第十話
白狐が姿を消して数日が過ぎた。
あれからまだ、白狐は見つかっていない。
「父様との繋がりも切れちゃったみたい……」
自分の眷属なのだから居場所くらいわかるのだろうと思うが、巫女姫の眷属と言ってもそれほど便利なものではない。
蝶子も最初から白狐を自由にしていた。自分から離れても生きていけるように。ただ、人を襲うことをしないようにするための縛りは施したがそれだけで、離脱しようと思えば白狐はいつでも離脱できる状態だった。
それが今回仇となったのはいうまでもなく、蝶子はため息を吐く。
「モフモフが足りない……」
ベッドの上にごろんと横になる。いつもだったら白狐が狐姿になって、ふかふかの五本の尻尾で蝶子を癒してくれていたのだが、それがないのはやっぱり寂しい。
(式に探させてはいるけど、まだ時間はかかりそうね。やっぱり父様はすごいわ……)
月夜なんかよりもよほど尊敬できる。否、彼の生前なんて知らないのだが。
凰花からは優しくて真面目で責任感の強い人だと聞いているが、村人からは悪評しか聞かなかったからかもしれない。
(まぁ、月夜はどうでもいいけど)
今はまだ動くべき時ではない、ということなのだろう。
蝶子は今度の舞台の原作となる小説を読む事にした。
蝶子の演じる悪役令嬢は一途に王子を慕うただの女の子だった。好きな人の為に努力して、やっと結婚というところで横から現れた主人公に掻っ攫われる。
愛情は嫉妬と憎悪に変わり、二人を苦しめようと画策するものの、最終的には行き過ぎた悪意が彼女の身を滅ぼすことになる。
そんな王道のストーリーだ。
(好き……か)
蝶子もこれまでの人生で何度か嫉妬を買ったことがある。例えば、同じ村の男の人とちょっと挨拶しただけなのに、泥棒猫と言われ、悪霊が憑いていたから祓ってやれば、刃物を持った奥さんに追いかけ回されたこともある。
蝶子自身にその気がなくとも勝手に勘違いされる。
だから恋愛は絶対にしたくない。ただでさえ、近親相姦で生まれた子のレッテルを張られて息苦しい思いをしていたのに、これ以上自分に非がないことで責められるいわれはない。
恋をすることが、怖くなる。
(もしも恋をするなら、父様のような人がいい……)
揚羽の頃からそばにいて、何も言わずに寄り添ってくれて、揚羽を――蝶子を癒してくれた。
生まれ変わるたびに、ずっとずっとそばにいてくれた。
独りぼっちだったのが、寂しくなくなった。
全部白狐のおかげだ。
(父様に、会いたい……)
知らず知らずのうちに涙が零れる。
「寒い……」
本を放り出して、布団を抱き締めてみても、ちっとも温かくない。
――蝶子。
あの優しい声で名前を呼んでくれるのが嬉しかった。ふかふかの尻尾で、蝶子の顔を叩きながら、じゃれるように包まれると温かくてホッとした。
彼がいたから、生きてこれた。母を殺すという役目から逃げずに立ち向かえた。
ずっと、ずっとそばにいてくれるのだと、思っていた。
「ふ、ぅ……っ、なんで、わたし……」
こんなに白狐の事を恋しく思うのだろう。もしかしたらもう二度と会えないかもしれないのに、会いたいと思う。
巫女姫として失格だ。最初からそんなものに執着はしてなかったけれど、巫女姫でなければ白狐を繋ぎとめるなんて出来なかった。
「会いたい……父、様……。白狐……」
胸が苦しい。寂しい、切ない、会いたい。
そればかりが頭をぐるぐるして、どうしていいかわからない。
この感情は、いったい何だというのだろう。
答えを求めるかのように、再び本に手を伸ばす。
主人公の気持ちが書かれているページだった。
『あの方を見ると、胸がときめくの。甘くて切なくて。会えない夜は枕を涙で濡らして。胸の苦しさと切なさにずっと耐えていた。でも、顔を見てしまうと、素直になれなくて、だけど、やっと言える。あなたが好きよ――』
甘い言葉で綴られている文章。蝶子には理解しがたい。
白狐を見ていてときめくことはないと言えば嘘になる。
でも、蝶子の両親ね向ける感情とは明らかに違う。
「好き……」
言葉にして少しだけ違和感があった。
「好き」
もう一度言葉にしてみる。
やっぱり違和感はある。だけどそれは言い慣れない言葉だからだ。
「わたしは、白狐が、好き……」
今度は胸がちょっとだけドキドキした。
「白狐……」
雪のような銀色の髪が綺麗で、お月様のような金色の瞳。
綺麗な顔立ちは遠目に見ると冷たく見えるけれど、笑うとちょっとだけ可愛く見える。
白面で隠しているのがもったいないと、何度も言ったけれど今は隠してくれていて良かったと思う。
落神だから普通の人には視えないけれど、視える人が観れば見惚れずにはいられない。
そんな人が自分の父親だと誇りに思っていたけれど、本当は――。
「わたし、ずっと……」
やっと気づいた。
彼が、好きだったのだ。父としてではなく、異性として。
ただ、落神と巫女姫というどうしようもない壁から目を背けて、気付かない振りをしていただけで。
ようやく、そのことに気付いた。
それが、とても悔しかった。
(だってわたしは、鳳凰神の巫女姫……)
白狐を神に戻せたとしても、彼に嫁ぐことは出来ない。
「わたし、なんて馬鹿だったんだろう……」
涙が止まらない。
鳳凰から逃れることは出来ない。これは魂に刻まれた契約だから。
蝶子自身にはどうにもできなくて、悔しくて切なくて、憎くて苦しくて、声を上げて泣くしか出来ない自分が情けない。
もうすべてが手遅れだ。
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