第十四話
病室から出ていく光留を見送って、花南は重い息を吐き出す。
正直、途中から話に着いていけていなかった。
前世だとか、守り人だとか、神様だとか。そんなのずっと花南には縁がなかった。
光留だって十六歳になるまで同じだったのだから変わらないと思うのだが、それでも随分と重いものを背負っている。
それを花南が受け止めきれるかというと、その自信はなかった。
「前世、かぁ……」
光留の前世は月夜という名前の青年で、実妹であり自身の巫女姫である恋人をとても大切にしていたのだという。
光留にその記憶が引き継がれている以上、感情に流されていないとは言い難く、光留自身は吹っ切れていると言っていたが、本当かどうかを知る術はない。
光留は最初から花南にとても優しかった。
付き合ってからも、大事にしてくれるし、気持ちだって伝えてくれる。手を繋いだことも、キスをしたことも数えきれないほどたくさんある。肌を重ねたことはまだないけれど、花南の気持ちを待ってくれているということは知っている。それくらい、とても大切にされている。
光留と一緒の時間は幸せで、嫌なことなんて何一つなくて、ぬるま湯に浸かるように心地よかった。
光留を信じたい。でも、やっぱり花南は心が狭いのだろうか。光留の過去を全て受け止める自信がない。
初恋の人を今でも好きだという光留。でもそれは思い出だと言い切った。過去がどうであれ、今大事なのは花南なのだと。
嬉しくないと言えば嘘になる。
だけど、光留と付き合っていくなら蝶子の事も受け入れなくてはならない。
光留は蝶子とどうこうなることはあり得ないと言っていたが、肝心の蝶子とはまだ一度も話せていないからどうすればいいのかわからない。
「どうしよう……」
いっそ別れるべきだろうか。
そんなことを考えていると、コンコンと病室のドアがノックされる。
「どうぞ」
花南が応えると「失礼します」と澄んだ女性の声が聞こえ、中に入ってくる。
薔薇を思わせる赤い髪と、切れ長の目に翡翠色の瞳。口元のほくろが色っぽい若い女だった。
「初めまして、鳥飼蝶子です」
「あなたが……」
蝶子はにこりと笑う。
花南が蝶子を見たのは夜に遠目ということもあり、美人だという印象はあったが、その後の出来事で記憶があいまいだった。
「あなたが槻夜君の彼女さんの、宮島花南さんね」
「はい」
「槻夜君から私のこと聞いてる?」
「はい、光留君の巫女姫だと」
「はい、そうです」
丁寧な口調もあってか、不思議と嫌悪感はなかった。
「槻夜君からあなたの魂の状態を視てほしいって言われてきたのだけれど、今日は彼来てない?」
「さっき帰りました」
「え、噓でしょ。アイツ全部わたしに丸投げしたわね」
「へ?」
蝶子の苦々しい声音に、花南はビクッと震える。
「うふふ、何でもないわ、こちらの話。そんなことより、あなたは今、自分の魂がどういう状態か知ってる?」
蝶子が心配そうに花南を覗き込む。
同性と言えど、美人に迫られるとドキドキする。
「えっと、光留君からは、神様の加護をもらって、引き寄せ体質を抑えてるって」
「ええ、その通り。だけど、ごめんなさい、ちょっと訂正させて」
花南は頷く。
「あなたの魂は今、とても危険な状態なの。槻夜君があなたを見つけた時、あなたの魂は三分の一ほど落神や悪霊に食われていた。槻夜君があなたに取り憑こうとしていたもののほとんどを祓ったり移してみたけど、やっぱり失ったものを戻すというのは難しくて……」
蝶子は申し訳なさそうに言う。
「わたしも、神様にお願いしてできるだけ修復してもらったのだけれど、加護を授けてもらって、命を繋ぐのが精いっぱいだった。力になれなくて、本当にごめんなさい……」
そういって蝶子は謝罪してくれるが、そもそものところ魂が食われるとはどういうことなのか。
「あの、魂が食われるとどうなるのですか?」
「そうね。半分を超えると肉体、つまり内臓とか血とかも食われたりするわ。あと、寿命が短くなったり、生まれ変わる際に支障が出たりする」
「どうしても元に戻らないのですか?」
「そういうわけじゃないけど、生きている間に、というのはあまり前例はないの。人間の魂って、不思議なことに生まれ変わるたびに魂の形が少しだけ変わるの。その過程で少しずつ修復されることはあっても、生きている間は、傷は塞がっても百パーセントになることはない」
「わたしは、死ぬんですか?」
花南がポツリと呟く。
「いいえ、今すぐにということはないわ。ただ、今以上視えたり、引き寄せるのは良くない。それに、誰もあなたが死ぬことを望んでいるわけじゃない。特に槻夜君はあなたを死なせないために必死よ。たぶん、そんなことになれば彼、自分の命すらも投げ出すでしょうね」
さっき蝶子は、花南に取り憑いていた落神や悪霊を移したと言っていた。
どこに?
その答えはすぐに見つかった。
光留の中だ。花南が引き寄せ、体内に受け入れた落神や悪霊をとどめている。それが、彼の役割だから。
花南はサァーっと頭から血の気が引いた。
「まぁ、そう言うことだから、完全に元に戻せなくても今はまだ邪気の影響とかもあるので、それを定期的に祓っていく必要があります。わたしは今日、そのために来ました」
蝶子は花南が死に怯えていると思い、明るく言って見せる。
蝶子は「ちょっとごめんなさいね」と言ってから花南の手に触れると祓詞と祝詞を続けて唱える。
すると、温かなものに包まれ、身体の中の悪いものが洗い流されるような感覚がした。
「これで全部というわけではないけれど、少なくとも魂をこれ以上食われることも、身体が傷つけられることもないわ」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして。これ、わたしの連絡先です。何かあれば遠慮なく頼って。どこか調子が悪いとか、お祓いが必要ならわたしの方が得意だから」
蝶子は花南に連絡先の書いたメモ用紙を渡す。花柄の可愛らしいデザインのメモ用紙は女の子らしくて、なんだか親近感が持てた。
だけど。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「なぁに?」
「光留君は、あなたとは絶対恋愛関係にならないって言ってたんですけど、本当に?」
蝶子はきょとんとすると、にっこり笑った。
「誰がアイツなんかと付き合うもんですか。わたしは絶対イヤ」
それは演技というわけではなく、蝶子の本心なのだろう。本当に嫌そうな声だった。
「でも、友達としては悪くないわ」
「友達ですか」
「そう。あなたは槻夜君からわたしの事聞いたのよね?」
「はい。前世の娘さんだと……」
「ええ。で、聞くけど、あなた自分の父親と恋愛できる?」
「え」
花南は考えてみるが、無理だとすぐに結論が出る。
「無理です」
「でしょう? 確かに、今のあいつとわたしは他人だし、巫女姫と守り人っていう関係だけど、わたしにとって彼は前世――揚羽って言うんだけど、揚羽の父親って感覚なのよ。まぁ、揚羽も父親の顔なんて知らないんだけど」
そう言われると、恋愛にならないという言葉には納得する。
「まぁ、その父親は妹に手を出した変態なんだけど……」
という蝶子の言葉は聞かなかったことにした。
「とにかく、わたしと彼がどうこうなることはないから、安心して。恋愛相談には乗れないけど、彼があなたに迷惑かけるようならわたしからも言ってあげるし、なんならわたしはあなたとお友達になりたいわ」
それから蝶子は、今日は舞台の稽古があると言って帰っていった。
残された花南は、蝶子の連絡先を見ながら、今後を考える。
光留と蝶子の関係は、本人たちが申告した通りあまり深刻に考える必要はないのだろう。
ただ、巫女姫と守り人という切り離すには互いの人生全てを掛けるほどの強い拘束力に、花南はズキズキと胸が痛む。
だけど、光留が守り人の力を手放せないのは、蝶子の人生を半分預かっているのもあるだろうが、何よりも花南を守りたかったからだ。
花南が自分で招いたにもかかわらず、彼は花南から瘴気を引き受け、いまだに苦しんでいるはずなのに、花南を心配させないように毎日のように連絡をくれる。
(別れた方が、いいのかな……)
そうすれば、少なくとも光留の事でこんなに感情が揺さぶられることはない。光留も、花南の為に命を投げ出すなんて馬鹿なことはしないだろう。
でも、光留の愛情があまりにも心地良すぎて、手放すのが怖い。
――俺は花南が好きだよ。愛してるんだ。
光留はそう言ってくれた。
じゃあ、自分は? 光留の事をどう思っているのだろう。
好き、ではある。一緒にいるのも、抱きしめられるのも、キスされるのも、嫌ではない。
愛しているのかと聞かれると、あまり自信はなかった。
こんな曖昧な感情のまま、光留と一緒にいれば彼を傷つけるだけだ。
「もう一度、話し合おう」
光留を信じたい。もう一度彼と会って話がしたかった。
蝶子と会って、彼女が悪い人ではないのも、優しい人であることも分かったけれど、自分の中に落とし込むにはまだ時間が必要だ。
その為にも、光留とちゃんと話すのが、けじめだろう。結果どうなったとしても。
花南は光留にもう一度話したい旨を連絡すると、光留は快く了承してくれた。
花南が退院する日、光留は花南を迎えに行こうと朝から準備していた。
だが、数日前からどうにも調子が悪い。
理由は明白で、花南から引き受けた落神や悪霊がまだ完全に祓いきれていなかった。
魂もいくらか食われているが、霊力の膜で保護する術を蝶子から教わり、何とか抑えているという状態だ。
定期的に潔斎したり、祓詞を唱えたり、札に瘴気を移したり、蝶子に祓ってもらったりと地道な作業を繰り返しているものの、取り込んだ数が多すぎた。
取り込んだ瘴気は徐々に光留の身体にまで侵食し、腕の骨をガシガシと食われているような音も時々聞こえる。
吐き気や頭痛も酷く、正直出歩ける体調ではない。
でも、花南に会える今日をとても楽しみにしていた。
彼女から会いたいと言ってくれるのが嬉しくて、自分の体調なんてどうとでも誤魔化せる。そう過信していた。
しかし、時間が経つにつれ体調はどんどん酷くなっていく。
「ヤバいかも……」
光留がそう自覚する頃、ばたりと倒れた。
花南は退院の手続きを済ませると真っ直ぐに光留の家に向かった。
今日は平日なので、朱鷺子も勇希も不在とのことで、家には光留ひとりで都合がよかった。
光留が迎えに行くという申し出を断ったのは、ギリギリまで自分で考えたかったからだ。
花南はバスを乗り換え、光留の家に行くと、なんだか異様な気配を感じた。
「……?」
薄暗く、靄がかかっているように見える。
疑問に思いながらもインターホンを押すが反応がない。
この時間、光留は家にいるはずだが、何の音もしないというのも変だ。
もう一度インターホンを鳴らす。
しばらく待ってみるが、やはり反応がない。
不安になって、申し訳ないと思いながらも玄関のドアを開けるとすんなり開いた。
「お邪魔します……」
小さな声で主張してみるが、人の気配が感じられない。
でも、光留の靴はある。
どくどくと心臓が嫌な音を立てる。
花南は恐る恐る中に入り、二階の光留の部屋へと向かう。
「光留君、いる?」
この部屋には何度も来たけれど、こんなに空気が悪かっただろうかと疑問に思う。
部屋のドアをノックしてみるがやはり反応がない。
バスに乗り換えた時、光留に連絡しているがそのメッセージも既読になっていない。
不安になった花南は、そっとドアを開ける。
「光留君……?」
ドアを開け、中の様子を伺うと人が倒れていた。
「え……」
見覚えのある背中。だけど、その周りには黒い靄がまとわりついている。
光留が、倒れていた。
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