第1話 半人造人間の人殺し①

 あーめあーめ ふーれふーれ


 ぐ

  ちゃ。


 かーあさーんがー


 ぐしゃ。


 じゃーのめで おーむかーえ


  ぐ ちゃ。


 うーれしーいな


  しゃ。

 ぐ


 ピッチピッチ

 ぐちゃぐちゃ


 ちゃっぷちゃっぷ

  ぐしゃぐしゃ


「ぎゃああああああ!!」


「………らん、らん、らん………」


 ───だっけ?

 少女は思った。この歌は、誰から聞いたものだったのか、と。

 数秒前、少女は唐突にこの歌を思い出した。思い出したはいいものの、歌のリズムも音程も、何一つも分からない状態で思い出したものだから、少しの間悩んでいた。

 挙句、歌を思い出すために、手に握り締めた長い刀身が目立つ刀を使ってリズムを刻み、それに合わせて歌詞を綴った。

 そんな、あどけなさが含まれた歌声が響いていたのは、古びた廃校。割れた窓ガラス、木製の机と椅子は砕け、破壊され、散乱し、崩れかけの天井からは赤い月光が舞い降りている。

 その月明かりの下に、赤い少女はいた。


「アッ、アッ、アッ………」

「………」


 正確には、人間だったものに跨っていた。

 赤い少女の髪は、雪原景色のように純白だった。普段着の上から羽織を着為し、顔を覆っている狼の面は、真っ白で金箔が散りばめられている。

 だけれど、少女は赤だった。

 少女を構成する元の素材は全て白いにも関わらず、少女は跨っている生物から迸発された赤い液体のせいで、元の姿が分からなくなるほど、塗れていた。

 血、と呼ばれる、人間を構成している液体に。


「アッ………アァっ………」

「…………」


 先程から短く声を上げている生物に、面の奥底で「はぁ」とわざとらしくため息をこぼす。

 少女が跨っていた生物の身体は、見るに堪えないほど、原型を留めていなかった。両腕はもげ、足は引きちぎられ、胴は真っ二つに切り裂かれている。

 それなのに、この人間の形をした生物は、息絶えてはいなかった。

 じたばたと肩を動かして、必死に少女を退けようと足掻く。

 その生物の行動に、少女に苛立ちが募り始めた。

 大人しくすればいいものを、何をそんなに必死になっているのだか。結末は決まっているのだから、最後くらい、素直に受け止めればいいのに。

 少女は心がそんな言葉に埋め尽くされた状態で、血だらけの両手で握りしめていた刀を、大きく振りかぶる。

 赤く。刀が、月光に輝いた。


「グギャッ───」

「うるさい」


 ぶしゅり

 人間だった生物の心臓に刀を突き刺した瞬間、鮮血が勢いよく吹き出して、顔半分に降りかかった。その感覚に調理中、間違えてトマトを潰してしまった時を思い出す。

 しかし、匂いはトマトみたいに、新鮮なものではなかった。


「………服汚すな、って、言われたのに………やだな、臭う」


 生き物が死んだ匂い───血液の付着した服の袖から、酢みたいな少し酸っぱい匂いがする。あとは、腐った乳製品の匂いと、鉄が雨に濡れた匂い。

 お世辞でも、この匂いよりもマシな匂いがあるとは言えない。言わずもがな悪臭だった。

 再度袖を捲りあげて、短いため息を一つ。

 だって、血は水洗いをしなければ落ちないから。今は冬だから、手がかじかんでしまって洗いにくいのに。あぁ、いっその事気が付かない振りをすれば、万事解決じゃないか。

 と、思い至ったが、全身血まみれで気が来ませんでした、はさすがに通せない。

 さて───どうしたものか。

 血溜まりから退き、できる限り皮膚に付着した血液を払う。その音の裏を取るかのように、コツり、コツり、という音が、耳に入り込んできた。


「───和穂」


 芯のある低い声が、名を呼んだ。

 それに反応しながら振り向きざま、結っていた白い髪を解き、純粋に返答をする。


「なに」


 その一言に、感情を挿入することはなかった。

 少女───和穂は、声をかけてきた赤髪の青年に向き合うため、袖で刀に付着した血液を拭うと、腰に付いた鞘に仕舞った。


「殺したか?」

「うん。今回、ちょっと強かった」

「だよな。最近、強い『中毒者ドーズ』が多くなってきてる」

「訓練増やす?」

「それは鬼頭と話し合ってからじゃねぇと」


 立っていたのは、彼岸花の描かれた狐の面を付けた青年だった。和穂よりも長い髪を細く編み込んだ髪は、深紅に染まっている。

 けれどそれは、和穂と違い、血液ではなかった。

 月明かりに照らされているにも関わらず、和穂と打って変わって血液の付着がさほど目立っていないのは、青年の地毛自体が、深紅そのものだからだろう。

 その姿を見て、和穂は気づかれない程度に、むぎゅうと下唇を噛んだ。

 赤い青年と、真っ白な和穂。正反対の二人では、血との付き合い方すらも変わってくるらしい。

 ため息を抑えながら、青年と二人、扉のない教室を後にする。


「あっ。おーい、大和ー、和穂ー」


 教室から出た途端、廊下の奥側からしゃがれ声が響き渡った。

 和穂と赤髪の青年───大和を呼んだ声の主は、ひょっこりと上半身だけを廊下に出して、こちらを覗いていた。

 大和と似たり寄ったりの面を付けているからか、さながら幽霊のような青年に、ため息混じりに大和が呟く。


「………シンだな。おいシン、無線使えよ」

「ぶっ壊したー」

「………脳筋が………」


 帰ってきた反省の色が見受けられない声に、大和が呆れ気味に吐き出した。

 そんな大和に気が付きもせず、シン───深淵は軽やかに、教室から廊下へと飛び出した。

 それと、同時。鮮血が、水飛沫のように舞う。月光に照らされているからか、落ちた鮮血の雫が煌びやかに、波紋を作り上げていた。

 ───きれい。

 長く暗い廊下を歩きながら、その風景に見とれてしまった。

 深淵は和穂と大和の比にならないほど、その躯体は真っ赤に染まっていた。黒い髪も着ている服も、つま先から指先まで、川が流れるように血が滴っている。オマケに、中毒者を討取るために使ったであろう槌を振り渡しながら近づいて来ているので、危ないのなんの。

 当の本人はそんなことを気にせずに、頬が血まみれのまま狂気的な笑顔を浮かべて、大和に話しかけていた。


「飛鷹はー?」

「そっち。結構やらかしてる」


 大和が指した方向を、深淵につられながら見やる。

 指されたのは、長い階段。元から二階までしかない廃校の、一階と二階を繋ぐ、木製で作られた唯一の階段の下。

 二階と違い、一階は月光が届かない。だから、二階よりもより一層、不気味さが増している。


 特に、階段のあちらこちらに血肉が飛び散っていると、不気味さよりも一周まわって呆れてしまった。


「あぁなんだ、終わったのか」

 ───私の方が、マシだな。

 そう思ったのは、階段下に広がる、悲惨な光景を、目の当たりにしたからだった。

 和穂が垂れ流した量と比にならないほどの、生々しい血潮。原型は留めているものの、身体だった一部が階段下周辺に散乱し、吐き気を催す程の悪臭を解き放っている。

 にしても、いささか血の量が多すぎる気がしてならない。あの生物を一人殺したくらいでは、ここまでの出血量にならないはずなのだが。

 と、不意に目を逸らすと、はあった。

 ───悪趣味な。

 は、階段横の壁に、磔られていた。

 そこにあったのは、数からして三つ。身体は切り刻まれて周辺に転がっていたから、その上の部分は何処にやったのかと疑問に思っていた。死体の欠片の真ん中に突っ立っている、和穂と同じ白髪の青年───飛鷹のことだから、木っ端微塵にでもしているか、顔を潰しているか、どちらかだと思っていたけれど。

 まさか、首から上だけを引き抜いて、頭に釘なんてものを刺して磔にしているなど、誰が予想できるか。

 そして、もっと悪いのは………死体が、人間だったものだけでは、なかった。


「うっわぁ………軍人と一般人も殺しちゃったの? うえぇ」


 深淵は嘔吐くような真似をしながら、すました顔で突っ立っている飛鷹を責めるように告げる。

 大和は深淵のいる位置から数段上でその光景に絶句していて、一方、和穂は。

 ───気色悪。

 久しぶりに、吐き気がした。


「政府軍への見せしめだ。が、お前達に見せるつもりはなかった。些か仕事が早すぎるぞ。もっと丁寧にやれ」

「遅くて怒られんならまだわかっけど、早めに仕事終わらせて怒られんのは意味わかんねぇ」

「速さの問題では無い。死体は刻んだのか? 身元不明にしてきたか? 特に大和、和穂、お前達二人のことを言っている」

「………してない」

「する必要ねぇだろ」


 唇を尖らせながら、ふぃっとそっぽを向いた和穂と、覚めた瞳で飛鷹を睨む大和。

 反省の色が全く見えない二人に、飛鷹はため息混じりに口を開く。


「しろ。やらなければ、俺達の危険が増えるんだぞ。殺すのならば責任を持て」


 飛鷹は、顔に付けるよう命じられていたモノクロの面を取り外しながら、言い放った。


「俺達は、『密葬衆』の『半人造人間』なのだからな」


 その言葉で、和穂の頭の中には、この世の事情が構成された。


 この国には、三つの勢力が携わっていた。

 一つ。生きるために全てを犠牲にする、『密葬衆』。

 二つ。国民を守るために己を犠牲にする、通称『政府軍』。

 三つ。そんな二つの勢力の共通の敵、『中毒者』。

 そんな三つの勢力が集うのが、『閉鎖区』だった。

 今から二〇数年前、東京は謎の薬物中毒者、その名も『中毒者ドーズ』と呼ばれる異形により支配された。

 出生不明。原因不明。判明していることは、二〇数年前に突如として、日本の東京都を中心に現れた、元人間の何か、ということのみ。

 中毒者の最大の汚点は、人間を殺め、人間の生命の源、『氣』を奪い取ることだった。

 日本の政府はそんな中毒者の被害を食い止めるため、東京の住民に一切の避難勧告を出さず、『天珠』という『特殊な装置』により、中毒者と住民を東京全域に閉じ込めた。

 それが、『閉鎖区』の成り立ち。正確には、今から二三年も前の話になる。

 そんな中毒者を抹殺するために立ち上げられたのが、東京都に残された住民で構成された、『密葬衆』という組織だった。

『密葬衆』は『ヒューマノイド』と呼ばれる、超人的な力を持つ半人造人間を作り上げ、中毒者を様々な形で殺めた。


───時には、戦いに関係の無い、一般人をも巻き込んで。


 二十年も経った今、政府やその管轄下の軍に対する敵対心は、薄れてきている。当時は中毒者の被害を拡大させない為の、仕方の無い措置の取り方、だったのだろう。

 でも、だからこそ、『密葬衆』の邪魔を『政府軍』がするのならば、容赦はしない。

 これは、正しいことだ。脅威になる敵は殺さなければ、次に殺されるのは、己の身。

 生きるためには………この閉鎖された場所で生き残るには、殺される前に、殺すしかない。

 それは、当たり前のはずだ。

 ───なのに、なんで。


「飛鷹ぁ、今日の晩飯なにー?」

「………決めていないな、そういえば。何がいい」

「オムライス」

「お前………今血液を見たというのに、さらに赤い液体を見ろと?」

「ケチャップ以外ぶっかけりゃいいだろ!」

「あー、んじゃ、ハヤシぶっかければ? ほら、昨日の残り」

「大和ォ! 名案じゃーん! 飛鷹、できるか?」

「舐めるなよ。俺にできないことはない」


 ───動けない、の、だろう。

 ちり。

 胸に火傷を負ったような痛みが、侵食した………ような、気がした。

 飛鷹が殺した、名も知らぬ弱い人間と、強いはずの軍人の、あの剥き出した虚ろな目を、唐突に思い出して………不意に、あの時の───命を奪う感覚が、脳裏に染み付いて、離れなくなった。


「………和穂?」


 両の平を見ても、赤はもう消えていて、その跡すらも残っていないのに。


「………ごめん。ちょっと、考え事」


 心配して声をかけてくれた大和に返しながら、歩みを進める。

 考えても仕方の無いことだ。考えるだけ無駄だ。


 この問いに疑問を持って、その答えが出た時は、その身が滅ぼされている時なのだから。


 中毒者や密葬衆自 分 達により破壊された廃校を後にして、小走りで前を歩く家族に駆け寄った。

「私、夕食の前にお風呂入っていい?」

「いいぜ。っつか、いつにも増して血だらけだな」

「最近強ぇからな、中毒者」

「言われてみれば。そうかもしれないな」

「言われるまで気が付かねぇのが、飛鷹っぽいよな」


 飛鷹以外の大半が面を取れていないので、くぐもった声で会話を始める。

 血を落とすまでが任務、なんてことを上司から言われている状況なので、家に着くまでは面を外すことができない。

 不便だなぁ、と思いながらも、和穂が面を取ることはなかった。面を取れば顔がバレて、政府軍に通報される確率が上がる。顔を見られてしまえば終わりだ。政府軍は半人造人間を名前で認識することがなく、顔で覚えることが大半だろうから。

 まあ、面を取らないだけで生存確率が上がるのならば、取らないに越したことはないのだけれど。

 なんて上の空になりながら考えていると、


「あっ」

「うぇっ!? めっずらしい〜………」


 大和と深淵の二人が声を上げた。

 大和の後ろから顔を出して、数十メートル先に見えたのは、一人の男だった。

 夜の街に似合わない白衣をたなびかせるのは、四十代半ば位の男性。短髪な黒髪に、鋭い目付きの上からスクエアの眼鏡をかけていて、その面影は、少し飛鷹に似ている。

 和穂ははっきりとその人物を確認すると、飛鷹と共に驚きの声を出した。


「なんでここに師匠が………?」

「何故ここにいる? 父さん」


 飛鷹の実の父親であり、和穂の育ての親───鬼頭凛太郎。

『密葬衆』の最高幹部の一人である鬼頭は、滅多に任務の同行はしない。

 だから、ここにいること自体、珍しいことなのだが───


「何、大和から政府軍を殺した、と連絡を貰ったからな。死体と『器』の回収だ」

「死体はバラした。天珠ならここにある」

「あぁ………さすが、私の息子だ。仕事が早い」


 飛鷹が美しい装飾品が盛られた拳銃を鬼頭に手渡しする。戦うものに重くなるような宝石だとか、暗闇で光るような色に染めなければいいのに。そんなことをするから、死亡確率が上がるんだろうな。

 なんて頭で考えながら、和穂は鬼頭に尋ねる。


「師匠はこれからどうするの?」

「父さん、晩飯食べるか?」

「………いや、これから定例会議だ。気持ちだけ貰っておく。車を手配しているから、それに乗車して帰れ。寄り道はするなよ」

「はーい」

「わかった」


 言い終わると鬼頭は廃校に向かって歩き出した。白衣をたなびかせる後ろ姿は、昔に比べて、なんだか小さくなったような気がしてならない。

 あの、鬼頭に助けて貰った日から。


「………お前はいつまでも、父とは呼ばないんだな」

「だって、飛鷹だけのお父さんでしょ? 私には本当のお父さんいるし………」


 和穂の実の両親は、和穂が幼い頃に病死していた。

 和穂が覚えているのは、血を吐き出しながら、自分の名を呼ぶその色のみだ。

 声も顔も、形すらも覚えてはいない。

 両親が死んでから和穂は、父親の旧友だった鬼頭に引き取られ、飛鷹の妹として共に育ってきた。

 だから、時々………本当に稀に、だが。

 好奇心で尋ねてみることが多々ある。


「………飛鷹はお兄ちゃん呼びされたい?」

「………いや、別に」


 何を言っても動じない、血の繋がらない兄。

 だが、この問にだけは、嬉しそうな、寂しそうな、悲しそうな………様々な感情が混ざりあった表情をしてくれる。

 それに少し申し訳なく思いつつも、珍しいものが見れる喜びで、ついつい尋ねてしまうのだ。


「二人ともー、何してんだー? 行くぞー」


 深淵が大手を振って二人を呼んだ。

 その声に、少しだけ安心感を覚えて。

 和穂は、数年前よりも、色々なものがもっと離れてしまった兄を見上げた。


「行こう、兄さん」

「………だから、呼ばなくていい」


 小学校というものの学年分、丸ごと離れた兄の手を引いて、颯爽と日の暮れる道を走り出した。

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