第十六話


 季節は廻り、春になる。

 無事退院できた光留は、単位を落とすこともなく卒業できることが決まった。

 卒業式を翌週に控えた光留が花南をデートに誘ったのは二月の終わりだった。

「あっという間でしたね」

「うん。でもやっとっていう感じかな」

 まだ寒さの残る季節。近年は暖冬で、この時期でも運動すると少し暑いくらいだが、凰鳴神社の裏にある林は木々が多いせいかまだ寒い。

「きゃっ!」

 躓きそうになる花南をとっさに支える。

「気を付けて」

「はい、ありがとう、ございます……」

 手を繋ぎ直して再び歩く。

「ここ、舗装しないんですか?」

「うん、お金がないんだって。一応、一般の参拝客は入れないようにしているし、入ったところで何にもないからね」

 しかし、花南には光留が何か目的を持ってこの場所を訪れたように思う。

 でなければデートと言うにはあまりにも不向きな場所だ。

 三十分ほど歩くと、他の木よりもふた回りほど太い幹の木が一本あった。そのすぐ近くに石を積んだオブジェのようなものがある。

「これは……」

「月夜と、凰花の墓だよ」

 月夜というのは、光留の前世ではなかっただろうか。そして、凰花とは光留の初恋である女性の古い名前。

「元々は月夜の墓だったんだけど、俺が後から追加したんだ。まぁ、遺品と呼べるものは何にもないんだけど」

 光留は墓とも呼べない石の周りに生えた雑草を抜いて簡単に手入れする。

「俺が宮司になったら、ここに小さな祠を建てて、ちゃんと祀ろうと思う。俺の自己満足だし、あの二人がここに来ることもないし、蝶子も知らない。俺の代で終わるものだから本当はそこまでする必要はないんだけど、花南には言っておこうと思って」

「わたし……?」

 光留は頷く。

「二人の事は、いつかちゃんと言おうとは思ってたけど、俺が何も言わなかったせいで、花南を危険な目にあわせた。本当に、ごめん……」

 光留が謝ると花南は慌てた。

「ち、違う! 光留君のせいじゃない! わたしが、光留君を信じられなかったから……」

「うん、でも不安にさせた原因は俺だから」

 光留は優しい。だけどその優しさは時として花南の心をひどく締め付ける。

 ボロボロと涙を零す花南を見て、光留は少し困った顔をする。

「泣かないで。君に泣かれると、どうしていいかわからなくなる……」

 花南の涙を指で拭って、落ち着くのを待つ。

「花南、少しいい?」

「?」

 花南が顔を上げると、光留は花南の胸の前に手を翳す。そこから白銀の月のような柔らかな光があふれる。

 光留を見れば、黒い瞳が青い月のような輝きを放っている。

 その光が収まると、光留は小さく息を吐き出した。何度か瞬きした後、瞳の意図はいつもの黒曜石のような黒に戻っていた。

「光留君?」

「君の引き寄せ体質はこれで改善されるはず。魂も不必要な守りで傷つくこともないし、これ以上怖い思いもしなくていい」

「どういう……?」

「月夜の置き土産。まぁ、一度しか使えないみたいなんだけど」

 そんなことを聞きたいわけじゃない。花南の心配は光留にちっとも響いて無くて、歯がゆい。

「また、無理したの?」

 光留は首を横に振る。

「月夜の前世の話はしただろ? その時の権能が”縁切り”なわけだけど、一応、俺もその魂を引き継いでるってことで、月夜が一回だけ使えるようにしてくれたんだ。まぁ、俺もこんなのあるなんてこの間まで気付かなかったんだけど」

 この権能ちからがあると気付いたのは、光留が昏睡状態に陥っている時だ。

 魂を食われながら、この力で切り離せとまだ微かに残っていた月夜の意識が光留に教えてくれた。その後すぐに落神達にその意識は食われてしまったのだが。

「この力で、花南と引き寄せ体質の”縁を切った”んだ。霊感体質まではちょっと難しかったし、これ以上使うと血を吐くだけじゃ済まなくなるんだけど、少なくとも今までみたいに襲われることは減ると思う」

「どうして、そこまでしてくれるの……? わたしは、光留君に何もしてあげられないのに……」

「そんなことないよ。俺は、花南にたくさん救われてきた」

 最初は昔の自分を見ているようで、放っておけないという気持ちだった。だけど、会話して、一緒に過ごしていく中で、花南の嬉しそうな顔や、ホッとした顔、キスだけで真っ赤になる顔も、甘い声で名前を呼ばれることも、すべてが愛おしく感じるようになった。

 気付けば花南のことばかり考えていて、どうしたら笑ってくれるか、どうしたら喜んでくれるか。そんなことを考える時間が楽しくて、実際に見たら手を伸ばさずにはいられない。

 自分の手で、もっとこの女の子を幸せにしたい。

 どうしようもなく好きなのだ。理屈じゃなくて、心から花南を求めている。

「花南、好きだよ」

 光留の甘い言葉に、心が揺さぶられる。

 頬に触れる温かな手も、抱きしめてくれる力強い腕も、心を溶かすキスも。嬉しくて幸せで、手放すのが怖くて、光留がいないと息をするのも苦しいくらいに、この人に溺れている。

「っ、わたしも、わたしも光留君が好きですっ!」

 花南からの答えが嬉しくて、光留は強く抱きしめる。

「ありがとう。愛してる」

 視線が合うとどちらからともなく唇が重なる。

 甘くて、優しくて、幸せだ。

「花南」

 花南が顔を上げる。

「花南が卒業したらでいい。俺と、結婚してくれますか?」

 どことなく緊張した様子の光留。突然のプロポーズに花南の心臓は痛いくらいにドキドキする。

 だけど、答えなんて決まっている。

「はいっ、喜んで」

 その時に見た光留の表情を、花南は一生忘れないだろう。

 幸せすぎて、頭がどうにかなってしまいそうだった。

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