その目を幸せに浸す

芦屋 瞭銘

僕の選んだ人生

第1話 虚像の青春

『ミト。そっちはどうだ?』

「今到着しました。様子を確認しています」

『わかった。状況を』

「例の机にコーヒーが一杯、対象はいません」

『そのまま中を探せ』

「はい」

 見覚えのある引き出しに目が吸い寄せられた。随分と前、今はもう帰れない実家に同じものがあった。

 その机の引き出しに手をかけると、懐かしい記憶が蘇る。僕がまだ、最悪の中にいた時の記憶。


 これは、僕がこの仕事に就くきっかけになった、酷く悲しいお話だ。


ーーーーー


 どうしようもない。どうしようもない。すべてはきっと、誰の所為でもない。


「ありがとうございました」

「…………」


 シフト交代まであと2時間。なんでも屋のコンビニとはいえ、今日は客も少ない。このまま何事もなく引き継げるだろう。

 時刻は午前4時。外は暗く、シンと静まり返っている。


「休憩終わりました~」

「はい、お疲れ様です」

「今日は客少ないし、楽っすねぇ~。それに明日は……てもう今日か。給料日やし」

「そうですね」

「はあ~ねむ……時間までゆっくり品出ししとくっすね。なにかあったら呼んでください」

「はい」


 大学生の彼と二人きりのシフトは楽だった。彼は寄り添った相槌も必要ないし、詮索も特にしてこない。今は、聞かれたくないことがたくさんあったから。


「…………」

「いらっしゃいませ」

 時間は進んでいく。それを少し苦痛に感じながら、僕は口と手を動かしていた。その無意識を引き留めるように、レジの前に優しく置かれたサンドウィッチ。


「おはよ」

「お、おはよう」

 気さくに声をかけてきたのは、かつて同じ中学に通っていた同級生だった。


「こんな時間からバイトなんて偉いね」

「そっちこそ。早くからすごいね。243円になります」

「俺は朝練があるだけだよ。それじゃ、頑張って」

「うん。ありがとう。……243円、ちょうどお預かりしました」


 確か彼はバスケ部で、運動神経もよかったはずだ。不思議な形のバッグを持って、爽やかに店を出ていく。本当ならば、僕も彼と同じ高校に通ったりしていたのだろうか。部活に入って、朝早くに家を出て、何かに青春を捧げることもあったのだろうか。

 こんな風に、夜から朝までバイトして過ごすこともなかったのだろうか。


 すべてが狂ったのは2年前。僕の父親が他界してからだった。母と妹と僕だけになった家庭で、すぐに母は壊れてしまった。

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