掌編「映画館で」
「――すみません、友達と隣同士がいいので席を譲ってくれませんか?」
「あー、すみませんね、この席で見たくて買ったので……申し訳ない」
「ひとつの席くらい、ずれても変わらないと思いますけど……こっちの席も見やすいですよ? たったひとつ分の席くらい、いいじゃないですか」
「友達と並んで見たいですか? 映画ですよ?」
しつこく食い下がってくる青年は、お願いします、と何度も頭を下げてくる。
いや、だから俺はここで見たいと言って断ってるんだけど……。
すると、揉め事か? と気になった周りの人たちが視線を向けてきて……。譲ってあげればいいのに、と言ったような空気が作られた。
……なんでお願いされたら譲らないといけないんだよ。こっちが悪者なのか?
左右からお願いされて、居た堪れなくなってきたので、仕方なく譲ることにした。
ひとつ分、席を横にずれる。すぐに、う、と顔をしかめてしまう。
たったひとつ分だが、それだけで見える景色は変わるものだ。大画面だが中心軸がずれてしまうと気持ち悪い。これで九十分の映画を見ろと? ダメだ、堪えられない……。
お願いされたら譲らなければならず、なにも悪いことをしていないのに悪者になったような空気感を作られるのだとしたら――奪い返すことは容易い。
「あのー……すみません、やっぱり戻してください。お願いします。その席でないと満足して映画を見ることができないんです。……元々は俺が買った席だったはずです……――だからっ、お願いします元に戻してください!」
「ちょっ、あのっ、顔を上げてください!! いきなり土下座とか卑怯ですよ!?」
周りの視線が再び集まり、譲ってあげなよ、と、返してあげなよ、という空気感が作られた。元々俺の席だったこともあり、空気による脅迫感はさっきよりも強くなっていた。
青年はさすがに堪えられずに、おれへ席を譲る。というか返してくれた。
「すみません」
すると、今度は反対側の少女が声をかけてきた。
左右の青年と少女はカップルで、並んで見たかったのだろう。
お願いされたら譲らなければならないような脅迫感、こっちが悪者にされる居た堪れない感が、譲らぜるを得ない空気を作ってしまうが、一度経験している俺はもう慣れたものだった。
「その席を譲ってくれませんか、」
「嫌です」
「そこをなんとか」
「無理です。この席がよくて買ったんです。譲りませんよ」
左右のカップルは俺を睨むように。
周りの人たちも大人の俺が譲るべきだ、と批判的な目を向けてくるが、知ったことじゃない。俺はこの席がいいのだ。
並んで見たいなら次の回へ移動すればいいのではないか? 悪者扱いされても気にしなければいい。実際、俺はなにも悪いことはしていないのだから。
先に席を買ったのは俺だ。年下にお願いされて譲る義務はどこにもない。
結局、左右のカップルは各々が集中して映画を見ていた。並んで見る必要性なんかどこにもない。イチャイチャしたければ家でDVDを見ながらすればいい。映画はひとりで見るもの――そう、だから並んで誰かと見るなんて俺には考えられない……あり得ないのだ。
映画が終わり、余韻に浸っていると左右に座っていたカップルが「感想会しよう!」と手を繋ぎながら映画館を後にした。……感想会、か。
映画はひとりで見るものだが、感想会はひとりではできないものだった。
もしも席を譲っていれば、あのふたりの感想会に混ざれたのかな――と、気持ちの悪いことを考えてしまった。
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