第四話
花月と出会って十年。
今年中学生になった花月は、いろいろ困っていた。
(どうしよう……)
花月の視線の先には、月夜がいる。
高校生になった月夜は、誰もが目を引く美形で、花月にとっても自慢の兄だ。
頭も良くて、カッコよくて、優しい兄。小さな頃から憧れではあったが、最近は彼を見ると心臓がドキドキする。
「どうした、花月?」
月夜の低く甘い声に、ドキリとする。
「へ? あ、あの、えっと……」
今は勉強を教えてもらっている最中だというのに、全然頭に入ってこない。
「何処かわからなかったか?」
月夜の眉が申し訳なさそうに下がると、花月はぶんぶんと首を横に振る。
「い、いえ、そうじゃなくて……その……」
「顔が赤い。まさか、熱でもあるのか?」
また違う方向に心配を始める月夜に花月は「えっと、えっと……」と言葉を探す。
まさか月夜に見惚れていたなんて、恥ずかしすぎて言えない。
そうこうしている間に、月夜の顔が近づいてくる。
心臓が飛び出しそうなほどドキドキして、思わずぎゅっと目を閉じると、コツリと額が合わさる。
「熱は、ないようだな」
月夜のホッとしたような声が、耳を擽る。
「ひぅっ……」
思わず変な声が出た。
「花月?」
月夜が心配そうに覗き込む。
「あ、あのっ、本当に、大丈夫だから……。ちゃんと、勉強します……」
顔を真っ赤にする花月に、月夜はふと悪戯心が顔をのぞかせる。
「本当に、何もないのか?」
「う、うん……」
心配する兄の振りをして、そっと花月の頬に触れる。
「俺の可愛い花月、そんな顔をされると勘違いするぞ」
「へ?」
月夜の唇が、花月の頬に触れる。
それに気づくと、花月は全身が沸騰しそうなくらい熱くなった。
「あ、う……へ、あのっ……」
「昔はよくしていただろう?」
月夜がくすくすと笑う。
確かに、花月が幼い頃から月夜はこうしてよくほっぺたにキスをしてくれた。
逆に花月からすることもあった。
成長するにつれていつの間にかしなくなってしまったことが、少し寂しいと思っていただけに、不意打ちでこういうことをされるとどうしていいかわからなくて、胸が苦しくなる。
「ごめん、花月を困らせたかったわけじゃないんだ」
花月が泣きそうな表情をすると、月夜は少しだけ寂しそうな顔をして離れていく。
彼のそんな顔が見たかったわけではなくて、花月は思わず引き留める。
「ち、違うの! その、ちょっとびっくりしただけで、嫌じゃ、ないの……」
「……そうか」
月夜の安心したような声に、花月もホッとする。
(本当に、最近のわたし、変だ……)
月夜を見るとドキドキするし、こうして触れ合うのも嫌じゃない。むしろ、もっと触れてほしいと思う。
だけど、月夜は兄だ。血は繋がっていないとはいえ、花月の“兄”なのだ。
きっと、この触れ合いに意味なんてない。
そう、諦めていた時だった。
「え、お父さんとお母さん、離婚するの?」
「ええ。そのつもりよ」
「親権についてはこれから話し合うが、いずれにせよ二人は転校することも視野に入れてくれ」
ドクリと花月の心臓が嫌な音を立てた。
両親が不仲なのは花月もうすうす気が付いていた。その内離婚するかもしれないとは、頭のどこかで思っていたのだ。
だから、両親については正直好きにしていいと思っているが、花月の不安は両親ではない。
ちらりと隣に座る月夜を見る。
「……転校するくらいなら、俺はひとり暮らしさせてくれた方が助かるけど」
ギシリと花月の胸が軋む。
「まぁ、月夜はあと二年もすれば卒業だしな」
「そうね。あなたなら一人でも十分よね。でも花月は……」
月夜と離れるかもしれない。そう思うと怖くて不安で仕方ない。
胸が引き裂かれるように痛い。
「わ、たしは……」
両親は離婚することに花月が不安を覚えていると思ったのだろう。
「なんにせよ、今のうちに準備だけはしておきなさい」
家族会議が終わり解散となった後、花月は月夜に呼ばれた。
「お兄ちゃん?」
月夜に呼ばれることは珍しくもなんともないが、あんな話のあった後だからか、不安になるのは。
「花月、おいで」
呼ばれるまま月夜に近づけば、花月は月夜に少々強引に腕を引かれ、抱きしめられた。
「お、お兄ちゃん!?」
びっくりした花月はもぞもぞと月夜の腕の中でもがいてみるが、意外としっかりした体つきの月夜の力に当然敵うはずもなく、逆に強く抱き締め返される。
「俺は、両親の離婚には反対しない」
「え」
一体何を言い出すのだろう、と花月はドキドキする。
「むしろ好都合だと思っている」
「お兄ちゃん? なんの……」
話? と続けようとしたところで月夜と目が合う。
「俺は、花月、お前が好きだ」
「……っ!!?」
息が止まるかと思った。心臓がさっきよりも早く鼓動を打っている。
「ま、待って。わたしたち、兄妹だよ?」
「でも、血は繋がっていない」
確かに。花月が幼い頃に再婚して月夜が兄になったのだ。あの日の事は、ぼんやりとだが花月も覚えている。
「お前が、好きなんだ。両親の離婚はどうでもいいが、花月とは離れたくない」
月夜の情熱的な告白に、花月は身体が熱くて、嬉しいような恥ずかしいような気持になってくる。
「愛しているんだ、どうしようもないくらいに」
前世の時から、ずっと、ずっと――。
「わたし、は……」
好き、なのだろうか。この胸のドキドキも、嬉しさも、甘い感情も。
花月には初めての事ばかりで、どう答えていいかわからない。
花月が戸惑っているだろうことは月夜にもわかっている。でも手放したくない。
「すまない。花月を困らせたいわけじゃないんだ。でも、俺の気持ちだけは知っていてほしい」
真摯な月夜の言葉に、花月の胸がきゅっと締め付けられる。
「っ、わ、たしも、お兄ちゃんが、好き、だよ。でも……」
恋かどうか、わからない。
月夜に見つめられるとドキドキするし、名前を呼ばれるときゅんとする。
優しくて、ちょっと意地悪で、誰よりも大好きな人だけれど、恋かどうかは、わからない。
「ああ、わかっている。だけど、もし嫌じゃなければ俺と付き合ってほしい」
月夜は花月の手を取ると、甲にキスをする。
物語の王子様のように絵になっていて、花月の体温が上がって、流されるように答えてしまった。
「は、はい……」
その答えを聞いて、月夜は内心ほくそ笑む。
「ありがとう、俺の可愛い花月。一生大事にする」
そういう話じゃなかった気がするが、花月は月夜の嬉しそうな顔を見て全部がどうでもよくなってしまった。
その後、両親が正式に離婚し、月夜は高校から近いアパートでひとり暮らしを始めた。
花月は今住んでいる家の持ち主である実父にそのまま引き取られることになった。
学校からも家からも、遠距離にならなくて良かったと月夜は心の底から安堵した。
両親からも特に月夜と花月が交流することを止められてはいなかったから、休みの日には花月はよく月夜の家へと遊び行って、愛を育んでいた。
それから月日が経ち、花月も高校生になった。
「月夜さん、この美容液貰っていいんですか?」
「ああ、構わない。先月の優待で貰ったものだし、俺には不要なものだからな」
月夜は大学生の傍ら起業していて、資金調達のために投資もしている。
多才な月夜に花月はただただ驚くばかりだが、ふと目にした用紙に眉を顰める。
「月夜さん、また視力が落ちたんですね……」
「ああ、まぁ、まだ見えるからあまり心配するな」
高校に上がったくらいから、月夜の視力が落ち始めた。
最初はパソコンやタブレットなどの電子機器の見過ぎかと思っていたが、病院に行ってみると原因不明と言われた。以来、本当に少しずつだが、視力が落ちるようになっていて、眼鏡やコンタクトがなければ生活できなくなっている。
「そんなことより、夏服も可愛いな」
「んもう、褒めても何も出ないですよ」
「俺としては可愛い花月を見れるだけでおつりが出るくらいだが」
月夜は花月を抱き締めて、キスをすると真っ赤になる花月が可愛くて仕方ない。
花月が月夜を好きだと自覚したのは一年くらい前だ。
両想いになってすぐにキスをするようになったが、相変わらず恥ずかしがる花月に月夜もいつまで抑えが効くかわからない。
「花月が成人するまであと二年、か……」
ポツリと呟く月夜に、花月は首を傾げる。
「花月、高校卒業した後の進路は考えているのか?」
「そうですね、具体的なことはまだ考えてないですけど、月夜さんのお手伝いができるように、今のうちに資格はいっぱい取りたいと思っています」
月夜が好きだと自覚した頃から考えていたことだ。
月夜は花月の気持ちに胸がいっぱいになって、思わずベッドに押し倒してしまった。
「あまり可愛いことを言わないでくれ……」
「え!?」
花月としては当たり前のことだったのだが、月夜にとっては悶えるほど嬉しい。
月夜に熱っぽく見つめられるとドキドキして、視線を外したいのに外せない。
「大事にしたいのに、抑えられなくなるだろう」
月夜の唇が、花月の額や頬、唇や首筋に触れる。
「んっ、ひゃっ!」
触れられた場所が熱くて、全身が沸騰しそうだ。
「つ、月夜さん! ま、待ってください……っ、こここ、心の準備が……」
慌てる花月が可愛くて、月夜はくすくすと笑う。
「嫌じゃないんだな」
つまりそれは、花月もこの先を期待しているということなのだろう。
「あっ!」
花月も墓穴を掘ったことに今さらながらに気付いた。
「あ、あの……えっと、は、はい……。で、でもまだ……」
もじもじと恥ずかしそうに顔を隠す花月を月夜は優しく抱き起す。
「ああ、わかっている。俺も性急すぎた。だがそうだな、先にこれを言っておかないとだな」
月夜は机の引き出しから一つの小箱を取り出す。
「本当は、花月の誕生日に合わせて贈るはずだったんだが、間に合わなくてな。けど、このままだとタイミングが合わなさそうだから」
「何がですか?」
月夜に手を取られ、ドキドキしながら見つめていると、その小箱を手のひらに乗せられる。
「開けても?」
「ああ」
月夜に手渡された箱には、花月の誕生石の付いた指輪が収まっていた。
「こ、れ……」
「花月が卒業したら、俺と結婚してほしい」
月夜からのプロポーズ。恐る恐る顔を上げれば、優しいけれど妖しい光が混ざる月夜のアイスブルーの瞳に、花月はドクリと心臓が跳ねる。
「あ……」
直感的に逃げられない。そう思った。
けれど、答えなんて決まっている。
「はい、喜んで」
花月の答えなんて、イエスしか認めないが、やはり嬉しくて、月夜は再び花月をベッドに押し倒した。
「ああ、嬉しすぎて頭がおかしくなりそうだ。愛している、俺の可愛い花月」
「はい、わたしも、です……」
そのまま抱き締め合って、花月が目を覚ますと朝になっていた。
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