罪人は遠吠えを繰り返す

凩雪衣

序章 雪解けは死体の温度

 まるでこの世界は、誰かの遠吠えで成り立っているみたいだった。


 だって、人が殺されそうになってても、誰も助けないし。

 だって、怪物みたいなやつが暴れても、誰かなんとかしろよーって叫んでるだけだし。

 明日、今日、数時間後、数分後、今―――………もしかしたら、死ぬかもしれないのに。

 誰もそんなことを気にせずに、薄いガラスの上で、踊って吠える。

 大抵の奴らは、そんなことを気にしても無意味だから、目を背けて生きている。

 誰も、この音には、耳を傾けない。


───………⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎―――………


 ほら。

 今、この瞬間も、遠吠えが聞こえる。

 私の耳に、入り込んでくる。

 悲鳴とか、苦痛とか、泣き声とか、そんな生半可なものじゃない。


 誰かが死ぬ時に聞こえる、遠吠えが聞こえるんだ。


 この世界は、数多の絶望と、僅かな救いで、平衡感覚を保っていて。


 誰も彼もが、その真実から目を逸らして、いきていて。


 誰かの犠牲の上で、成り立っていて………。


「そんな世界で、私は………―――



                               








大切な人を、殺した―――」


 血の炎が降り注ぐ中で、命を握りしめながら、呟いた。


*☂︎⋆


 夜も更けてきた午前三時。人通りもほとんどなく、風も雨も寝たような、真夜中。

 私は過去、東京都、と呼ばれていた地を、歩んでいた。

 街並みは、都会と言っていいのだろう。高層ビルが立ち並び、低い位置にある建物の殆どにネオンサインが煌びやかに灯り、夜にも関わらず街は明るい。けれど、断定はできない。

 理由は、私がこの場所以外に行ったことはなかったからだ。それに、ここには電波が無い。テレビなんて見れないから、他の地域がどんな風になっているのか、なんて見当もつかない。

 それでも、都会なのだろうな、と思えるのは、普通ならば寝ている時間なのに営業しているお店はあるし、少ないけれど、人が歩いて車も動いている。

 そして、高層ビルに挟まれて、見えるか見えないかを彷徨う空を、無数の赤い光を放つ探照灯が包み込んでいるのだ。だから、ここは、都会だ。

 私は今、都会の―――『閉鎖区』と呼ばれる街に、在った。


「いやぁ、歌った歌った!」


 そんな街の道を、私と、一人の少年と、二人の青年とで横並びになって歩く。時刻は深夜三時。大人でも外に出ることを渋るような寒さだからか、今、この通りは私達以外、殆ど誰も歩いてはいなかった。

 だから、私の横にいる青年の一人が大声を出したとて、誰からも咎められることはないのだ。

 けれど、なぜこんなにも、隣の奴は興奮しているのだろうか。

 ついさっき、数分前に、それは終わったはずなのに。

 今日………というか、昨日から今日にかけて初めて、深夜のカラオケ、というものを体験した。

 だからこそ、なのかは分からないが、隣にいる奴はこんなにも興奮している。夜が更けてきたにもにも関わらず、興奮状態から今にも走り出して電柱にぶつかってしまいそうだった。

 そんな青年を見て、隣にいた二人がため息を吐いた。


「歌ったってお前な………」

深淵しんえん、お前は下手すぎる。次からトップバッターで絶対に歌うな」

「シンが歌うとやべぇもんな………平衡感覚崩れるわ、耳イカれるわ、挙句の果てに次歌うやつの音感が滅茶苦茶だわ………」

「…………そこまでいわなくても………………………………………いいじゃんか………」

「は? おい黙るな、返事をしろ音痴」

「ひっでぇ! そこまで言わなくてもいいだろ!」

「あっ、俺ちょっとコンビニ寄っていい?」


 私の隣の隣で歩いていた赤髪の少年が、急ぎ足でコンビニに滑り込む。少年を待つために、私達もコンビニの入口横に移動した。

 あんなに急ぐなんて珍しい。何かあったのだろうか。

 そう内心で思いつつも、特に考えることもなく、雲に覆われている、真っ赤な夜空を見上げた。

「あっ………」

 それと、ほぼ同時だった。

 朝から、いつもよりも寒いな、と思っていた。今はもう二月、冬の後半に差し掛かっているし、もうすぐ春になるから、それの準備なのだろうな、なんて一人で思い至っていた。

 けれど、それがまさか―――


 空から、『死体』が降ってくる、なんて、誰が予想出来ただろうか。


「雪じゃん!」

「おぉ………東京だと珍しいな」


 気がついた二人が、感嘆の声をあげた。

 初めて見る『雪』は、ふわり、と、手のひらに吸い込まれて、熱によって溶ける。まるで、その情景を音にしたような、ぐじゅりと、何かが熟れるような音が、耳元で響いたような気がした。

 その音から背けるように、探照灯に照らされた真っ赤な空を見上げた。けれど、思い出は蘇る。また、昨日飛んできた血しぶきを思い出して、その場で俯いた。

 初めて触れた、雪という空からの贈り物は、昨夜触れた、死体と同じくらい、冷たい。

 まるで………死体の破片が、降り注いでいるみたいだった。


「―――和穂かずほ

「えっ?」


 突如、死体が消える。

 何事かと、誰が名前を呼んでくれたのかと、見上げれば。

 真っ黒な傘を持った赤髪の少年が、傘を私に手向けていた。


「風邪ひくぞ」

「あっ………ありがとう、大和やまと。でも帽子あるから大丈夫」

「いやそういう問題じゃねぇよ」

「おーい大和ー! 俺らの傘はー?」

「あるよ、ほら」

「うわっ、あいつ投げやがったっ………!」

「おい大和、これと相合傘しろと? 新手の拷問かなにかか?」

「そーだぞ大和! お前ばっか女子とイチャイチャしやがって!」

「おい、その言い方だと、ただの誑し野郎ということになるぞ」

「えッ………!?」

「無自覚か。最低も付け足しておいてやろう」

「黙って使えよ、シン。俺が買ってきた傘なんだから、相手選ぶ権利は俺にあるだろーが」


 今しがた、買ってきた傘を投げつける、大和。

 大和が買ってきた傘を受け取るけれど、急なことで驚いている、深淵。

 深淵と相合傘を強要されて、怪訝な表情を見せる、飛鷹。

 三者三様の反応を見せる、私の唯一の家族。

 そんなみんなを見ていたら、なんだか悩んでいることが、馬鹿馬鹿しくなってきて。


「………ふはっ」


 その場で、小さく吹き出した。


「やっと笑ったな。カラオケん時も上の空だったしよ。どした? なんかあった?」


 そう言いながら大和は私に柔らかく笑いかけた。

 大和はいつも、こうやって気軽に尋ねてくれる。私の救い、みたいな『人』だった。

 そんな心の綺麗な『人』に、余計な心配なんて、かけたくない。


「んーん。ただ………」


 けれど、嘘も、吐きたくない。

 二人で一つの傘に入って、心臓の音も聞こえてしまいそうな近さまで、ぐっと一気に縮まった隙間。私は心の中で、嘘偽りのない言葉を紡ぐ。

 死体の降り注ぐ、赤い檻に照らされた空を見上げて。


「私の手って、真っ赤だなぁ、って、思っただけ」


 ああ今日も、空は汚れている。

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