第21話 赤い薔薇の謎 2
翌日、灰色の雲が低く垂れこめ、ロンドンの空を陰鬱に覆っていた。シャーロック・ホームズとジョン・ワトソンは、フィリップ・ラトクリフの邸宅へと向かって馬車を走らせていた。馬車の車輪が石畳を打つリズミカルな音が、二人の間に広がる沈黙を和らげているかのようだった。ホームズは窓の外を見つめ、口にはいつものパイプを咥えていた。彼の表情は無表情だが、内側ではすでにこの謎めいた事件の詳細を考察していることは、ワトソンには容易にわかった。
「ホームズ、このラトクリフという男の話、どう思う?彼の言う赤い薔薇が、過去の罪に繋がるものだという直感は的を射ているように感じるが、まだ全貌が見えてこない。」
ワトソンが問いかけると、ホームズはわずかに視線を彼に向け、軽く頷いた。
「ワトソン、すべての事件は、人間の心理と行動の結果だ。彼が語った薔薇の話が過去に絡んでいることは確かだが、重要なのは、それが現在にどのような形で浮かび上がってきたのか、そして誰がそれを操っているかということだ。」
ホームズはそう言って再び窓の外に目を向けた。
しばらくして、ラトクリフ邸が目の前に姿を現した。邸宅はロンドンの郊外に位置しており、広大な敷地に立派な造りの家が建っていた。白い石造りの外壁が重厚感を漂わせ、上流階級の屋敷らしい格式が感じられる。しかし、その静かな佇まいの中に、どこか陰のある空気が流れているように感じられた。
「ここか。美しいが、どこか冷たい印象を受けるな。」
ワトソンは邸宅を見上げながら呟いた。
「美しい外観が真実を覆い隠していることなど、珍しくもない。さて、行こう。」
ホームズは一言そう言うと、邸宅の玄関へと向かった。
玄関の大きな扉は、まるで彼らを拒むかのように無言でそびえ立っていたが、ノックをするとすぐに執事のハロルドが現れ、丁寧に彼らを迎え入れた。ハロルドは60代と思しき背筋の伸びた男で、長年この家に仕えてきたことが彼の落ち着きと品のある態度から感じられた。
「シャーロック・ホームズ様、ジョン・ワトソン様。お待ちしておりました。ご案内いたします。」
ハロルドは控えめに言うと、ホームズたちを邸内へと導いた。
屋敷の中は豪奢で美しく整えられており、壁には高価な絵画が掛けられ、重厚な家具が並んでいた。しかし、どこか空気が冷たく、家全体に緊張感が漂っているようだった。長い廊下を進んでいくうちに、ワトソンはその静けさに不安を覚え始めた。
「不気味なくらい静かだな、ホームズ。」
ワトソンが小声で言うと、ホームズは一瞬だけ笑みを浮かべた。
「静寂の中にこそ、真実が隠れているものだよ、ワトソン。」
やがて、彼らは広々とした応接室に通された。部屋の中央には豪華なソファが配置されており、その奥にはフィリップ・ラトクリフが待っていた。彼は前夜よりも幾分か落ち着いているように見えたが、その顔にはまだ不安の影が残っていた。
「ホームズさん、ようこそ。我が家へお越しいただき感謝します。」
フィリップは立ち上がり、軽く頭を下げた。
「早速ですが、あなたの仰る赤い薔薇がどのように置かれているのか、詳しく調べさせていただきたい。」
ホームズは一礼し、さっそく本題に入った。
「もちろんです。毎晩、私たちが寝静まった頃に薔薇が玄関の階段にそっと置かれているのです。最初はただの悪戯かと思っていたのですが、それがあまりにも規則的で、そして不気味な意味を持っているように感じ始めたのです。」
フィリップは緊張した声で説明を始めた。
その時、部屋の奥から一人の女性が静かに現れた。彼女はフィリップの妻、マーガレット・ラトクリフで、端正な顔立ちと優雅な身のこなしを持つ女性だった。しかし、その瞳には不安と怯えが見え隠れしていた。
「どうぞ、私たちに力を貸してください。毎夜の薔薇は、私たち家族にとって耐え難いものです。あれが置かれるたびに、何か恐ろしいことが起こるのではないかと…」
マーガレットはフィリップの隣に立ち、恐怖に怯えるようにそう語った。
ホームズは彼女の言葉を冷静に聞きながら、部屋全体に目を走らせた。そして、ラトクリフ家の内情を見抜くように、鋭い視線をフィリップに向けた。
「奥様、昨夜も薔薇が置かれたのでしょうか?」
ホームズは慎重に尋ねた。
「ええ…昨夜もいつものように。誰がどうやって家に近づいているのか、まったく気配を感じることができないのです。」
マーガレットは震える声で答えた。
「なるほど、これは単なる悪戯ではなさそうだ。フィリップさん、あなたが仰った過去の出来事について、さらに詳しくお聞かせ願えますか?それが、この事件の鍵を握っているように思います。」
ホームズはゆっくりとフィリップに向き直った。
フィリップは一瞬口ごもったが、やがて重い口を開いた。
「ルイーズという女性がいました。彼女との関係が、私にとって重荷となっています。彼女は私にとって…特別な存在でした。しかし、ある出来事がきっかけで、彼女は不幸な最期を迎えました。私はその罪を背負い続けています。それが今、こうして私を苦しめているのかもしれません。」
「ルイーズという名前が、この事件に深く関わっていることは間違いなさそうですね。」
ホームズはそう言うと、再び部屋を見渡しながら、事件の真相に近づいていることを確信したかのように、静かに微笑んだ。
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