何かといじめられていた。かく言う私もいじめられっ子で、彼が現れるまでいじめの対象だった。そして今思うと恥ずかしい限りだが、その矛先が再び自分に向くのが怖くて、いじめの片棒を担いでいたのだ。

 その年の夏祭りで、いじめっ子のリーダーが妹のために金魚をすくって帰ると言い出した。リーダーを含め数人が挑戦したが、一匹の金魚もすくうことができなかった。

 その時だ。彼が遠慮がちに「僕がやってもいいかな」と言ってきた。

「お前にできるのかよ。もし一匹もとれなかったらわかっているだろうな」

 いつもならリーダーの剣幕におびえ、何の反論もできない彼が、この時は「任せといて」と自信満々に返したのだ。

 みんなはびっくりした。今までそんな彼は見たことがなかったからだ。そんな我々をしり目に、彼はポイを手に水槽の前に屈むと、あっという間に十匹ほどの金魚をすくいあげて見せた。


「お前すごいな」


 みんながその腕前に感嘆の声を上げた。

 その日を境に彼は名人と呼ばれ、彼に対するいじめはなくなった。

 そのことがあってから、私はもっと彼と話したいと思うようになったが、いじめに加担していたという後ろめたさから何もできずにいた。

 そうこうしているうちに彼が転校するということが分かった。私は転校間際の彼に金魚すくいの極意を教えてもらいたいと頼んだ。もっともこれは口実で、自分の弱さから彼をいじめたことを詫びたかったのだ。だが私はとうとう最後まで詫びることができなかった。


 今でも金魚すくいという言葉を聞くと心の奥底がちくりと痛む。


 金魚たちを見つめている私を高城さんが現実に引き戻した。

 それから私は高城さんの協力も得て、金魚すくいのコツを丁寧に教えた。

 ポイは完全に水没させること、金魚は決して前から追わず尾の方から追い込むこと、金魚を放り込むお椀は八割ほど水を入れて浮かすこと等々。

 その間に男の子の状況もわかってきた。やはりいじめだった。いじめっ子のグループに目を付けられ、ゲーム機をとられたようだった。返してもらう条件は明日、目の前で金魚十匹をポイ一個ですくうことだという。

 男の子は必死で頑張り、腕は上達したが十匹をすくえるかどうかは微妙なところだ。事情を知った高城さんは、ポイに細工しようかと私に持ち掛けてきたが、私は首を横に振った。

 翌日、いじめっ子たちとその男の子がやってきた。彼らは男の子が十匹もすくえるはずはないと高をくくっているようだった。

「おじさん、一回やらせて」と男の子は大きな声で言った。

 いじめっ子たちがはやす中、男の子は静かにポイを水中に沈めた。

 この結果がどうなるかわからないが、転校生の彼が自信を取り戻したように、この男の子もいじめを克服していけるようになってくれればと願うだけだ。


 ――すくわれたのは金魚じゃなくて私なのかもしれないな。


 私の心の重しが少し軽くなったような気がした。

                                   (了)

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