『ガンプロ』 ~みんな!今年はガンダムつくろうぜ~ 

@kitamitio

第1話

                                             

「ガンプロ」第一部 

中学三年「夏」


「フ、ウァー……、ア」

欠伸をかみ殺したのか、それともため息だったのか。

久しぶりの緊張で、力を使い果たしてしまったのか。

妙に間延びした声が聞こえてきた。

教室内には長袖のワイシャツ姿が増えていた。

夏休みが終わった。


「……そんなふうに、自分自身をコントロールできる人になってください。そして3年生のみなさんは、いよいよ進路に向けて山場となる学期を迎えました。受験は高校に受かることがゴールではありません。入学して3年間通って卒業することが大切なのです。ですから今が大切なのです。今のこのときを、中学校生活をしっかりしなければ高校生活は続きません。ですから皆さん、この二学期は……」


今年赴任してきたばかりの校長先生が堅苦しい話を長々と続け、ようやっと始業式が終わった。その後夏休み中におこなわれた部活動の表彰式があり教室に戻ると、そこには丸まった肩の線を見せ、けだるい表情を浮かべた三年生たちがいた。まぶたが重そうだった。眉に力が入っていない。

二学期が始まり、これからの半年間は彼らにとって中学校生活最後の日々が待っている。そして、できることなら聞きたくないと逃げ続けてきた「受験生」という言葉が、現実味を持って耳に届きはじめた日でもあった。その始まりのファンファーレ(いや、彼らにとっては「不安不安―デ」かもしれない)が鳴り響いた後の学活の時間である。明日からは普通授業がまた始まる……。  


夏の日差し以外には訪れるものもなく、長い沈黙に包まれていたこの教室にひと月ぶりに全員が集まった。生徒たちの座り方にはまだ夏休みの余韻が色濃く残っている。いやいや、それでも何事もなくみんながここに集まっていることが一番大切なことなのだ。

「できることならこの夏休みだけは永遠に続いてほしい」

いまだにそう考えている生徒も多くいるに違いない。それは学生であるうちは必ずついて回る思いなのだが、今年の夏休みは特別だったかもしれない。義務教育を終了するということは、初めて自分の力で自分の進む先を決めなければならないということでもあった。不安な気持ちになって当然だ。出来るなら逃げたいと思うのもよくわかる。しかしそれはけっして逃げてはいけないことなのだ。中学校までを義務教育として生きてきた日本人すべてが一度は経験し、そしてこれからもみんなが同じように経験しなければならない「時」なのだ。

今、目の前にいる彼らの視線はあちこちをさまよっていた。日本人のみんなが経験しようと何であろうと、今はもうちょっとのんびり夏休みを続けていたい。そう反論しているようでもあった。

「そのうちなんとか、その気になるから」

そんな顔、そんな目をした生徒達が「しょうがなく」机に向かっているようだった。

窓からやって来るわずかな風が、一輪挿しのユリの花を経由して強い香を運んできた。


 さあ、ここからだ。

最近すっかりたるんでしまった腹筋に少しだけ力を入れた。

低めの声で、しかし力強く言うことにした。

教卓の前に出て、息を多めに吸った。

そして、私はこう宣言した。


「学校祭、今年はガンダム作るぞ!」


夏休み中の出来事を聞くでも、旅行の話を引き出すでも、楽しい思い出を語らせるでもなく、いきなりそう話し出すことにしたのだ。

「……?」

少しの間があった。

すでにこのことを知っていた6人の生徒達だけが仲間の反応を楽しんでいる。

「……!」

不意を突かれた驚きと、あきれたような30人の顔が、見事に一斉にこちらを向いた。

「話を聞くときは顔を上げて、話す人の目を見て聞きなさい。反応を返すのは話している人に。横や後ろの人に返していたら聞く力を高められないぞ。」

そういう指導を「あたりまえなこと」として中学入学以来何度もしてきた。それでも、なかなかそれは現実のものとならないことの方が多い。だが、このときは見事に、一瞬にして36人の目が私に正対していた。言葉だけの指導じゃなくて、彼らにとってどれだけ重要な内容を話すかが生徒たちの態度を決めるのだということがよくわかる。自分にとって必要なことは、誰に言われることなくしっかり聞こうとするのだ。まあ、それこそが「あたりまえ」なことなのだ。


「ん、なになにっ、なんて言ったの今?」

声は出さずとも、何人もの顔がそう問いかけていた。

「まーた、ウチの担任は一人だけ盛り上がって……」

「またまた、今年もなんか変なものに影響されたんだろ……」

目が緊張感を取り戻していた。

「始まっちゃったなー、またまた……」

「えー、今度は、なんなのさー?」

「まーた、めんどくせえこと考えてやがんだろう!」

口が動き出した。

すぐにでも質問の嵐がやってきそうな雰囲気だ。

彼らの表情でその内容はいつも想像できる。

目の力強さに私は注目していた。

こういう時の生徒達の目は、本当に素直に自分の気持ちを表すもので、見ていてとても楽しい瞬間だ。この話をすでに知っていた学校祭プロジェクトメンバーの6人だけは、私がどんなふうに話を切り出すかに注目していた。そして、仲間の反応に喜びを隠せないようで、私の次のアクションを待ち望んでいた。彼らの目は今にもなくなってしまいそうに細くなっている。


「ほら! これ!」

劇的な登場を演出しようと、入り口の廊下に置いてきた二体のペーパークラフトを教室内に入れた。そして教卓の上に並べて置いた。

「オー……!!」

という予想通りの声。

「えー……?!」

という困惑にも聞こえる声。

「ガンダムだ!」

「ザクだー!」

声は次々に広がっていった。そして、あざけりにも思える顔や、不満げな表情とざわめきが教室いっぱいに充満した。立ち上がっているのは最後列にいる生徒達だ。「沈黙の掟」に縛られていた6人のプロジェクト達は、それまでの我慢を一気に解き放して笑った。

私は、この上ない楽しさを感じた。今、自分がどんな顔をしているのか知りたい気分だった。できることなら、今の自分の楽しさを写真に残しておきたい気分だった。


「それじゃ、プロジェクトの人たち、よろしく」

プロジェクトメンバー達がたくさんのプリントを手に前に出てきた。手分けして列ごとにプリントを配ったあと、細かな計画の説明が始められた。

 黒板の前に並んだ6人の顔には真剣みがもどって来ていた。

夏休みの顔をした生徒はもう少なくなっていた。



中学三年「春」

1.新型インフルエンザ


2009年4月。義務教育最後の年となった中学3年生達に、少しでも社会への関心を深めさせようと、朝の会にニュースのコーナーを復活させた。日直当番が、最近のニュースの中で「気になる事柄」「気に入った事柄」を発表する時間を設けたのだ。


中学入学以来、学級指導でも教科の指導でも「新聞を読む習慣をつけなさい」と言い続けてきた。だが、それに触発されて新聞を読む習慣がつく生徒はごく限られている。いや、ほとんどの生徒はそんな習慣がつきはしない。新聞を読むことに必要性を感じないからだ。新聞から吸収できる知識や教養や一般的見解といったものに、別に自分が関わらなくても生きていけるし、自分がどうこうすることでそれらが変わっていくものではないと思っているからだ。いわば、新聞の扱う大人の世界は自分たちの生きている世界とは違う次元だと感じている。自分たちが何かをしても、次元の違う世界が変わりはしない。別な世界に生きているのだから、新聞なんか読まなくても自分たちの生活には大きな影響はないのだ。そう思っている。しかも彼らは結構忙しい生活をしている。


もっとも、新聞以外でもニュースは発信されているのだから、テレビでもインターネットでも、自分の情報源として使えるものは何でもいい。とにかく、ひと月に一度くらいしか回ってこない日直の使命を全うするためだけに、彼らは義務として、強制されてニュースを仕入れてくる。それでもいいのだ。今ある社会の出来事に自分が何らかの形で関心を持つだけでいい。そう思ったのだ。


「日本政府は日本時間4月29日、フェーズ4(ヨン)を受けて『新型インフルエンザのハッセイ、いや、ハッショウ』を宣言し……」

笑いを押し殺そうとする何人かの顔が見える。小さな声で隣の子と話す姿もある。

「宣言し……、ナイ、ナイカク、内閣総理大臣を本部長とする全・カ・ク・リョウ参加の『新型インフルエンザ対策本部』を設置し、メキシコ対象に、フヨ…ウ、フ…、キュウ、のト、コウ延期を求めるカン・セ……ン・ショ、ウ危険情報を出した。」

 

左の掌に小さくたたんだ新聞記事の切り抜きをしのばせ、そのまま、たどたどしく読み上げたのは、野球部でセンターを守る木村天斗だ。足の速さも肩の強さも、チームでナンバーワンの彼は野球では注目の選手だ。ランナー1,2塁からのバントシフトで、センターから2塁に牽制に入ってランナーを殺し、明らかにセンター前のヒットなのに、猛烈な勢いのダッシュと強肩で一塁に投げてアウトにしてしまう男だった。身体能力も野球のセンスも見事なのだが、残念ながら勉強に向かうセンスはそうはいかなかったようだ。彼はきっと、この秋に野球の名門校から勧誘されることになるだろう。だが、人として成長していくためには、野球だけの力ではうまくいくはずがない。野球をしていない時間に蓄えたものが、必ず彼の野球中心の人生にも大きな影響を与えるに違いないのだ。


「読めること、話せること、会話が成立すること」

社会生活を送るうえでのそういう基礎的な力を訓練する必要だってあるのだ。そして、それは中学校にいる間に身につけるしかない。


「おまえさ、そんなの読み上げるのダメだって。ちゃんと自分の言葉にして言いなよ」

「先生、タカトには無理な注文です。」

そう言った高村洋介の言葉に女の子のクスクス笑いが重なり、男の子達の冷やかしの声が後に続いた。

「ウッセー!」

小声の天斗がやり返す。

男の子達がニヤついて隣近所の生徒と目で合図し合っている。


「それで、木村。君はそれについてどう思ったのさ」

新聞の切り抜きをくしゃくしゃにしながら木村が小声で言った。

「えっと……、いやだなーと、早くなくなってほしいな……と……」

語尾が消えそうになりながらも、笑いながら冷やかしていた同じ野球部の渡辺雄太にしかめっ面を返している。


「山口、今年の学校祭のプレゼンは天斗にしないか?」

吹奏楽部でトロンボーンを担当する山口は、今年の学校祭ステージ発表を選考するためのプレゼンを任された学校祭ステージ発表のプロジェクトリーダーだった。

「せんせー、天斗にやらせたら、今年もまたステージできなくなっちゃうでしょう!」

「だけどよ、木村のしゃべりも何とかしてやんないと、これから困るだろう? 野球はうまいけど、しゃべれないまんまじゃなあー……」

「いやそれは、また別の機会ということで……」

「お前が言うなって。」


教室内にまた笑いが起こった。

「でも、それにしてもさ、この『新型インフルエンザ』っていうの、困ってんだわ! 君たちは今年修学旅行で岩手までいく予定なんだけどさ……、もしかすると……。」

という言葉に、それまでざわついていた36人の生徒達は耳をそばだてた。

「……もしかすると、……危ないかも。」

隣同士顔を見合わせるもの、後ろと小声で話し始めるものがでてきた。


「先生。危ないって、止めるってことですか?」

バスケ部ではポイントガードの山本啓悟が語気を強めて聞いた。冗談ばかりのやつだったが、この時は真剣な語調だった。


「うそー!」

「やだー!」

「だめー!」

女の子達の声が重なり、視線が散乱し始めた。


「まだ……」と言葉を切ってやると、再び全員の目が戻ってきた。

「まだ……、判断できているわけじゃない。けどな、この春から、高校生の全国大会に参加した生徒の中で『新型インフルエンザ』を発症する割合が高くなってさ、帰ってから自分の学校に広げているそうだ。高校生は、全国的にな、スポーツ系の大会だけでなくって、他のイベントも自粛する傾向にあるんだそうだ。」


「兄ちゃんの高校、バレーの全道大会で応援禁止になったって」

そう言った岩倉健二はゲームと読書が趣味の目立たない生徒だが、兄は中学時代からバレーボールの全道強化選手に選ばれるほどの逸材だった。


「岩手の旅館からは、消毒用のアルコールだとかいろんな面で万全の準備をしてるから大丈夫、という連絡はありました。他校の生徒も同宿しないそうです。だから、宿泊に関しては安心できそうなんだけどもさ、……列車やバスの移動だろう、観光地だろう、見学先だろう……。約200人が同じ車両や部屋で動くことになるだろう……。この状況だと、感染者がいたら、あっという間に広がる条件がそろってるってことさ。」


「マスクしてけばいいじゃないすか。」

眉毛に手を入れて怒られた山本が言った。こいつは何でもないときでもマスクをかけてくる。人よりもうんと小顔な彼が顔の半分が隠れてしまうような大きなマスクをしてくるもんだから、見えているのは目から上だけ。それでいて眉毛が薄いとなると、不気味でしょうがない。


「大丈夫だよ~!」

風邪と体調不良の理由から学校を休みがちの中野美優が力強く宣言した。

「私インフルエンザかかったことないし!」

「あれ、そうだっけ?」

「絶対行く!」

「君一人では行けないの!」


珍しく朝の会が盛り上がってしまった。

「そこでだ、その……マスク! ないんだよ、今。」


この年、春からの「新型インフルエンザ騒動」で都市部の薬局からはマスクがなくなりつつあった。修学旅行のために学校で取り揃えようとしても、人数分を用意できる店舗はなかった。「家庭で用意してもらうしかないな。」という結論だったが、そうばかりも言っていられない。


万が一旅行先でインフルエンザが発症してしまったら、その時点で旅行を終えなければならなくなる可能性もあった。担当する旅行業者は、1名や2名ならば早い段階で札幌まで送り届けられるようにすると言ってはいる。が、それを対策として修学旅行という大きな行事を進めてしまっていいのか。それとも、時期を変えて夏まで待った方がいいのか。決断の時であった。


そんな時、電話を受けた教頭から「マスクを200人分寄付してくれる人がいる」との報告を受けた。

「キムラ屋の中野さんから……在庫のマスクがあるから、修学旅行に使って欲しいと……。」

この学校の校区は、古くからの商店が建ち並ぶ小さいながらも落ち着いた商店街を中心としている。環状通に面したパン屋さんの御主人は、以前に学校のPTA役員も経験したことのある人で、インターンシップの職業体験では毎年最大限に生徒を受け入れてくれている。


「これは行かなきゃなんないな!」

「ありがたいことだよね」

「さすが中野の父さんだねえ!」


彼の一人娘が在籍したのは、もう五年も前のことなのに、その後も学校のことを気にかけてくれていたのだ。中学校でも小学校でも、地域のこういう人たちの助けがあるから成り立っていることがたくさんある。そのことがよくわかる出来事だった。学校という建物の存在だけではなく、こういう地域との有機的なつながりが最も大切なことなのだ。


この時、新型インフルエンザと季節性のインフルエンザがまぜこぜになったような日本列島には「パンデミックス」だとか「フェーズ」だとか、危機感をあおるような言葉ばかりが飛び交っていた。

「何人目かの新型インフルエンザ感染者が認定された。」というニュースを背に、我が校は修学旅行の実施を決定した。そして、中野さんからのマスクの寄付があったこととあわせて、修学旅行の意義と共に実施に伴う危険性とその対応とを保護者に伝えることとなった。


保護者対象の旅行説明会には200名以上もの参加があった。不安と共に、実施させたい保護者の気持ちが漂う会となった。結局、体調不良による1名の不参加があっただけで、修学旅行は予定通りの計画で実施された。


宿泊施設では手洗い消毒薬を初めとする万全の対策で、いただいたマスクも幸いなことに出番がないまま持ち帰ることになった。平泉中尊寺の金色堂に大感激していた3泊4日の修学旅行は、快適で楽しい思い出とともに終えることができた。



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