第10話  モチベーション

子供達のやる気は、興味を引かれたほんの一瞬に高まり、実行していくうちにだんだんと薄れてゆく。それは、大人だって同じだろうけれども、子供達のその速度はずっと速い。高まるのも衰えるのも速すぎて大人の追いつける範囲にはない。その違いは細胞の新陳代謝の速さの差であると説いた人がいたと聞いた。そう、まさにそうなのかも知れない。そして、その衰えのスピードをいかに遅らせるかが、まとめる側の工夫ということになる。


昔、プラモデル作りに夢中になっていた世代の男の子達は、完成して形となるまでの単調な作業を我慢することに慣れていた。我慢というより、完成した形が見えてくるまでの間中、自分の出来上がりのイメージを膨らませることに楽しみを感じることのできる人たちが多くいた、といえば良いだろうか。残念ながら、総じて今、そういう感覚で物作りに向かう子が少なくなってしまった。特に男の子にその傾向が強い。我が家の男の子もそうで、まったくそういったことには興味がないようだ。すぐに形になったり、即座に結果が出ないものは相手にしたくないようなのだ。


プラモデル作りには、完成した姿を予想できる楽しみがある。そして、組み立ての最中には、その一つひとつの部品の持つ美しさに気づくこともできる。完成した姿からは見ることの出来ない内部の作りに感激させられることもあった。だから、完成品を見ながらも、その内部の見えない部分の姿を思い出しては、満足感を覚えることだって出来るのだ。長い時間をかけて完成させた作品を飾りながら、一人悦に入っているように見えるのもそのためなのだ。


プラモデルに限らずとも、ものを作る楽しさは、一つひとつの部品や材料を組み合わせていくうちに、徐々に形らしいものが見えてきて、それがだんだんと見知ったもの、予想していたものに近づいていく楽しさだ。ちょっとずつの我慢と努力の積み重ねで、自分の求めたイメージが現実のものに近づいて行き、しだいしだいにその輪郭がはっきりしたものになっていく。そういう過程が、そしてその時間が楽しいと感じられる。そんな楽しさなのだ。


それは、マラソンのような長い距離を走っていて、だんだんとゴールに近づいてきたときの楽しさや期待感や満足感に似ているかも知れない。スタートしてすぐの気持ちの高まりが、だんだんとつらさや苦しさに変わり、半分も行くともう帰るにも行くにも遠い道のりがあることに気づいて、途方にくれてしまうこともある。それでもあきらめずに進んでいくうちに、なんだかゴールできそうな気持ちが大きくなっていき、ゴールに近づいているという思いが再びやる気を呼び覚まし、気持ちを高める。そうして、ゴールした時の満足感や達成感が自分の中に蓄積され、また次の目標に向かえるようになる。そんなことの繰り返しが大人になる前の自分を鍛えてくれるような気がするのだが……。

物作りもそんな経緯をたどって完成に向かうものではないだろうか。多くの子供たちは、いや大人たちも、そこまでの忍耐が続かない。マラソンと違って、それは肉体的なものじゃなく精神的なものかもしれない。ちょっと気に入ったから興味を持って作り始めてみても、途中で止めてしまう。中途半端な状態のまま放り投げてしまう。そういう子供達がたくさんいる。あと一歩、もう少しだけ前へ進めば、見えてくる世界が変わり、新たなやる気や向上心を受け取れるのに、だ。そこに気づいてくれればいいのだが……。そして、一度それに気づいてくれると、次もまた挑戦しようと思えるのだが……。


学校祭の作業もそこが問題だった。一ヶ月にも及ぶ取り組みの期間に、いかにして生徒達の「やる気」を保ってやれば良いのか。ステージ発表であれば、例えばそれが劇のように誰が見てもわかる「できる」という形が毎日確認されるものであれば、台詞を覚える、場面を展開できる、照明や音響ができる、というふうに全て具体的なものとして毎回確認しあえる。だから、わりと毎日の作業や準備に意欲的に向かえる。もちろんそれだっていろんな準備や工夫があるからに違いない。


だが、展示の中心となる「ものを作り上げる」という活動はなかなか形になりにくく、そして目に「見えない形」でいる時間が長いだけに、毎日を満足した状態で終わる活動にしにくいものだ。それにしても、今まで以上に今回の段ボールとの格闘はちょっと辛い作業になるだろう。


最近は意欲ややる気という意味合いのことを、モチベーションという言葉で表すことが多い。サッカーなどのスポーツからやって来たようだが、辞書的には動機付け、や意欲と言う言葉になるのだろうか。ただそれは一律なものとはいえず、いくつかのパターンに分かれるように思える。


そのうちの一つは、内側から自然にわいてくる興味や関心だとか好奇心と呼ばれるもの。これには大きく個人差があり、趣味やそれぞれの家庭での生活自体にもかわってくるだろうし、好き嫌いと呼ぶことができるかもしれない。ただ、このタイプのモチベーションをみんなが持っていれば、まとめる側は楽ちんである。「好き」「やりたがり」という、このタイプの生徒が多ければ、何も工夫もせずにどんどん進められる。同好会だとか部活動などはこういう人たちの集まりに違いない。好きなもの同士の集まりなのだ。


また、目的を達成するということ自体がモチベーションとなる人たちもいる。何らかのきっかけでゴールを目指すことになったら、ゴールに到達するという目的意識を達成させるため、達成された時の満足感を求めて活動するという人たちだ。その活動が好きとか嫌いとかいうこと以上に、自分の決めたこと、あるいは与えられた目的を成し遂げることに喜びを見いだせるタイプの人たちだ。「達成感」がモチベーションになると言えばいいだろうか。こんなタイプの人たちも進める側は楽ができるだろう。でも、そんな人たちだって多くいるはずはない。


このタイプは、今まさに、学校祭に向かう作業を中心に進めてくれている6人のプロジェクトメンバー達だ。彼らは何に対しても、達成させることに喜びを見つけられる人たちだ。当然、その喜びを味わった経験のある子が多いはずだ。つまり、この子達は今までにも何らかの小さな成功体験を積み重ねてきたに違いないのだ。そう、小さなころから、やり遂げること自体が楽しいと感じられるとってもラッキーな人たちなのだ。この場合のラッキーは「幸福」と言い換えてもいい。


だが、クラスの生徒達の中で一番多いのは、けっしてこの二つのタイプではない。一番は、きっと外から加えられた力によって生まれるモチベーションだろう。それは、怒られるからやらなければならない。褒められるからやる。決まったことだから仕方がないのでやっている。そういう思いで進める人たちのものだ。学校という社会では、多くの子たちはこのタイプのモチベーションで動いているだろう。このクラスの生徒達だって、プロジェクトのメンバー以外の多くはこの「しょうがないからモチベーション」によって動いている。


だからこそ、私たちはこのタイプの子達に、もう少し楽しめる、もう少し興味関心を高め、好奇心をそそる何かの方法や仕掛けを考えておくことが必要になる。それが、ガンダムという漫画やアニメの世界であり、大きいものというキーワードでもあるのではないか。2メートル40センチという自分より大きいものに挑戦する。今まで見たことがないものに向かっている。そういう「特別な、初めての……」という言葉は子供達ばかりでなく、人の心をくすぐる動機となりやすいはずだ。

……しかし、今回はこのたくさんの段ボールと格闘する毎日がどれだけ続けられるだろうか。

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